第30話 刹那に馳せる想い2


 ほんの少し時は遡り、神域の近くの森にて。

 諜報部隊のポンコツの先輩とお喋りの後輩が、なぜか再び神域に訪れようとしていた。


「先輩どうしたんスか、また神域に行こうだなンて。高風聞部隊長にドヤされるっスよ?」

「うるせぇ、なんか胸騒ぎすんだよ。俺たちがなんか、重大な見落としをしているような気がしてなんねーんだ……。誰かが依頼受ける前にもう一度確認すっぞ」

「なんでそんな気になってんスか? あんな気配の薄い霊、見つけづらい以外何もないっスよね?」

「それだよ」

「え?」

「俺たちは非戦闘員だ。それでも聞く見つけるは専売特許の諜報部隊だぞ? なんでそんな俺たちが二人揃って見逃しそうになったんだ?」

「それは……」

「それにお前だって、気配の薄い霊、薄い霊と薄いばっか言ってるが、お前も一度も、あれを『弱い霊』と認識、言ってすらいないだろ。本当に何も感じていないなら、すぐに出るだろそんな言葉」

「…………あ」


 後輩は言われて漸く気づく。自分ですら、無意識にあの霊を弱いと感じていなかったことを。


「で、でも! 二人して勘違いしてるって可能性もあるっスよ? だとしたら俺らの行動は無駄に――」

「無駄になるならそれが一番良いだろ。……いいかよく覚えとけ、俺たちの仕事は確かに戦闘部隊に比べりゃただ見つけるだけの楽な仕事だ。だがな、その分責任も伴うんだよ。いい加減に等級査定なんかしたら下手すりゃ死人が出る。わかるか? 俺たちの仕事は人を殺すことも出来るんだ。それがどんなに恐ろしいことか、肝に銘じるんだな」

「……ッ!」


 頼りないと感じていた先輩の言葉が、いつもよりも沁みる。だが……。


「……つっても先輩、結局は俺らのミスっスよね? 何かっこよく言ってるんスか」

「そこに気づいてしまったか……言わないようにしてたのに……」

「これで今行って誰か依頼受けてたらヤバいっスよね? 俺ら減給もんじゃ済まないんじゃ……」

「それを言うなぁ、頭が痛くなってくる……。というかあれだぞ、お前があんときE級なんて言わなかったらなぁ?! 俺だってもうちょい等級上げたはずだぞ?!」

「ちょ、責任転嫁じゃないっスか! 見苦しいっスよ、折角見直しかけてたのに最悪っス!」

「うるせぇ!! 大体お前いつも――!」

「なんスか、先輩だって――!」


 さっきまでの緊張感は何処へやら、二人は見苦しくも喧嘩をし始める。

 二人がそんな醜い争いに興じているうちに、神域が見えてきた。そこには――。


「――あ、先輩! もう誰かいるっス! 手遅れっスよぉ!」


 灰色の髪をした少年が、既に神域へと踏み入れていた。もう既に、あの霊の近くへと歩み寄っている。


「終わった……間違いなく怒られる……。――いやそれよりも! 早くあいつに知らせるぞ! まだ始まったばかりだ、今ならまだ間に合――」


 そう言って先輩が神域に近づこうとした瞬間。

 少年が目にも留まらぬ速さで二刀を抜き、何かをガードした。金属がぶつかり合う甲高い音が、周囲に響き渡る。

 後輩はそれすら目で追えていなかったが、先輩の男も見えたのはそこまでだった。

 何かをガードしたはずの少年が、いきなり肩から血を噴き、崩れ落ちる。

 そして崩れ落ちた少年の前にはいつの間にか、自分たちが発見した霊が血の付いた日本刀を持って、立っていた。


「んな……っ」

「……ッ!」


 そこで二人は漸く理解する。自分たちでは視認出来ないほどの速さで霊が動き、目の前の少年を攻撃したことを。


「せ、先輩! 予想以上にヤバいっス! 早く助けないと――」

「――あぁ。まず俺が飛び出して陽動を仕掛ける、お前はその隙にあの少年を引きずってでも助けろ!」

「いや先輩闘えないっスよね?! あんなの相手じゃ死――」

「とやかく言ってる場合か! それに俺だって一応霊能者の端くれだ、目眩しや足止めぐらいできる! だからお前は――」

「――やめろ!!!」


 先輩は「あの少年を助けることだけ考えろ」と言おうとした。だが、それは言えなかった。

 それを制止したのが何を隠そう、今から助けようとした少年だったからだ。

 



