12時発、1時着。

新巻へもん

エクストリームランチ

「は?」

 思わず低い声が出る。眉間にしわも寄ってしまった。肌をろくに手入れする時間も取れない師走の日々。こっちはもう若くねえんだ。もし縦しわが消えなくなったら末代まで呪ってやるからな。


 私のお肌を傷つける犯人は、そんな私の気持ちなど知らぬようにいけしゃあしゃあと言う。

「やっぱりさあ、代案なしにこの企画やめるって言っても会議通らないと思うんだよねえ」


 腹にぐっと力を籠める。

「だからって、この実績上がってない企画いつまでも続けるわけですか? それこそ、毎月の進捗報告でつるし上げ食らってるの課長でしょうが?」

「そうなんだけどさあ。なんか代わりの企画無いかな? いい感じの奴」


 なんだよ、いい感じって。相変わらず語彙力も構想力も迫力もないクソ管理職め。

「そんなものはないです」

 食いしばった歯の隙間から言葉を押し出す。もうこの無駄なやり取り何回目だよ。

「まあ、もうちょっと考えてみて」


 自席に戻った。会話が空疎過ぎてメモする内容がなく、持参したのが無駄になったノートを机に置く。置いたつもりだったが、叩きつけるような感じになってしまったらしい。周囲の視線が刺さった。首をすくめて、ノートパソコンのロックを解除する。とりあえず課長の与太話は後回し。別件のファイルを立ち上げた。


 気づけばもうすぐ12時。いつもなら昼休みはボランティアで電話番をしつつ、買って来た物を食べるのだが今日はそんな気分になれなかった。よし。決めた。今日は自分にご褒美をあげよう。パソコン画面の左隅の時計が12:00になった途端に、パソコンをぱたんと閉じ、机の引き出しから財布とスマホを持って席を立つ。


 スタスタと歩いてエレベータへ。下ボタンを押す。チンとなって空いたドアの向こうには一人分の隙間。ラッキー。会釈をしながらいそいそと乗り込む。途中階で止まることなく一階へ。またまたラッキー。社員証をセキュリティゲートの読み取り部に押し付けてオフィスビルの外へ早足で出た。


 外気は冷たかったが日差しの下に出ると意外と暖かい。スマホに表示されている時刻は12:04。路上には既にランチを求めるマスク姿の人々が歩き回っていた。最近できたつけ麺屋にはもう行列ができている。人波をすり抜けて横断歩道を渡った。高層ビルの公開空地に並ぶケータリングカーはまだ空いているが、今日は素通り。


 カツカツとヒールの音を響かせて目的地へ急ぐ。途中のお店からは美味しそうなカレーの香りが漂ってきた。ああ、ここのカレーも良いんだけど。ダメダメ、今日はあそこに決めているんだ。職場から徒歩15分のおそば屋さん。エレベーターの時間を加えるとお店に居られる時間は実質20分しかない。


 角を曲がって目当ての店が視界に入る。1、2,……、6人がお店の外で待っていた。時刻は12:19。お昼を食べそこなうリスクはあるが、ここは勝負。じりじりしながら列が短くなるのを待つ。自分の前にあと一人となった。お店の仲居さんが出てきて確認する。

「お一人?」

「いえ三人です」


 は? どこにあと二人おるんじゃあ。通りの向こうからやってくるおっさん二人。なかなかパーキングメーターが見つからなくてとか言っている。揃ってから並べ。そこへ仲居さんがまた顔を出し体温計で検温をした。

「手前の席へ。ちょっと寒いですけど」


 時節柄、いつもなら閉まっている引き戸が開いている。なのでこの席は本当に寒い。あら、お気の毒なこと、おーほっほ。すぐに私の番が来て、検温後店内へ。中ほどの端の席だった。四人掛けのテーブルに衝立が置かれている。お品書きも見ずに通りがかった仲居さんにいつものものを注文した。


「おつゆは暖かいものと……」

 気が急くので説明を遮るようにお願いする。

「冷たいものでお願いします」

「はい。少々お待ちください」


 時刻は12:32。後は少しでも早く運ばれてくるのを天に祈るばかり。一つ離れたテーブルでは同じように衝立で仕切られた席で、スーツ姿のおじさんがビールを手酌で飲んでいた。つまみは板わさ。くそお。昼間から飲めるなんてどこの貴族様かよ。私も飲みてえ。


「お待ちどうさま」

 その声に振り返ると注文したものがやってきた。小ぶりの海老天とイカのかき揚げがついたもりそば。お品書きにはない一品だ。マスクを外し、揚げたての海老天をそばつゆにつけて一口。ちょっとしょっぱめのおつゆと海老の甘さのハーモニー。


 思わず笑みが漏れる。顔を上げるとおじさんがこちらを見ていた。ふーんという表情をする。さてはお主もこの裏メニューのことは知っておるな。おっと、そんなことをしている場合じゃない。おそばをつるつるっと。はあ、幸せ。ささっと食べて、蕎麦湯まで頂き、お勘定。


 お店を出たら12:45だった。小走りで職場まで戻る。エレベーターは一台待つことになったが、次のになんとか乗り込めた。自分のオフィスのあるフロアで降り、自席に座ってノートパソコンを開く。画面に表示される時計は13:00。セーフ。さあ、午後もお仕事だ。がんばりまーす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

12時発、1時着。 新巻へもん @shakesama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