その4

 異民局職員の本土活動時の拠点となる、異世界帰還民生活局新都心出張所は、法務省庁舎の地下深くにある。

 およそ800㎡のフロア内には、エントランスを兼ねたリフレッシュルーム、応接室や会議室などのワークスペースに加え、給湯室やトイレ、ベッドルーム、バスルーム、ランドリーコーナーなどホテル並の住環境が整っていて、その気になれば何日でも滞在できる。

 だが快適なのは見た目だけで、実態は牢獄に等しい。

 監視カメラとマイクによってフロア内の会話は24時間記録され、外部へ通じる唯一の通路も二重のセキュリティーゲートによって出入りが厳しく制限されている。

 本土に出張した異民局の職員は、職務遂行に不要な外出は一切禁止され、待機時間はすべてこの一室で過ごす決まりになっていた。

 名目上は職員の安全確保および情報漏洩の防止ということになっているが、実際のところは帰還民に対する政府の不信感や警戒心が理由であることは明白である。

 異民局に所属する帰還民は、政府側の事情を承知の上で協力しているわけだが、こうした対応への反応には個人差がある。

 この部屋へ来るたび窮屈な思いをしてふてくされる者もいれば、「四六時中、珍獣を見るような目で見られるよりマシ」と割り切っている者もいる。

 護国寺交差点の騒動に駆り出されたフウマは後者であり、戦闘を終えて法務省に戻り、待機していた法務省および異術研究会議の職員に羽勝木わかつきを引き渡すと、残りの手続きは双方の職員に押しつけてさっさと部屋へ戻ってきた。

「お、ヒーローサマの凱旋だぞ。おつかれさん」

 フウマが部屋に入るなり、陽気な声が出迎えた。声の主、犬槇いぬまき皆渡みなとはフウマと同世代の青年で、異民局保安課2班の班長を任されている。

「ずいぶん派手に遊んだそうじゃないか。なんで一発で仕留めなかった? そのほうが楽だったろ。見物人おきゃくさんへのファンサービスか?」

「『殺すな、壊すな』ってのが、お偉いさんのご要望だったんでな」

 ミナトが差し出したカップを受け取りながら、フウマは裏事情を明かした。カップの中では淹れたてのコーヒーが湯気を立てている。

「ああ~、上は、あのデカいのにご執心なわけか。アレのせいで犠牲者が大勢出たってのに呑気な話だ」

 ミナトはわざとらしく監視カメラのほうを見て皮肉な笑みを浮かべる。

「そっちこそどうしたんだ。ココに来るなんて珍しいじゃないか」

 フウマがリフレッシュルームの隅に目を向けると、見た目中学生くらいの男女が、それぞれ2人がけのソファに寝転がって何やら作業をしている。

 ミナトの部下の笠菅かさすげ鴉烏あお山吹やまぶき梅李めいである。

 2人ともふだんのラフな格好とは違い、紺色のパンツスーツの上に異民局のジャケットを羽織っていた。これは公の場に出る際に着用を義務付けられている異民局職員の制服である。

「御老体方とのお勉強会だよ」

「? ……ああ、総監たちか」

「そ。あと学者センセーたちもな。朝から大勢の前で鑑定技術の基礎についてレクチャーしてた」

 ふだんから24区にいることのほうが珍しいミナトたちだが、彼らの仕事は、言うなれば魔法版鑑識班CSIである。

 証拠の乏しい難事件や帰還民絡みの異常事態が発生した際、警察や検察などの指揮の下、異世界の能力を使って事件現場の鑑識や証拠の鑑定などを行う。

 ミナトの役目は上層部との折衝や部下の監督で、実作業はアオとメイが担当する。

「上の連中が耳を貸すってことは、魔術鑑識もだいぶ定着したんだな」

「ってわけじゃあないんだなコレが。せいぜい三信七疑ってトコロだな。あいかわらず証拠能力は認められてないし。ま、やらないよりマシって程度だ」

 もともと保安課2班は、1班のサポートチームとして結成された経緯から、メンバーも情報収集や諜報活動に優れた者が多い。

 のちにそうした彼らの能力が犯罪捜査にも有効だと判明したため、難解な事件が起きるたび本土に呼び出されるようになった。

 これまでにいくつもの事件解決に貢献しているのだが、魔法そのものが原世界ホーム・ワールドの摂理に反するため、法的にはあくまで民間ボランティアであり、その存在は公然の秘密となっている。

