第35話 そして、勇者は旅に出る(最終話)


 フェリナの手前、王都ヒンメルまではどうにか持ちこたえたデインだったが、フェリナと別れ、客室に案内されたところでぶっ倒れた。


 意識が戻るまでに三日、立って歩けるようになるまでさらに丸二日を要した。

 体力の衰えは旅の間に嫌というほどに実感させられていたが、この回復の遅さには歯痒い思いをさせられた。


 そして、さらに一日の休養を経て、デインは寝間着から旅装束に着替えた。

 元々、古かった旅装束は、これまでの旅でさらにくたびれていた。客用の上等な着替えは用意されていたのだが、それは着なかった。

 高価な服は似合いもしなければ肌にも合わないという理由もあったが、デインが旅装束に着替えた一番の理由は、単純だった。


 旅に、出るからだ。


 旅支度を整えたデインは、玉座の間へと赴いた。


※※※


「行ってしまわれるのですね」


 デインの格好を認めたフェリナの第一声は、それだった。

 二つ並んだ玉座に座しているのは、フェリナ一人。国王の姿はない。


 国王は救出され、意識を取り戻しはしたものの、未だ朦朧とした状態が続いているのだという。

 国王に与えられていた薬は、やはり魔人の魔術で作られたものらしく、薬を絶ったからといって簡単には回復しないらしい。

 解薬を作るにも時間がかかるだろうということだった。


「はい」


 フェリナの表情は寂しげで、デインはばつの悪さを覚えつつも、片膝をついて頷いた。


「シュナイデルが言ってた、大陸の西っ側の動きも気になりますし、他にも引っかかることがあるので」


 デインの脳裏には、例の赤い眼のからすが浮かんでいた。

 あれは、シュナイデルの――ひいてはヴィルガイムの手先だったはずだが、何か別の意思を感じる。放置しておくべきではないと、剣士としての勘が告げていた。


「それに、その……勇者ってのは、旅をするもんですから」

「本音を言えば、あなたにはアズール王国に留まってほしいのですが、それは叶わないのでしょうね」


 デインは後頭部を掻き、「すいません」と頭を下げた。


「あなたは、いつも私の前からいなくなってしまう」

「……すいません」


 デインは、さらに深く頭を下げる。


「それで、えっと……シュナイデルは」

「状態に変わりはありません」


 シュナイデルは未だ目を覚ましていなかった。


「心臓は動いています。息もしています。ですが、身体は死人のように冷たく、強ばっています」


 その状態を、フェリナは「まるで生きていながら死んでいるかのようです」と表現した。

 魔人の血を摂取した副作用、あるいは魔人の武具を使用した後遺症ということなのだろう。


「本当に死んだわけじゃないなら、まだ望みはあるってことですね」

「あなたは、彼を救いたいのですね」

「……はい」


 フェリナにとって、シュナイデルは夫の意志を奪い、利用した張本人だ。

 そんなシュナイデルをデインが案じているのは、彼女にとっては面白くないだろう。


「俺は、二十年間山に引きこもっていたことで、多くの失敗をしました。シュナイデルのことも、その一つです。あいつとは、もっと早く会ってなきゃいけなかった。俺は、どうしてもあいつを救って、ちゃんと向き合いたいんです。でなきゃ、俺は勇者にはなれない」


 フェリナが、少し困ったように微笑んだ。


「わかりました。彼の者を救う方法を、こちらでも探してみましょう」

「……ありがとうございます」


 シュナイデルを回復させる方法は、無論、デインも探すつもりでいたが、フェリナが協力してくれるのであれば、これほど心強いことはない。

 だが、心配なこともあった。フェリナの負担だ。


 国王が復帰するまでの間は、アズールのまつりごとはフェリナが執り行うことになる。

 世話をしてくれた侍女が色々と教えてくれたが、城では、シュナイデルを信奉し、軍による政権奪取を望むシュナイデル派と、軍が権力を得ることを良しとせず、あくまでも王による統治を望む王妃派が反目し合っているという。


