第一章 第一.五話 後半

 カロンの住んでいる屋敷はもはや手入れされていなかった。裕福な家庭に生まれ落ちた彼が廃れたような、腐ったような、そんな屋敷に住んでいるのは彼自身がその家庭に産声うぶごえを上げたせいだ。



 時代が悪い、場所が悪い。

 彼は呪人カースと云われるその時代、最も恐れられる人種であった。

 それはまた一概として天の恩恵とも取れるものであるが。

 その呪人カースの正体とは、生まれながら魔力ルーンを保有している現象だ。

 それだけで通常の人間マグル達に恐れ嫌われる要因となる。

 彼は廃れた自分の家が嫌いだった。

 湿気が篭り、この屋敷で起こったことが鳴り止まずグルグルと脳で鳴り響いている。

 皿が割れる音。ヒステリックな甲高い声。情緒が不安定と取れる誰かの呼吸。イタチごっこと分かっていても追いかけてしまう幻聴。

 フランを大丈夫だと偽って助けた反面。

 彼は屋敷の見えないナニカに怯え苦しんでいた。


「大丈夫。そんなやつは本当は存在しない」


 また今日もそうやって苦痛の日々を反芻する時だった。扉のノックが鳴り響く。


「誰だ」


 知らない人間の声がと問う。問われたにも関わらずノックは鳴り止まない。

 カロンは人間の声が父親ということを理解するのに数分かかった。思考が乏しく劣化していた。

 実際カロンは、この屋敷に居るだけで思考の計算速度が鈍くなる。そんなふうに感じていた。

 時刻は夜の十一時を回っている。こんな時間に来訪者が来るわけが無い。

 しかしもし来ていたら、とカロンは追求を始めた。

 熱心な新聞配達ではない。新聞配達は健康でないといけないし、不健康な時間帯といえど、その職種はポストに新聞を投函するだけでいい。

 だからカロンはそれが何であるのか粗方予想はついていた。

「ああ。アンタか」


□ □ □ □


 誰かと父さんが玄関で話している。


「分かっている」

 

 聴き耳を立てていて四、五分くらいに感じた。

 分かっている。その一言でおそらく会話は終わった。

 妙に声が聞き取れないことと、記憶に空白があったせいで、会話の内容が曖昧でハッキリしない。

 ただ、そんなことをお構いなしに廊下を歩く音がする。

 階段からこの部屋に父さんが向かってくる。

 それは普段ではあり得ないこと。食事を摂る時は二人とも別々だから。父親とはもう会話していない。

 歩く音が近づく。

 近くになってくる時点で明らかに頭が痛くなっていた。 

 歩く音が近づく。

 痛覚は痛みを与えないと働かない筈なのに、なぜか鈍く叩かれたような痛みが頭を蝕んでいく。


「父さん」


 音はピタリ止んだ。


「ああ。起きてたのか」


 平然を装う父さん。

 展開は読めた。恐る恐るゆっくりと立ち上がる。

 俺はきっとあの時計塔で死んだ黒猫のようになる。そう思い立てば、このまま惨たらしく死ぬのは嫌で、行動することが簡単になる。

 そして俺は扉の柄を握った。瞬間扉から物凄い圧力が加わった。


□ □ □


「殺った、か?」


 散弾銃の残弾を床に落とす。扉に穴が空いて部屋の奥まで貫通した。

 ただ男は、さぞつまらなそうにしてワイシャツの袖をまくり挙げスウェットパンツからライターを取り出す。煙草に火をつけた。

 男は壊れた扉から煙を挙がっているのを確認する。

 呼吸をするように、煙を吹く。一寸ちょっと経った後、少年が咳き込む声が聞こえた。

 少し飽き飽きしたようにつまらなそうに、冷たい声音を張った。

 

「...やっぱり人外だよな」


 崩れ落ちた瓦礫に少年が力無く座っている。それは丸腰ですらその男は少年の命を脅かすほどに値しないという意味なのか、はたまた反抗をする算段を立てている最中なのかは分からない。ただ男は何となく前者なのだろうという気はしていた。


 男は頭を掻く。

 男の低い声が今も少年の頭に反響している。


「俺はこれから、どうなる?」


 少年は無気力で弱々しい声を出した。ただその言葉には怒りが本質として感じられた。


「悪いけど暗黙のルールなんだよ。お前の母親が呪われた子供を産んじまったら、贖罪として俺は自分の子供を殺さないといけない」


 神の教えを謡うように男は語った。

 そんな自分の親である男を睨みつける少年。その目は鋭く蒼い。狙いを定めた狼のような威圧感だった。男は自分の息子に対して少し意外という顔をした。


「俺はあんたから逃げるよ」

 やはり少年は立ち上がった。瓦礫がパラパラと崩れ落ちる。

 途端「じゃあ早く行けよ」男はつまらなそうに顎で階段の方向に軽く流した。


 カロンは唖然としている。殺してでも逃げようとしたからだ。


「どうして?」


「勘違いするな。俺は弁えているだけだ。今ので死なないなら、俺はお前のことが殺せない」


 不貞腐れたようにしゃがみ、とうとうその場に座り込む。男は話を始めた。

 ここだけの話と言って内緒話をするように左手の掌を口角に立てる。


「俺はもう面倒臭いんだよ。お前の母親が亡くなった時から、生きる意味を忘れた。生活に必要な何もかもが要らなく見えたんだ」


 男は立ち上がって自身の体を目を伏せるように眺める。

 それが彼にとっては彼自身でさえも要らないということを暗示していた。


「最初はお前を産んだことを恨んだ。お前さえいなければなって、お前が居なければアイツは死ななかったってさ。だから時々、お前を産んだ理由を思い出して、悲しんだり、怒ったりの連続だったんだよ。

