エリクサーができるまで

江田・K

孫に薬を飲ませたい


 ◇



 老人には孫がいた。

 娘夫婦から預けられた、まだ幼い少女は熱を出して寝込んでいる。

 発熱の原因は――


「寒くなってきたというのに水遊びなどするからだ」

「ごめんなさい……」


 孫は顔を半分ほど布団の中に隠してこちらにちらりと視線を寄越した。

 反省をしているような、そうでもないような。


「困った娘だね」

「でもそこがかわいいのでしょう?」

「馬鹿者」


 手を伸ばし、くしゃくしゃと髪を撫でると「きゃー」と孫が嬉しそうにした。思わず頬が緩んでしまう。いかんいかん。𠮟るべき時にはきちんと叱らねば。


 額に触れると、はっきりわかるくらいには熱い。


「やはり薬を飲まねばならんな」

「おくすりきらいです……」


 孫はべえ、と舌を出した。可愛い仕草に騙されかけるのを、老人はぐっと堪えた。

 薬を用意しつつ、どうしたものかと考える。


「――ひとつ、話をしてやろう」

「おはなし!?」


 孫娘は、時折祖父がしてくれる話が大好きだった。


「話を聞いたら薬を飲むのだよ」

「おはなしがおもしろかったらのみます」

「やれやれ」


 老人は一度咳払いをして、語り始めた。


「かつて、ある辺境の村にひとりの少年がいた――」



 ◆



 少年の幼馴染は美しい少女だった。

 少女の身体は病に冒されていた。

 

 少女の病は重かった。

 治療薬はないとされ、治癒の魔法さえ効果がなかった。

 徐々に命を蝕んでいき、いずれ死に至る。

 不治の病。

 唯一、可能性があるとすれば――


 少女はそんな厳しい運命に抗うようにいつも笑っていた。

 少年は少女の笑顔を見るたび、胸が締め付けられるような思いでいた。


「裏庭に連れて行って」というのが彼女の口癖だった。

 彼女のベッドのある部屋からは見ることのできない景色が裏庭にはあった。


 裏庭を埋め尽くす名も知らぬ草花。

 時折気まぐれに、花をつけるのを見るのが少女の数少ない愉しみだった。

 この時は、丁度咲いていた。


 裏庭一面を埋め尽くす、白い花。


「綺麗ね」


 白い花の絨毯を見つめる少女の横顔は儚くも美しかった。

 そんな横顔を見て、少年は決心した。


 ――彼女を救える唯一の可能性は、ありとあらゆる傷と病を癒すとされる神秘の霊薬エリクサーしかなかった。


「俺、冒険者になるよ。冒険者になって神秘の霊薬エリクサーを手に入れる」


 周囲の引き留める声を振り切って、少年は村を飛び出した。



 ◇◇



「その男の子はどうなったの?」


 話にのめり込むあまり身を乗り出してくる孫を布団の中に優しく戻しながら、老人は苦笑いをした。


「どうにもならなかったね。村を出てすぐ、普通に死にかけた」

「えっ?」

「それはそうだ。何の知恵も技能も持たない子供が勢い任せに村を出てどうにかなるとでも思ったかい?」

「ええぇ……。すごいさいのうがあったり、のうりょくにかくせいしたりとかは」

「するわけがない。詩人の吟ずる英雄譚ではないのだからね」

「げんじつはひじょうなのですね」


 どこでそんなことばを覚えてくるのやら、と老人は感心した。


「まあ、それでも少年は幸運だった。死にかけていたところを、偶然出くわした魔法使いに拾われたのだからね」

「まほうつかい!」


 目を輝かせる孫娘。

 楽しんでくれて何よりだ。

 老人は顔に刻まれた皺を深くした。

 

「魔法使いは少年を弟子にした」



◆◆



 弟子入りした少年に最初に与えられた課題は、読み書き計算だった。

 少年は命の恩人である師に口ごたえをした。


師匠せんせい、俺は一日も早く神秘の霊薬エリクサーを見つけなければならないのです!」

「そのためにはまず勉強だ」

「読み書き計算がダンジョン攻略の役に立つのですか!?」

「立たないと思っているうちは話にならんね」

「ぐむむ……」



◇◇◇


「よみかきけーさん、ってぼうけんのやくにたつの?」

「そうした基礎を身に着けることでより多くの知識に触れることができるようになる。少年の目指す者は遥か彼方にある。近道などないのだよ」


 老人の言葉に孫娘は「ええと」と天井あたりに視線をさまよわせた。


「いそがばまわれ、っていうやつ?」

「そういうことだ。少年は焦ってはいけなかった。焦る必要などなかったのだから。師の教えに無駄なことなどひとつもなかったのだから」

「でも、おんなのこのびょうきが」

「そうだね。少年は目に見える結果を欲していた」



◆◆◆



 少年は煮える鍋をじっと見詰めながら、


「そろそろいいんじゃないですかね」

「まだまだ」

「いいと思うんですけど」

「まだまだ。駄目駄目」

師匠せんせい、俺はメシの話をしてるわけじゃないんですが」

「わかっているとも。君が学ぶべきことはまだ多くある。冒険者になるなど十年早い」

「もう二年も教わっています!」

「まだ二年だ。十年待てとは言わないから、もう二年辛抱しなさい」

「……」


 けれど少年は半年後、師匠のもとを飛び出し冒険者になった。



◇◇◇◇



「だいぼうけんがはじまるんだね」

「まあ、大失敗の連続なんだがね」

「ええー……」

「己の力量も弁えずに未踏破のダンジョンに挑んだのだからそうなる」

「だいじょうぶだったの?」

「大丈夫なわけがない。何度も死にかけた」

「うわぁ」

「死ななかったのは偶々たまたまだ。運だけは良かったのだよ、その少年は」



◆◆◆◆



 エルフの大森林。

 古き神々の神殿。

 竜の住まう渓谷。


 生きるか死ぬかの冒険を繰り返し、少年が青年と呼ぶにふさわしい年齢になった頃、彼は一流と呼ばれる存在になっていた。それでも神秘の霊薬エリクサーを発見することはできなかったが。