 シュナイデルは魔人との戦いで深刻な重傷を負ったということになっている。

 それは概ね事実なわけだが、シュナイデル派の中には、シュナイデルはフェリナによって謀殺されたのだと噂をしている者もいるのだという。


 軍が敵対しているというのは、厄介な状況だ。


「ご心配なく」


 見透かしたように、フェリナは言った。


「軍にも信頼の置ける者は多くいます。それに、頼りになる娘もいますから」


 そして、王女を視線で示した。


 王女――ソラは、フェリナの傍らに控えていた。

 ソラは旅装束ではなく、王女らしい瀟洒なドレスに身を包んでいる。

 その姿は、見慣れた旅装束姿よりもしっくりきていて、改めて、本物の姫君なのだと思い知らされる。


 隣にはラシャの姿もあった。

 旅の間、鎧の類は身につけていなかったラシャだが、今はアズール王国の紋章が刻印された金属製の胸当てを装着していた。まとめ上げていた髪も緩く束ねて下ろしている。

 傷もすっかり治ったらしい。フェリナの魔法がよく効いたというのもあるだろうが、羨ましいほどの回復力だ。


 ふたりに会うのは六日ぶりだった。


 デインが目を覚ましてから、ソラとラシャは何度もデインの客室に足を運んでいたのだが、その度にデインが面会を拒んでいたのだった。

 ふたりの顔を見たら、一人で旅立つ決意が鈍ってしまうと思ったのだ。


「デイン……」


 それまで黙っていたソラが、口を開いた。

 デインは首を横に振り、口の前に人差し指を立てて、「それ以上言うな」という意思を伝えた。


 ソラはその意を汲んで、言葉を呑む。


「おまえ……じゃなく、姫様……」


 デインは後頭部を掻いて、言い直す。


「もう、おまえって呼ばせてもらう。おまえには、この城でやるべきことがある。だろ? ラシャ、あんたもだ」

「デイン殿……」


 ソラとラシャには、フェリナを支えてもらわなければならない。


「こんなおっさんに付き合う必要はもうない。俺は一人で大丈夫だ」

「しかし……」

「ラシャ」


 フェリナの優しい声が、ラシャを制した。


「デイン様」


 その声が、デインに向けられる。


「二十年前とは、違うのですね。今のあなたは、あの時とは違い、前向きな気持ちで旅立とうとしている。勇者の新たな門出を、私は心から嬉しく思います」


 そして、フェリナはたおやかに微笑んだ。

 改めて、デインは頭を深く垂れた。


「この城で、私はいつまでもあなたの帰りを待っています」

「帰ってきます。必ず」


 デインは顔を上げ、気を抜くとすぐに丸まってしまう背中をしゃんと伸ばして、喉に力を入れて声を出した。


「いってきます」


※※※


 最上階のテラスから街への道を、ソラは陰を帯びた表情で見下ろしていた。


 間もなく、眼下の道をデインが通るはずだ。

 ついていくことができないのなら、せめて見送りたかったソラだが、デインはそれさえも許してくれなかった。


 決意が鈍ってしまうと考えたのだろう。この三日間、会ってくれなかったのも同じ理由なのだとわかっている。


 デインは、本来、孤独に向いた人ではない。

 群れることは好まないが、守りたいと思う人、あるいは支えになってくれる人が傍にいることで、力強く生きていける人なのだ。

 そんな彼にとって、二十年もの孤独は、まさに地獄のような日々だっただろう。


「これでよかったのですか、姫様」


 後ろに控えていたラシャからの問いかけに、ソラは首を横に振る。


 ついていきたかった。だが、自分はアズールの王女として、国のことを最優先に考えなければならない。母を一人にはできない。


 ついてこいと言ってほしかった。王女の立場をかなぐり捨ててでも俺の傍にいろと、強く求めてほしかった。


「ソラ」


 後ろからの声に、ソラは振り返った。

 母、フェリナの姿がそこにあった。ラシャが一歩引いて頭を垂れる。


「お母様……」


 フェリナは微笑み、言った。


「こんなところにいてどうするのですか。恋は、受け身になったら負けだと教えたはずですよ?」


 ソラは目を丸くする。


「お母様……?」