 二撃目を感知出来ないまま喰らってしまった光は、左肩から腹にまで至る傷から鮮血を噴き出した。思わず力が抜け、地に膝を着く。

 しかし光はその斬られた痛みよりも、驚愕の感情でいっぱいだった。


 敵の攻撃を知覚出来なかったことなど光にとっては初めてであり、そんなことを可能にしているのは光の知っているかぎり師匠たる架ただ一人。

 それは下手をすれば、目の前の幽霊がその域に到達していることを意味していた。

 さらに、ただ動きが速いだけではない。恐ろしく攻撃が正確なのだ。

 初撃は首を捉えた逆袈裟斬りで、それは奇跡的に光が防いだ。だが敵は防がれたと見るやいなやすぐに振り切った刀をほぼ繋ぎ目もなく切り返し、そのまま刀を振り下ろしたのだ。

 その二撃目の傷は深く、光でなければ致命傷になり得るものだ。実際、それを喰らった光は今、立つことが出来なくなっている。


(強い……少なくとも、オレなんかよりも技量・実力は遥かに上だ……。……これは、本当にまずいかもしれないな…………)


 光は力量の差を身をもって痛感していた。

 先程の攻撃も、どうして喰らったかを理解したのは膝を着いてから漸く、というレベル。その技量の差もそうだが、そもそも敵の動きを捉えられていない時点で絶望的だ。

 このまま戦えば、為す術なく殺されるのは目に見えている。


(いや! 弱気になるな……確かに剣だけだったら負けるしかないが、能力を使いながらならオレにも勝機はある……ッ! まず感知系を全て駆使して動きを補足、『捕食者』を使って全力でりにいく――)


 そう考え、光は霊力感知、霊子感知、気配感知といったあらゆる感知技術を発揮した瞬間――後ろの森の中から、誰かが神域に踏み込もうとしていることに気づいた。


「やめろ!!!」

 

 光は思わずそう叫び、神域に入ろうとした者を制止した。

 光が後ろを向くと、そこには黒装束を身につけた二人組が、光の制止の言葉に身を硬直させていた。


(あの服、百鬼夜行の諜報部隊! どうしてこんな所に――いや、もしやこの霊を報告した人達か!? それなら――)


「それ以上ここに入らないで下さい!! 貴方たちも襲われる可能性がある!」

「――いや、そういうわけにもいかない! 君は大怪我しているじゃないか! だから今助けに――」

「オレは大丈夫です! それよりも、貴方たちはこの霊を報告した人で合ってますか?!」


 先輩と後輩の二人は光の「大丈夫」という言葉に怪訝な顔をする。少し離れた場所にいる彼らでも、明らかに大丈夫ではない出血をしているのが見えるからだ。

 しかし、二人を見る光の目は真剣そのもの。それを確認した先輩の男は、心配は消えないまでも少年の思いに応えようと返答を返す。


「あ、あぁ! そうだ!」

「ならこの霊を見つけた時、どれくらいこれに近づいていましたか?! 神域に入っていましたか?!」

「入っ……てはいたが、そんなに近づいてはいない! 精々こっから数歩程度だ!」


 それを聞いた光は思索に入る。


(神域に入ったのにも関わらず、彼らは襲われていない。それは依頼を出せている時点で明らか……。重要なのは、何を理由で襲いかかってくるかだ。オレが死ぬと彼らが襲われる可能性がある……!)


 チラりと霊を見ると、霊の目は未だ光を捉えてはいるが後ろの二人は眼中に無いようだ。しかも、さっきまで話していた光にもずっと隙があったにも関わらず、霊が攻撃することはなかった。今はシンとして動いていない。


(オレが今死に体だからか? まぁ良い、これは好都合だ、今のうちに理由を考えるんだ……!)


 光は襲われる前と襲われた直後のことを思い出して、懸命に理由を探る。


(……殺気か? いや、オレはいつも殺気を出さないように心がけているし、出ていてもそんな量はないはず。それに、そもそも刀に手をかける前から襲ってきたんだ、殺気を出しようもない。また、敵意だったらまだ有り得るが、それは後ろの二人も出している。敵意に反応しているのならとっくに襲われているはずだ……)


「……やっぱり、近づいているか否か、か?」


 情報が少ない現状、そう判断するしかない。だが、それが一番有力な説であるのも確かだ。


 怪異の中には、一定の範囲内に入った者を攻撃する、という特性を持つ者もいる。

 地縛霊などが良い例で、地縛霊や怨霊などは一定範囲内に入ってきた者を襲う、若しくは取り憑いて道連れにするのが一般的。そういった怪異は少なくない。その範囲のことを、Tフィールドと霊能者は呼んでいる(決してA〇フィールドではない。決して)。

