その6
24区内で逮捕された帰還犯は、異民局の地下2階の取調室で事情聴取を受ける。
取調室は、保安課のある第1棟地下2階のエレベーターホールから左右に伸びた廊下の右側にあり、反対の左通路は留置場へつながっている。
向かい合う2部屋のうちの1つが現在使用中で、室内では5日前に起きた脱走未遂事件の聴取が行われていた。
容疑者の名は
取り調べの担当は
「──はい、確認終了。おつかれサマ」
供述調書をまとめながらユウトが労をねぎらうと、ルカは署名に使ったペンを机の上に置いた。
24区からの脱走を企てたルカは、町の上空でリンに捕縛された際に意識を失い、目を覚ましたときには丸一日が経過していた。
奇妙なことに、全身を炎で焼かれたはずのルカの体は、健康そのもので、わずかな火傷のあともなかった。その場にいた看護師にたずねたところ、回収された時点でかすり傷ひとつ無かったらしい。
ただひとつ変化したことといえば、ここ数日の間、ルカの心に宿っていた狂熱的なまでの復讐心がすっかり収まっていることだ。
理由はルカにも分からないが、憑き物が落ちたようにスッキリしている。それどころか、数日前までの自分の言動に、自分で違和感を覚えるほどだった。
異民局内の医務室のベッドで目を覚ましたルカは、その後、監視つきの検査を受け、何も異常がないことが確認されると留置場へ移送、翌日から取り調べが開始された。
脱走を決意した動機や脱出方法、協力者の有無、準備に費やした時間、本土での犯行計画などを聞かれ、ルカはすべて素直に語った。
今さら隠してもしょうがない。町の上空で見た「絶景」についても興味がない。脱走に失敗した時点で何もかもどうでもよくなっていた。おかげで事情聴取はスムーズに進んだ。
事情聴取は一昨日と今日の2回に分けて行われたが、ルカの話した内容は同じだった。初日に必要事項について確認し、2度目は前回の情報にウソやごまかしがないかを検証するために行われたのだ。
異世界から帰還した直後にもこれと似た経験があり、そのときは同じ話をすることに多少のわずらわしさも感じたが、今は何も感じない。聞かれたことに機械的に回答するだけだった。
ただ、そんなルカにもひとつだけ気がかりなことがあった。それだけはどうしても知りたかった。
「これで聴取はおしまい。明日には結果が言い渡されるよ。何か聞いておきたいことはある? 言いたいことでもいいけど」
事情聴取の間、ずっと顔をうつむかせていたルカは、机の上を見つめながら口を開いた。無駄だと分かっていても、問わずに入られなかった。
「……イツキは、どうなったんですか……?」
「部外者には教えられないんだ。悪いね」
微塵も心のこもらない口調と態度で、ユウトはルカの要求をはねつける。
(なんでだよ……。いいじゃないか、教えてくれたって。なんでダメなんだ。隠す意味ないだろ)
目が覚めたあと、何度となくたずねたが、誰に聞いても同じ答えが返ってくるだけだった。
(そんなの決まってるじゃないか。誰だって分かるだろ)
小さな机を挟んで対面に座るユウトが「答え」のようなものだ。彼はイツキを安楽死させるために帰国したのだ。安楽死の決行予定日は4日前。イツキが心変わりでもしてない限り、実行されているはずだ。
ルカも「イツキが自殺を踏みとどまってくれた可能性」を捨てきれずにいるが、本人と話したときのようすからして、それはありえそうにない。ならばこそ、はっきりと事実を告げてほしかった。
(ただそれだけなんだ。なんでダメなんだよ。島から出ようとしたからか? それがそんなに悪いことなのか?)
黙りこんだルカをしり目に、ユウトは席を立つと、部屋の隅へ移動しドアノブに手をかける。外に待機している職員にルカを引き渡せば、彼の仕事はほとんど終わったも同然だ。
「……が、……だよっ」
うめくような声に背をつつかれ、ユウトは後ろを振り返った。
ルカはあいかわらず机の上を見つめている。
「なにか言った?」
ユウトの声が聞こえなかったのか、ルカは視線を落としたままブツブツと何かつぶやいている。
「なにが、正義の味方だ……、弱い人間を見捨てて。そんなの正義なわけないだろ……」
「あー……」
ルカのつぶやきからおおよそ察したユウトは、イタズラを思いついたような笑みを浮かべると、神妙な顔つきで再び椅子に腰を下ろした。
「リンに何か言われた? ルールがどうとか、正義の味方がどうとか」
ユウトがいたわるように話しかけると、力なく垂れ下がっていたルカの肩が大きく震えた。鬱積していた負の感情にはけ口を与えられ、ルカの声が大きくなる。
「……言った。言われたよ! 『自分は正義の味方だ』って。そんなワケあるか! 何が正義だ、正義を名乗るなら──」
「君は『正義』ってなんだと思う?」
穏やかな横槍で主張を中断されたルカは、呆気にとられて思わず顔を上げた。
「……?」
まじまじと見返すルカに、ユウトは同じ質問を繰り返す。
「君は『正義』ってなんだと思う?」
「……何って? 正義が? そんなの、一言で言えないよ。言えるわけない。そんなの。人によって違うじゃないか。生まれた国とか、宗教とか……。誰かの正義が、別の誰かの悪になることだって……」
「うんうん、そうだね。みんな好きだもんね、正義が。でも、
「シンプル?」
「そう。『人のモノを盗んじゃダメ』とか『人を殺しちゃダメ』とかね。人が集団で生きていくうえで必要最低限のルール、それが彼女の言う『正義』」
「……それって、法律ってコトか? 法律を守ることが正義だって?」
「簡単に言えばそうだね」
「なんだよ、それ……」
紋切り型の返答がルカには不快だった。
その法律がうまく機能していないから、イジメが無くならないんじゃないのか? それでは、まるで「イジメ程度で自殺したイツキが悪い」といっているようなものではないか。
ルカは手枷で拘束された拳を握りしめる。
「じゃあ、法律が間違ってたらどうするんだ? 間違ってないにしたって、法律は完璧じゃないだろ? 悪用されるコトだってあるじゃないか! それでも正義だっていうのか!? そんな不完全なものが正しいのか?」
「不完全なのは当然だよ。人が作ったものなんだから。この世界に完璧な人間がいないのと同じで、人間の作ったモノに完璧なんてありえない。法律だってそうだし、スポーツのルールだってそうさ。どうしたって穴はできる。でも、そんな不完全なルールでも、無いよりはマシだって思わない?」
「……」
「たいていの人間は、生きてく上でルールを守る。なぜって? それが一番楽な生き方だからだよ。ルールを守っていれば社会の一員でいられる。もしルールを破る者がいたら罰を与えて反省させる。それでも繰り返すようなら社会から排除する。そうやって社会の秩序が保たれていれば、みんなの安心安全な生活を約束される、と信じてる。つまりルールという正義を信じているわけだ」
ユウトは椅子の上でわずかに姿勢を変えなら、「もちろん例外はいくらでもいるけどね」と付け加え、話を続ける。
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