春待月に

有理

春待月に


「春待月に」(はるまちつき に)



白石 恭平(しらいし きょうへい)

原 紗栄子(はら さえこ)



紗栄子N「花を買ってきてほしい。先生は必ず私に言う」

恭平N「分厚い雲。空の君は何をしているんだろう。」

紗栄子N「季節外れの風鈴、都会から少し離れた平屋の家。」

恭平N「今月の僕は筆が進まない。」


紗栄子「こんにちは。」

恭平「原稿はまだです。」

紗栄子「挨拶もなしですか先生。」

恭平「はあ。」


紗栄子N「線が細くて猫背の彼は、今日も無愛想だ」



………………………………………………


紗栄子「お疲れみたいですね?先生。」

恭平「疲れてるわけじゃないですよ。脳みそが停止してるんです。」

紗栄子「それを疲れてるって言うんじゃないですか?あ、お花刺していいですか?」

恭平「ああ、すみません。僕やりますよ。いつもありがとうございます。」

紗栄子「いえ。ではお茶でも淹れましょうか。」

恭平「昨日鈴ちゃんが買ってきた紅茶がその棚に」

紗栄子「ああ、わかりました。」

恭平「原さんも適当に座って下さい。」


紗栄子N「そう言って、私の買ってきた花を大事そうに受け取り花瓶に刺す手つきは慣れたものだった。間藤 恭平、ベストセラー作家である。恋愛小説からミステリー、官能小説まで書き漁る彼はどの出版社からも引っ張りだこ。他社からの営業が絶えないという。」