 これは小説家であり超心理学者オカルティストでもあったコリン・ウィルソンが名付けたもので、元々、自殺の名所などといった人間の負のエネルギーや感情、「悪想念」が残留思念として残った場所のことをそう呼んだ。彼は霊能者でもなかったにも関わらず霊能者たちの解釈と同レベルの理解と説明をしたため、その功績を讃え霊能者界隈でもこの呼び名が使われるようになった。

 そんな攻撃範囲Tフィールドを、この霊も持っている可能性があるのだ。


(ただ、この霊の場合、全くもって負の感情を感じないんだよな……。敵意や殺意は感じるのに、それ以外は全然……気配どころか感情さえも希薄なのか?)


 霊が攻撃範囲を有する場合、基本は負の感情が起因している。しかし光の言ったように霊からは負の感情が一切出ていない。

 もちろんその他の怪異の場合ならその一概に言うことは出来ないが、少なくとも負の感情を持たずに攻撃範囲を有している霊は報告されていないのだ。


(……これ以上考えても憶測でしかない、か。だが、一つ分かっていることはある。――オレが死ぬ死なないに関わらず、後ろの二人が襲われる危険性は無くならないってことだ。何としてでも、勝たなきゃならない……ッ!)


 光は再び後ろを向き、二人に声をかける。


「とりあえず、そこからは出ないで下さい! まだ少し近づいても余裕はあるかもしれないですが、安全は保証出来ません! だからできるだけ離れて下さい!」

「き、君はどうするんだ!? そんな怪我じゃ君はもう……!」

「何度も言いますが、オレは大丈夫です! ですが、お願いがあ――ゴホッ!?」


 「お願いがあります」、そう言おうとした時、光は吐血した。

 倒れることはなかったが、光は体から急速に力が失われていく感覚に襲われた。


(く、致命傷なのは分かっていたが、ここまで深いとは……! 本当に恐ろしいな、こいつ……!)


「お、おい! 全然大丈夫じゃないじゃないか!! 早くこっちに来い! 俺が時間稼ぎをする、だから……!」

「本当に大丈夫です! ……貴方達こそ、これに襲われる危険性がある。自分の心配をしてください」

「だが……!」

「……ただ、一つお願いがあります。 応援を、呼んで下さい。オレはそれまで時間稼ぎをします。一応勝ちにはいきますが……念の為、お願いします」


 光の、未だ諦めていない目を見た先輩の男は泣きそうな顔をした。そして、それ以上ごねることはなかった。


「……分かった。任せてくれ。そんなことならいくらでも。…………一つ、謝らせてくれ。すまない、俺らがヘマをしたせいで……ッ!」

「……大丈夫です。オレは、死にませんから」


 光はそう言うと、抜けた力を無理矢理入れて踏み込み、攻撃に入る。霊は少し驚きの感情を見せつつも、その迎撃に入った。

 その間に、先輩の男が無線を繋げようとする。

 しかし、それに後輩が難色を示した。


「ちょ、先輩、良いんすか!?」

「馬鹿野郎! 少年があんな怪我までして必死で戦ってるうえに頼まれたらやるに決まって――」

「違うっス、そうじゃなくて……アレは『捕食者』っスよ? ほんとに呼ぶ必要なんてあるんスか?」

「――え? あれが、『捕食者プレデター』……? いや確かに『捕食者』は十五の少年と聞くが、あの少年がそうだとは……」

「いや、間違いないっス。あの灰色の髪に、チラッとしか見えた金眼はソレの特徴っス。だとしたら応援なんて必要ないはずっスよ。アレは十二の頃でさえ、推定脅威度A-の怪異を一方的に殺した化け物なんスから」


 それを聞いた先輩は押し黙り、応援を呼ぶかどうかを躊躇ってしまう。

 直接関係がない諜報部隊の彼でさえそうなってしまう程、光は嫌われ、畏怖されていた。それ程までに強く、また、特別だからだ。


「……だとしても、その化け物が勝てるかどうか分からないなんて言ってるんだぞ……? やっぱ呼んだ方が――」


 そう躊躇いながらも、先輩が神域に目を向けたその瞬間。


「――ぁ」


 先輩と後輩は、敵の攻撃で光の首が宙に舞うのを、目撃した――。

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怪物揺光譚 黒鵜 静奈 @kurousizuna

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