01:16.25
過徒用の食堂は閉まっていたが購買は開いていたので、そこで余りもののパンを買ってきた。
今まで外部との関係を断絶されていた分、久しぶりにどこの店でも見かけるようなメーカーの商品を見てなんだか嬉しくなった。
機械を相手に購入を済ませた後、巡と在業は周りに誰もいない中、ベンチに腰掛けていた。
巡はパンを頬張る。残り物だからだろうか、やけに甘い。
砂糖が口の中で音を立てる。
誰かと昼食を食べる。当たり前の光景だが、巡にとってはこれも久々の経験だ。
変に緊張する。
だが、緊張する理由は恐らく、それだけじゃないのだろう。
「在業さんは……」
ただ名前を呼ぶだけでとてつもない重みを感じる。
何度も聞いてきた名だからこそ、軽々と扱えない。
「潤でいいよ」
それを察したのか、こちらが言い切る前に在業はそう言った。
そう言われて少しだけ気が楽になる。
「潤も、市之瀬でも巡でも好きなように呼んでね」
「じゃあ巡くんかな」
それでも絶妙な距離を感じてしまう。
「在業って言われたらそりゃ気になるよね」
またもや巡の心を見抜いたのか、在業は包装を開けたパンを持ちながら言った。
「いや! 全然! そんなことないよ!」
慌ててそれを否定する。
「いいんだ、気を遣われる方が落ち着かないし」
そう言って、パンに噛り付いた。
在業誠。
教科書にも載るその名を知らないものはいない。今からおよそ20年前に異能が誕生し、それを治めた源瑞暉の側近、参謀、右腕、腹心、番頭役。呼び方は様々あるだろうが、つまりは彼に最も近い存在として、支え、活躍してきた。現在もそれは健在で、政治のごたごたを好まない源に代わり、公の場にも彼が出席することも多い。源も全てを彼に一任しているわけではなく、良き相談相手として、彼と共にこの国の異能や異形の事情を掌握し、政策等を決めている。
結婚もしていて、息子がいるという話は聞いたことがある。
まさか、その息子が自分と過徒訓練生の同期で、今、隣に座っている人だとは。
最初は違うかもしれないと思ったが、今までの反応を見るからに在業潤は在業誠の息子で間違いないだろう。
「すごい人だよね!そんな人がお父さんだなんて!」
巡は心の底からそう思って言った。
在業はうなずく。だが、その顔はどことなく苦しそうなものに見えた。
(あまり突っ込んでいいような話題じゃなさそうだな……)
偉大な父親を持つということには何かしらの確執のようなものがあるのだろう。
自分は幼い時に父親を亡くしたから、父と子の関係性はよく分からないが。
思えば、叔父さんとは何か大きな喧嘩をしたことが無い気がする。
いや、覚えていないだけであったのかもしれない。
そんな余計なことを考えているうちに、どうやら沈黙の時間が続いてしまっていたみたいだ。
「潤はどんな異能を持ってるの?」
巡は話を変えようと試みる。
「あぁ……」
在業は言葉に迷ったかのように一瞬、言い淀んだ。
「僕、まだ異能がはっきりと出てないんだよね」
在業は困ったような笑みを浮かべてそう言った。
完全にやってしまった。
ついさっきまで自分もその状況にあったのだし、それに、今もそこから抜けきった気分ではないのだからその辛さはよく分かる。
「もうここには3ヶ月くらいいるんだけど、からっきしなんだ。大体、みんな一か月以内には中等の方に行くんだけど。もう三人に追い越されちゃったよ」
訂正。自分には分からない。自分の場合は数日だったが、3ヶ月の苦痛は計り知れない。
それと同時に、これでもかというほどの地雷を踏みぬいてしまい、巡は焦る。
「でも、試験は合格したんだよね?」
巡はフォローをする思いでそう言った。
「うん。だけど巡くんと似たような感じだよ」
遠くを見つめるような目をしていた。
「気がついたら全部終わってたんだ」
すぐこちらの方に意識を戻したようだった。
「でも映像とか見てみると確かにゴールはしているんだ。巡くんほど速くはなかったけどね」
そう言って、在業は笑った。
年はたった三か月しか変わらないはずだが、その笑い方がやけに大人に見えた。
それに対して、巡はなんと返せばいいのか分からなかった。
しばらく沈黙が続いた。
それを紛らわすために巡はパンをちぎって口の中に放り込む。
やっぱり甘い。
「星宮さんはすごい人だよ」
在業がぽつりと言う。
「え? あぁ、うん。そうだよね。あんな機械とか開発しちゃうなんて」
巡は急な話題に適当に相槌を打ってしまう。
「それもだね。だけど、星宮さんはそれ以外でも本当にすごい人だと思う。あの人とは3ヶ月一緒にいるからなんとなく分かるけど、全部知っているみたいだよ。隠し事とかもしても無駄みたいなんだ」
巡はパンを食べるのを止めて、在業の方を見る。
「それに星宮さんは、僕のことをそういうの抜きで扱ってくれるんだ。その……、僕が在業であるってことを」
それだけ言うと、在業はまた手に持っていたパンを齧る。
聞きたいことはたくさんある。自分の中の好奇心が疼く。
だが、つい最近16歳を迎えた巡もそこらの分別はついていた。
(出会ったばっかだし、あまり在業の名については触れないようにしておこう)
そこからは当たり障りのない話をした。
施設での生活はどうだったか。巡の異能についてなど。
特に前者の話題については有意義な時間を過ごせた。
いくら在業誠の息子であるとは言え、在業潤も正規の方法でここまでやってきたようだった。巡と同じように、誕生日までは施設で過ごし、星宮の用意した試験を受けた。
誰とも共有できなかった話をついに共有することができた。他の誰にも伝わらないようなことで笑い合えた。
その巡の喜びは計り知れないものであった。
(それに……)
それに、巡の中にあった一つの勝手な憶測が存在を控えた。
それは、在業潤がいわゆる裏口入学をしたのではないかという根拠もない憶測だ。
いや、憶測ですらない。妄想と同義のものだ。
可能性は無くはないのだろう。
だが、巡は目の前のこの大人しい少年のことを気に入っていた。
今の巡にはそれだけで十分だった。
どれだけ話していたのだろう。
時間はすぐに流れていっていた。
「そろそろ時間だ。戻ろうか」
そう言って在業は立ち上がった。巡も立ち上がり、パンの包装紙を手に丸めて、近くのごみ箱に捨てる。
少し先を行く在業を追いかけようとする。
だが、なぜか横に並ぶことが躊躇われて、後ろから付いていくことにした。
どうしても先ほどの会話が巡の頭から離れない。
「僕のことをそういうの抜きで扱ってくれるんだ。僕が在業であるってことを」
一体どのような意味で在業はこの言葉を発したのだろうか。
そんなことを考えながら新しくできたこの友達の背中に目をやる。
巡には、その背中が酷く寂しく見えた。
過ぎ去るものたちへ 有瀬快 @sekai_13
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