 青年はもう何年も、故郷に帰っていなかった。

 彼女は無事だろうか。

 無事なはずだ。

 もし何かあれば連絡が届くように手配している。

 だから、彼女が無事でいる間に。早く。


 青年の焦燥は募れども、神秘の霊薬エリクサーはその手がかりすらも見つからないまま、歳月は流れた。



◇◇◇◇◇



「やがて青年は幾つものダンジョンを踏破した功績から、“最奥の探索者ディープシーカー”の二つ名で呼ばれるようになった」

「すごーい!」

「青年にとっては何の慰めにもならないものではあったがね」

「……男の子は、あきらめた?」

「いいや。諦めることはなかったね。諦めの悪さだけでやってきたような男だったからね。そしてついに見つけた」

「えりくさーをみつけたの!?」

「いいや。見つけたのは精製方法レシピだったのだよ」

「レシピ、ってつくりかた……?」

「そう。材料さえ揃えれば、神秘の霊薬エリクサーを精製できる。はずだった」

「はずだった? なにかあったんですか?」

「うん。ひとつだけ、大きな問題があったんだ」



◆◆◆◆◆



 青年は頭を抱えた。

 精製方法レシピが手元にあるというのに、ひとつだけ、どうしても見つからない素材があったのだ。


 千年草の花弁。


 青年は知識神の神殿や王立図書館を訪ね、図鑑や資料を総当たりした。

 けれど発見には至らず、徒労に終わった。

 分かったことといえば千年草は絶滅指定植物ということ。


「見つけ出すのに千年かかるから千年草とは……」


 冗談ではなかった。ようやくここまでこぎ着けたというのに。

 悲嘆にくれる彼に更なる悲報が届けられた。


「彼女が、危篤……?」 


 頭にのぼっていた血の気が一瞬で引いた。





 青年は研鑽の果てに習得した転移魔法を駆使して里帰りをした。

 十数年ぶりの故郷は代わり映えしない姿で彼を迎えた。

 十数年ぶりの彼女はすっかり変わり果ててしまっていた。


「御無沙汰だね」

「ごめん」

「謝らないで。会えて嬉しい」

「ごめん。神秘の霊薬エリクサーはまだ見つけられていない……」

「いいよ。頑張ってくれたのはわかるから。こんな田舎にもキミの二つ名は轟いてるよ」

「ごめん」

「あのね。お願いを聞いてくれる?」

「うん」

「裏庭に、連れて行って」



 ――あの日、彼女を救うと決意した日と同じ光景が、彼の前にあった。

 裏庭一面に咲き誇る、白い花。


「最後にキミとこの景色を見たかったんだ」


 最後になどさせない。

 させてたまるか、と青年は思った。

 そして、目の前に広がる花の絨毯に気付いた。

 気付いたのと同時に、涙が溢れた。


「どうしたの? どうして泣いてるの?」

「こんなところにったのか――」


 彼は泣いた。

 自分の愚かさを呪いながら。

 最後の素材が目の前にある僥倖に感謝しながら。



◇◇◇◇◇◇



「えりくさーのさいごのざいりょうは、裏庭にあったの?」

「そういうことだね。辺境ゆえに誰にも気づかれずにあったのだよ」

「すごい遠回りだったね……」

「そうでもない。無知なままの彼では気付くことさえできなかった。製法を知らねばその白い花が何の素材であるかなどわかりはしない」

「ぼうけんにでたのはまちがいじゃなかった?」

「結果的にはね」

「――あの、それで、女の子はたすかったの?」


 孫娘が問うてきた時、部屋のドアをノックする音がした。

 部屋に入って来たのは老人の妻だった。


「ご飯は食べられるかしら?」

「おばあちゃん!」

「あらあら。元気ねえ。薬はもう飲んだの?」

「えっとね……、まだなの!」

「おじいさん、なにをやってらっしゃるの」

「ワシのせいではないんだがなあ」


 老人はやれやれ、と吐息。

 妻と孫を交互に見やって、孫娘にこう言った。


「さっきの質問だがね、本人に訊いてみるといい」


 と言って自分の妻を指し示した。

 妻は「何の話ですか?」という表情。

 孫娘は「え? ええっ?!」と叫んでベッドから飛び上がった。


「お前が飲むのを嫌がっている薬はね、神秘の霊薬エリクサーを元にして精製つくられた万能薬パナケイアなのだよ。少しは飲んでくれる気になったかね?」


 老人の悪戯っぽい笑みに、孫娘は頬を真っ赤にして何度も何度も頷いたのだった。





(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エリクサーができるまで 江田・K @kouda-kei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