「頭カチカチの御老体連中にとっちゃ、魔術鑑識なんてオカルトまがいのインチキで、俺らのコトも路地裏の占い師と同じにしか思ってない。最初はなから話を聞く気なんてないよ」

「じゃあ、なんで呼びつけられたんだ? 連中にしても時間のムダだろ?」

「たぶんだが、学界からの突き上げだな。政府が帰還民の技術に否定的なおかげで、大学や研究所での研究は事実上禁止されてるが、自分らは異研の連中をフル稼働させてるわけだからな。学者センセーたちが『政府は知識を独占するつもりか』って疑うのはトーゼンだし、政府もそういう声を無視できない。で、参加者を募ってのお勉強会とあいなったわけだが、そうなったら御老体連中も顔を出さないわけにはいかないわな。なにせ非公式とはいえ実際に捜査で使ってる技術だから、こういう機会をスルーして、あとで自分だけ『知らなかった』じゃ赤っ恥だ」

 ミナトたちが出席したのは、政府主導の総合科学技術・イノベーション会議の一貫で、表向きは実現化前の新技術を披露する余興扱いであった。

 もちろん運良く席を確保できた科学者、それも日本トップレベルの頭脳を持った者たちの多くは、ほかの発表などそっちのけで、ミナトたちの話を聞くためだけに駆けつけたのだが。

「それだけ注目されてるなら、かなり盛り上がったんだろうなあ。こっちの科学者に協力してもらえたら、実用化も早いんじゃないか?」

 そうなればミナトたちの活動も少しは楽になるだろう。

 フウマが楽観的な反応を見せると、ミナトはいささかばつの悪そうな表情になる。

「ん~、そう上手くいかないところが、また何とも……。言葉の壁というか」

「カベ? ああ、専門用語的な話か? そりゃ、こっちには無い言葉ばっかだろうからな」

「いや、それもそうだなんだが。うーん……、なんていうか、知識って意味では、学者センセーもそうだけど、こっちにも足りてないトコがあってな」

 ミナトが意味ありげにアゴをしゃくる。フウマがそちらに視線を向けると、ちょうど顔を上げてこちらをにらみつけるメイと視線がぶつかった。

「私が悪いっての!?」

 メイはソファを蹴って立ち上がると、ポニーテールの黒髪を激しく揺らしながら、すごい剣幕でミナトに詰め寄った。

「いや違うって。誰が悪いとかじゃなくて……」

「サイショに言ったじゃん! ムリだって! 形而生剋理論どころか、マナを感じとることもできない人間に、魔法の仕組みを説明してもムダだって! 理解できるわけないって!」

 どうやら説明会の成果ははかばかしくなかったようで、探究心旺盛な学者たちの矢面に立たされたメイは相当ストレスをためこんでいるようだ。

「なんだ、ずいぶんゴキゲンナナメだな。実際にやって見せて、『こういうマホウです』で終わりじゃなかったのか?」

 初心者向けの魔法講義と聞いて最初にフウマが思い浮かべたのは、小学生向けの科学実験番組のノリであった。

 メイの専門は精紋鑑定と呼ばれる技術で、犯罪現場の残留魔力を測定後、事件関係者の魔力、室温や地形、天候といった外的要因を加味し、複数のアルゴリズムによって事件当時の状況を再現する。

 もうひとりのアオは幻像解析の専門家で、これは現場の家具や窓に投影された積層映像を時系列ごとに細分化、特殊処理で増幅補正し可視化する技術で、犯人の素顔や逃走経路の特定などに役立つ。

「やったよ!? そうしたもん! ケド納得しなかったんだもん! もっと詳しく説明しろーって」

「詳しく説明してやればよかったんじゃないか?」

「いや、まあ、説明はしたんだが、言葉のカベがな」

「それがカンタンに行くなら──」

 ミナトが会議でのやりとりを思い起こしながら言いさすと、それまでソファの上で寝転がっていたアオが体を起こしながら話に加わる。

「ボクらも苦労しなかったんだけどね」

「そんなにか? 先に実演して見せたんだろ?」

「じゃあ聞くけど、たとえば、『水』を認識できない人間に『水』についてどう説明する?」

 フウマに人差し指を突きつけながら、メイは禅問答のようなことを言い出した。

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