恭平「礼ちゃん、これ。」


紗栄子N「ダイニングテーブルに置かれた写真に話しかける先生の顔は穏やかで優しくて、私はこの顔に慣れるのに随分と時間がかかった。」


恭平「…原さん?」

紗栄子「あ、すみません。」

恭平「原さんも疲れてます?」

紗栄子「いえ。礼、幸せそうだなと、思いまして。」

恭平「今日みたいな曇りの日はきっと隠れて酒でも飲んでますよ。」

紗栄子「似合いますねそれ。」

恭平「ですよね。」


紗栄子N「白石 礼、私の同級生は一昨年病気で亡くなった。礼の結婚相手がこの作家先生だと知ったのは礼の告別式の時だった。」


………………………………………………


恭平「鈴ちゃん。あの池、鯉がいるって。見ててもいいよ。」


紗栄子「…間藤、恭平さん?」

恭平「はい。」

紗栄子「資生社の原です。いつもお世話になっております。」

恭平「ああ、資生社の。」

紗栄子「えっと、礼とお知り合いだったんですか?」

恭平「お知り合いというか、」


恭平「夫です。」


紗栄子「え?!」

恭平「ほら、喪主の。」

紗栄子「え、あ、の、その、」

恭平「礼ちゃんとは、」

紗栄子「友人です、高校からの同級生で」

恭平「そうですか。お忙しいところありがとうございます。」

紗栄子「…この度は、何と言ったらいいか、」

恭平「いえ。」

紗栄子「まさかこんなかたちでお会いすると思ってなかったものですから、」

恭平「僕もです。…鈴ちゃん、あんまり覗き込んだら落ちちゃうよ。」

紗栄子「…お子さんですか?」

恭平「はい。」

紗栄子「ショック、受けてますよね。」

恭平「きっと。僕にはあまりみせないですが。」

紗栄子「…。」

恭平「よかったら、これ。」

紗栄子「…え」

恭平「目元、マスカラが。」

紗栄子「あ、すみません。」

恭平「…ありがとうございます。礼のために。」

紗栄子「っ、」

恭平「あ、鈴ちゃん触っちゃダメだよ、」


紗栄子N「誰よりも目元の赤い間藤先生は、小走りで鈴音ちゃんの方へ駆け寄って行く。その姿を見ているとやっと止まっていた涙が思い出したかのようにまた溢れた。」


……………………………………………



恭平「…なんですか?」

紗栄子「いえ。なんでもありません。」

恭平「もしかして原さんもお酒を…」

紗栄子「勤務中は飲みません。」

恭平「そうですよね。」

紗栄子「それより先生。進捗を伺いたくてですね。」

恭平「…原稿はまだです。」

紗栄子「締切はまだ先ですから、ご安心ください。でも、珍しいですね少しペースが遅いのは。」

恭平「…考え事してて。」

紗栄子「考え事?」

恭平「もう、夜も眠れないんです。」

紗栄子「えっと、私でよければお話聞きますが…」

恭平「鈴ちゃんのことで。悩んでまして。」

紗栄子「深刻そうですね…」

恭平「はい。本当にどうしたらいいか…」


紗栄子N「俯き、頭を抱える先生。ごくり、と音をたてて緊張を飲み込んだ。」


恭平「…わからないんです。」


恭平「クリスマスプレゼント、何をあげたらいいのか。」


紗栄子「…へ?」

恭平「去年までは、お母さんも一緒に考えてくれてたんです。」

紗栄子「え、あの」

恭平「なのに、急に今年から恭平さんに任せるーなんて言い出しちゃって。」

紗栄子「クリスマスプレゼント、ですか?」

恭平「はい。もう、頭の中はそれでいっぱいで。」

紗栄子「鈴音ちゃんの?」

恭平「そうです。」

紗栄子「…」

恭平「原さん?」

紗栄子「はあああ。」

恭平「…何ですか?」

紗栄子「心配して損しました。」

恭平「大事ですよ。」

紗栄子「…」

恭平「子供の夢を壊してしまうかもしれないんですよ?我が子の夢を。」

紗栄子「…一緒に考えましょうか。」

恭平「いいんですか?」

紗栄子「原稿が進まないのは困りますし。」

恭平「本当にありがとうございます」

紗栄子「いえ。お力になれれば。」

恭平「出版社の方に礼ちゃんの知り合いがいてよかった。」

紗栄子「偶然ですね。」

恭平「いえ、礼ちゃんが結んでくれたんですよ。きっと。」


紗栄子N「感情の伝わりにくいポーカーフェイスが緩むのは、いつも礼を思っている時だった。どこか羨ましくて、」


恭平「ぬいぐるみでも喜びますか?」

紗栄子「あれ?鈴音ちゃんいくつでしたっけ?」

恭平「もうすぐ中学生になります。」

紗栄子「じゃあ、ぬいぐるみはちょっと…」

恭平「え?!…ゾウでもダメ、ですか?」


紗栄子N「あたたかい家庭は苦手なはずなのに。少し憧れた。」


……………………………………………


恭平N「礼ちゃんが生きていたら、そう考える日は今でもなくならない。ただ、料理だけは上手くならない僕のためにキッチンに立ってくれる鈴ちゃんを見ていると、なんとなく強くなれる気がしていた。」


