その5
「水面に葉っぱが浮かんでるとするじゃん? 私たちは水を認識できるから、一目見て『そーいうもの』って分かるでしょ? けど水の存在を認識できないヤツに、その状態をどう説明すればいい?」
「ん? 水が? 認識できない?」
「だから、水が見えないの! さわれないし、匂いもかげない。トーゼン『水』って言葉も知らない。そういうヤツからしたら、水面に浮かんだ葉っぱは、『空中に浮いてる』ようにしか見えないわけ。わかる?」
「んん? そうか? そういうもんか?」
「水たまりに投げこんだ石は、水面の下に隠れたら見えなくなるし、反対に水の中から浮かび上がってきたモノは急に出現したように見えちゃう。マナを感じない人間から見た魔法ってのはそれと同じなワケ。そういう人間にさ、地球規模の海流とか気候変動の話とかして、ついて来れると思う? 水が何かもわかってないのに」
フウマの飛ばされた世界にも魔法は存在し、フウマ自身も実践レベルで魔法を習得しているため、魔法に関する知識はある。それはミナトも同様だった。
だがメイのいた世界は、魔法を基盤とした文明の水準が段違いであった。
魔法技術は一般市民の日常生活にまで浸透し、農業、工業、医療、物流、社会インフラに到るまで、すべて魔法の上に成り立っていた。
就学前の子供たちが、手のひらに水の玉を出して投げつけ合う遊びは、辺境の村でも普通に見られる光景だったという。
世界中の大学や研究施設では、高度に細分化された魔法理論が、数億人規模の専門家たちによって研究され、新たな魔法が日進月歩の勢いで開発されていた。
魔術師がひとりで塔にこもって研究したり、一国に所属する魔道士が数千人程度といったフウマたちの世界とは、文字通りケタが違うのである。
魔法分野における学問としての成熟度や洗練度は、確認されている異世界群の中でも最高峰で、その知識の深淵は異世界帰還民のフウマたちですら理解の及ばない領域に達している。
「あんまりしつこいから、ちょっと世源関数にふれてあげたら、かおすがーとかぷらんくがーとかギャーギャーさわぎだしてさ。それでグチャグチャになったんじゃん! 私は悪くない! ゼッタイ! ゼッタイ! ゼ~~~ッタイ! むこうが悪い!!」
「おおう、そうか。そりゃなんとも、サイナンだったな。まあ、なんだ、センセー方もそれだけ真剣だったってことで」
「そうそう。ほら、学者センセーは理屈で考えるのがシゴトだから。分からんコトを曖昧にしてたらダメな人たちだから。な? 今回は『分からない』ってコトを教えてあげたんだよ」
癇癪を起こしていたように見えて、じつはメイ自身も、説明会が失敗したことに責任を感じているのだ。
責任感が強く面倒見のよい少女の性格を知るフウマとミナトが代わる代わるなだめていると、アオがケータイをいじりながらソファから立ち上がる。
「けど、ボクらのほうも足りてなかったよね。いろいろと。そこは反省していいと思う」
アオが穏やかに指摘にすると、メイも顔を背けながら同意する。
「そりゃ私たちだって説明ヘタだよ。認めるよ。でも
2人のやりとりにフウマが首をかしげると、ミナトが横から会議中のようすを補足する。
「さっき言った言葉のカベってやつだ。メイたちが魔法についてレクチャーすると、それを聞いたセンセーたちは、2人から得た情報を自分たちの持ってる知識と照合して、自分なりに解釈するわけだ。で、上手く解釈できれば、それが正しいかどうか2人に確認するし、できなければその疑問をぶつける。『その場合のハアグメリアンは時間に依存するのか?』とか『さきほどの説明はクリンチェドフィ予想における4次元曲面のことを言っているのか?』てな具合にな」
「はぐ? くり? なんだそりゃ?」
ミナトが急に謎の呪文を口にしたため、フウマは呆気に取られた。高校在学中、数学も物理も投げ出した身には、量子力学や位相幾何学など、それこそ別世界の言語と変わらない。