けどいつの間にか、感情の意味さえも分からなくなってしまった。なぜ俺は怒るのか、悲しむのか、笑ってのか、とかさ」


 最早、扉ではないものを潜り抜けて廊下の窓際にて片足を突き出し佇む。彼はまるで誰かを待っているようだった。



「俺は逃げるよ。お前の親であることを放棄する」


「だからお前もこの黒く腐った街から逃げてくれ」


 男は軽く鼻歌を口ずさむように、しかし今まで聞いたどんな声よりも優しい声音で言葉を発した。

 だからなのか、そんな男の軽い言葉をなぜだか、カロンは重く受け止めていた。子供だからその嘘のように優しい言葉を信じたのか

 カロンはその言葉の奥にある男の心を見抜いたのかどうかは分からない。


 男は一行に動かない。

 それは一本の煙草が吸殻になって終わるまで目を瞑ってるということらしい。要するに酔狂というやつだろうか。


 カロンは泣くこともなく、無論笑うこともなくただ最後、父親の顔をチラリと見て去っていった。


□ □ □ □


 



 それはまるで神話に出てくる邪竜のように大きかった。月の下でその全貌が晒される。岩のように重い筋肉。武装された鋼の重火器。


「そろそろ、か」

 崖際。橋と屋敷に狙いを定める。

 二丁の携帯ランチャーバズーカーを構えた巨体が動く。


 彼は月下でこう思った。

 ただ動物を殺すだけじゃ性にあわない。

 けれども、あの子供二人を殺すのは趣味じゃない。

 しかし、彼一人があの子供達の殺害を取り辞めたにしても二人の子供の保身は危うい。だから彼は一人で依頼主げんきょうとその取り巻き全てを片付けることにした。


とす!」


 橋と屋敷が墜落する。凄まじい破壊力の前に全て粉砕される。

 あの黒い街で一番大きい屋敷と橋が最も容易く崩壊を迎える。

 男はバズーカー砲の反動に狼狽えることなく最後まで冷静であった。パラパラと壁が崩れる音と砂埃の散る匂いだけが残る。


「じゃあな。クソガキ共」


 大男は加えていた煙草を地面に捨てる。

 木っ端微塵として黒い街は崩壊を迎えた。

 煙と静寂に包まれた闇の中に大男は消えていった。


□ □ □


「ダレン!」

 宵闇の中を走っていた時にそいつを見つけて、俺は声を上げて叫んだ。小柄な少年はピクリと止まる。

「ダレン=フランネル!逃げないと追ってが来る!」

 フルネームで力一杯叫ぶ。顔が見えた。

「え?」

 泣きじゃくった後の顔がダレンにはあった。

「何かひどいことされた?」

 フランは首を横に振った。

「お母さんと喧嘩しちゃった。それでね...ジャックを殺した...人が」

 ある一つの赤く汚れた名刺をフランが渡した。

「!」

 カロンは心を決める。腹を括る。

 行こう。この成り行きの希望を手に入れるために。


 □ □ □ □


 首都〈クラリスルール〉



「ここは調停機構ジャッジメント。色々な紛争や事件。それに対して第三者として、介入するお節介を仕事にしている組織。

 ...それはもう知ってるかな?」


 真っ白で無機質な部屋。何人かの職員と数回の面談が通った後だった。カロンはコクリと頷く。


「助けて欲しい」

 

最早、何度口にしたか分からないSOS《ことば》を使う。


「私の名前はラピス=アッシュ」


 スーツに身を包んだ男。

 貫禄のある顔立ちは政治家を彷彿されるが、二人はすぐにその男の顔が分かった。

 テレビに出ているからだ。

 調停機構ジャッジメントはメディア進出もしており、世間じゃよく知れ渡った大御所だ。

 なので普段はここに居るわけじゃないが、彼が居たのは不幸中の幸いだった。


 コーヒーとスプーンの乗った一枚のコースターが、名も知らない職員から先ほど差し出された。

 スプーンの中には角砂糖が置かれて、コーヒカップの中からは先まで湯気が発っていたが、もう冷めてしまっているようだ。


 カロンは今までに起きた時間のこと自身の身分や街のことを噛み砕いて話した。

 ダレンは不幸が続いたためか、コーヒーカップを持ったまま目を伏せて黙りこくっていた。


「なるほど。君達の事情は大体分かった。

 うむ。私が君達を助けてやってもいいが、

 一つ提案がある」


「?」


「君達を雇いたい」


「え?」


「少し困ったことが在ってね。誰の手でもいいから借りたいんだ」


 男はしばらくの間の食と暮らしは提供すると発言する。

 カロンはそれに対してイエスと言うしかなかった。

 そして、これがカロンを変えた一つの転機ターニングポイントだった。


ーーーーーー


 回想はここで途切れた。照明がブツリと全て消えた。

 

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静寂を守るもの 天川琥珀 @icayaki

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