紗栄子「先生、こんにちは。」


恭平N「偶然礼ちゃんの告別式で出会ったこの原さん。出版社勤務だと聞いてから、よく挨拶するようになった。仕事も早いし気も回るから、つい頼りにしてしまう。」


紗栄子「今日は、可愛いチューリップが花屋さんにありまして、」


恭平N「人当たりが良く、しっかりしているのにどこか危なげで。」


紗栄子「あ、礼嫌いでした?チューリップ」

恭平「いえ、可愛いですね。ピンクで。」

紗栄子「でしょう?鈴音ちゃんも気に入るといいですが。」

恭平「そうですね。」


紗栄子「プレゼント、いくつか同世代に人気のあるものピックアップしてきました。」

恭平「ああ、すみません。お手間を」

紗栄子「いえいえ。私も調べてて楽しかったです。」

恭平「…これは、なんですか?」

紗栄子「ああ、花のリップクリームですね。お化粧もし始める頃かなと思いまして。」

恭平「はあ、」

紗栄子「あ、でもメイクセットを父親から渡すっていうのは抵抗ありますかね?」

恭平「いえ、そういうつもりではなくて。もうそういう年になるのかと思いまして。」

紗栄子「年頃ですね。」

恭平「はあ、」

紗栄子「…私は、」

恭平「?」

紗栄子「ゾウのぬいぐるみでもいいと思いますよ?」

恭平「いやでも、欲しいものが欲しいでしょうし。」

紗栄子「お父さんからのプレゼントってだけで嬉しいものかもしれないですよ?」

恭平「原さんは、もらったら嬉しいですか?」

紗栄子「…まあ。嬉しい、かもしれませんね。貰ったことがないので分かりませんけど。」

恭平「僕も貰ったことがありません。」

紗栄子「あはは。参考にならない大人達ですね。」

恭平「たしかに。」


紗栄子「でも、嬉しいです。私のことを考えて送ってくれたものなら、なんでも。」


恭平N「原さんは俯きながら優しく微笑んだ。憂いを帯びたその瞳は、どこか礼ちゃんを思い出す。」


紗栄子「先生は、今幸せですか?」

恭平「はい。過去よりは、とっても。」

紗栄子「そうですか。」

恭平「原さんは幸せではないんですね。」

紗栄子「私幸せって慣れなくて。今がちょうど心地いいんです。」

恭平「それは、幸せということですね。」

紗栄子「え?」

恭平「世間から見た幸せとは違うかもしれませんが、原さんにとっては満たされているということでしょう。」

紗栄子「満たされている、というか」

恭平「心地がいいことは幸せなことではないですか?」

紗栄子「まあ、はい。」

恭平「人には加減があります。多すぎる幸せは重苦しいですし、少ないとそれはそれで寂しい。匙加減が難しいですが、今が心地がいいならいい塩梅が取れているんじゃないでしょうか。」

紗栄子「…そう、ですね。ええ。そうかもしれません。」

恭平「僕は礼ちゃんが旅立ってしまったあとそりゃ悲しくて後でも追ってやろうかと思いました。でも鈴ちゃんのおかげで今もこうやって書いてます。」

紗栄子「はい。」

恭平「だから原さんは、僕と同じ、幸せです。」


紗栄子N「今まで好きになれなかった幸せという言葉が抵抗なく浸透していった。」


恭平「喉が渇きましたね。たくさん話すとすぐこうだ。」

紗栄子「さすが作家先生。言葉選びが素敵ですね。」

恭平「まあ、これで食べてますから少しくらいは。」

紗栄子「なんか今とてもスッキリしました。」

恭平「それはよかったです。」


紗栄子「先生。私いいことを思いつきました。」

恭平「え!何ですか?」

紗栄子「鈴音ちゃんと一緒にお買い物に行かれてはどうでしょうか。」

恭平「…買い物、ですか?」

紗栄子「はい。サプライズではなくなってしまいますが。一緒に選ぶのはいかがですか?」

恭平「はあ、買い物…」

紗栄子「出不精だからこそです。」

恭平「まあ、鈴ちゃんの好きなものは買えるでしょうが…」

紗栄子「先生。私、考えてみたんです。父親からのプレゼントなんて貰ったことなかったですが、当時の私は何が欲しかっただろうって。」

恭平「はい。」

紗栄子「…時間です。」

恭平「時間?」

紗栄子「父親と一緒にいられる時間が欲しかったんです。デパートでも、そこのコンビニでも。どこでもいいから一緒にいたかったんです。」

恭平「そう、ですか。」

紗栄子「鈴音ちゃん。きっと喜んでくれると思います。」

恭平「…そうですね。そう、言ってみようかな。」

紗栄子「はい。」

恭平「原さん、ありがとうございます。」

紗栄子「いえ。私の方こそ、ありがとうございます。」

恭平「え?」

紗栄子「私、あたたかい家族ってあまり好きではなかったんですが、先生を見ていると少し憧れてしまいました。」

恭平「あたたかい家族にみえますか?僕たちは。」

紗栄子「ええ。羨ましくて妬ましいくらい。素敵です」

恭平「はは。原さんも言葉選びが上手ですね。」

紗栄子「お褒めの言葉をありがとうございます。」

恭平「明日には、原稿を。」

紗栄子「はい。また伺います。」

恭平「…百合を。」

紗栄子「はい?」

恭平「明日は百合をお願いします。礼ちゃんが1番好きな花なので。」

紗栄子「はい。1番綺麗なものを選んできます。」


恭平「もしもし。鈴ちゃん?あの、今年のクリスマスはお友達と予定ある?」


紗栄子N「礼。あんた、いい旦那さん見つけたんだね」


恭平「あ、よ、よかったら僕と買い物でも行かない?」


紗栄子N「雲間から差す光は風鈴をきらきら鳴らす」


恭平「原さん、鈴ちゃん、いいよって!」


紗栄子N「春待月に。」

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春待月に 有理 @lily000

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