「聞くな。俺も分からん。とにかく、センセーたちにとっちゃトーゼンの質問なんだろ。ところが、
「ボクら、こっちの科学はダメダメだからね」
アオがあっけらかんとしたようすで不見識を認めた。
長くクセの強い前髪のおかげで表情は分からないが、もともと鷹揚というかのん気な性格で、少々のことでは動じない。
ふだんはボサボサの青髪が心なしかまとまっているのは、会議の直前にメイが整えてあげたからだそうだ。
「話聞いた感じ、こっちの科学も似たようなコトはやってるっぽいんだよね。量子力学? ──は、けっこういい線行ってると思うんだ。たぶんだけどね。そのへんすり合わせるなら、ボクらが勉強するのがイチバンなんだろうけど」
「ヤダ! メンドくさい。そんなコトしてるヒマないもん」
メイはそっぽを向いてアオの出した改善案を切り捨てる。
「そりゃそうだな。今でも2人にやってもらわなきゃならんコトが山積みだからな。しかしそうなると、なかなか厄介なカベだな」
「そういうこと。それでも、わりとついてきてるセンセーもいるんだけどな。今日だって熱心に質問してたろ?」
「初歩の初歩だけどね。水の例えで言ったら三態変化のレベルでパンクしてた。見た感じ、イチバン近いトコにいそうなのは
アオがひとり納得したようにうなづいていると、その相棒を押しのけるようにしてメイがミナトに詰め寄る。
「てかさー! もう用済んだんだから、帰っていいよね? 早く昨日の続きやりたいんだけど!」
「あ、そうだな、じゃあ……」
応じかけたミナトの上着の袖をアオが引っ張り、振り返ったミナトの眼前にケータイの画面を突き出す。
「忘れてた、さっきからタナがしつこいんだけど、これケーシソーカンに転送していいよね?」
アオの手にしたケータイのパネルには、『老人介護は適当に切り上げて鑑定急げ』というメッセージが表示されていた。
「うぉい! 待て待て! ダメだよ! 何言ってんだ!」
「でも遅れてるのボクのせいじゃないし。当人同士で話し合ったほうが早くない?」
「ダメダメ! 大人の社会はそんな単純じゃないから。それで警察と検察が仲悪くなったらどうすんだよ。
スタスタとドアから出ていく少女に呼びかけながら、ミナトは慌てて自分の荷物をまとめる。
「あいかわらずにぎやかだな」
「天才サマたちは下界の雑事には無関心だからな。ラボから連れ出すだけで大仕事だよ。いい加減、誰か代わってくれないか?」
「魔法に通じて、捜査現場にも顔のきく逸材が見つかるまでは無理だろうな」
「はー……、いつになるやら」
フウマのねぎらいを背に部屋を出ていきかけたミナトだったが、ドアの手前まで来たところで足を止め、同僚のほうを振り返った。
「例のブッケンはどうなった? 厄介なのが2つもできたんだろ?」
「ブッケン?」
フウマは最初何のことか分からなかったが、ミナトの意味ありげな目配せと、わずかに抑えた声の調子から、すぐに相手の意味するところを察した。
「……ああ、あれな。前から把握してたほうはもう処分済みだ。周辺の住民の意見も聞いてたから話は早い。あとから分かったほうはまだ審議中だ」
「イタみ具合はどうなんだ? まだ使えそうなのか?」
「それは……」
「何グズグズしてんの!? ホントに置いてくからね!」
フウマが言いかけたとき、ドアの向こうからメイが顔だけ出してせっついた。
「わかったわかった! すまん、あとでな!」
「慌てて事故るなよ」
バタバタと部屋を出ていく同僚らを見送ると、フウマは空っぽになったソファのひとつに腰を下ろす。
「……そろそろ終わってるか?」
部屋の壁にかけられた時計を見やると、いつの間にか15時を過ぎていた。
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