「ふふっ。先ほどは、少しいじわるをしてしまいましたね。あなたなら、彼に付いていきたいと願い出ると思ったのですが」


 フェリナはソラに歩み寄り、娘をふわりと包むように抱きしめた。


「ありがとう、ソラ。アズールと私のために残ってくれた気持ち、心から嬉しく思います。ですが、あなたはあなたの心のままに生きていいのですよ」

「で、でも……っ」

「自分の果たせなかった想いを子に託す。これは、親のわがままです。あなたにとっては重荷かもしれません。それでも、あなたには、あの日の私と同じ後悔をしてほしくないのです」


 フェリナはソラの両肩に手を載せて、軽く身を離した。そして、ソラと同じ空色の瞳に娘を映し、言った。


「ソラ。あなたの瞳には、どんな未来が映っていますか?」


 母からの問いに、ソラは目を閉じ――呼吸一つ分の間の後に、瞼を上げて答えた。


「天眼は、なにも。それでも、わたしには、デインが再び世界を救い、人々から称えられる未来が見えています」


 あるいは、それはただの夢想なのかもしれない。けれど、ソラはその未来は必ず現実のものになると確信していた。

 愛する人を信じることに、根拠なんて必要ない。


「では、その未来のデイン様の傍らには、誰がいますか?」

「わたしが」


 ソラは大きく目を開いて、言い切る。


「わたしが、います」

「ならば、もう迷う必要はありませんね。私の心配は無用です」

「お母様……」

「いきなさい、ソラ。もう二度と、あの人が孤独にならないように」


 ソラは意を決し、深く頷いた。


「ラシャ。ソラを頼みますよ」

「はっ! この命に代えても、姫様とデイン殿をお守り致します!」


 ラシャの返答に、迷いはなかった。

 ラシャもまた、デインに付いていきたいという思いを抱いていたことを、ソラは知っている。


「お母様、ソラはいってまいります」


 フェリナは微笑み頷いて、ソラを外へ誘うように一歩下がった。


 母が示してくれた道を、ソラはラシャを伴い、走る。


※※※


 青い空が心地いい。

 旅立ちには、絶好の日和だった。


 山を下りてすぐの頃は、晴天を心地いいと感じることもなかった。

 空の青さも太陽の眩しさも、この世のなにもかもが自分を責めているように思えてならなかった。

 世界が自分という存在を否定しているように感じていた。


 だが、今は、青い空の下を、眩しい太陽の下を、力強く歩んでいける。

 世界が自分を否定していたのではなく、自分が世界を恐れすぎていたのだと思い知った。


(おまえが教えてくれたんだよ、ソラ)


 今はもう傍らにいない少女に向けて、デインは心で語りかける。


(俺が、まだ終わった人間じゃないってことを、おまえが教えてくれたんだ。夢を、希望を抱いて生きていってもいいんだって、おまえが教えてくれたんだ)


 デインは城のほうを振り返ろうとして、やめた。

 城のテラスから、ソラが見送ってくれているかもしれないからだ。

 後ろを振り向く姿を、ソラには見せたくなかった。

 見せたいのは、しっかりと前に向かって進んでいく背中だ。かっこいい背中だ。


 だから、デインは振り返ることなく片方の手を拳にして、蒼天に向けて高く突き上げた。


 石畳を踏みしめ、かつて勇者と呼ばれた男は往く。


 今度こそ、本物の勇者になるために。


 第二の人生は、新たなる旅は、始まったばかり。


 駆けてくる二つの足音にデインが気づくのは、もう少しだけ後のことだ。


                                   〈終〉



※※※※※※※※※※


 著者です。

『灰かぶりの勇者と暁の姫』は、ここでひとまず完結となります。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 勇者デインの絶望と希望の物語に、少しでも何かを感じてもらえたのでしたら幸いです。

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灰かぶりの勇者と暁の姫 志村一矢 @kazuya_shimura

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