第34話 少女が連れてきた夜明け
二十年ぶりに
変わらないどころか、少女の頃より、その美しさにはさらに磨きがかかったように思える。
痩せ衰え、灰を被ったような白髪頭を見られるのが忍びなく、デインは思わず顔を背けてしまう。
「デイン様」
そんなデインに、フェリナのたおやかな声が降りかかる。
やむなく、デインは面を向ける。
フェリナは馬を下り、デインに抱えられているソラを見た。
「ソラ……じゃなく、えっと、ソラ姫様は無事です。いや、まったく無事ってわけじゃないんですけど。目から血とか出てるし。でも、その、命に別状はない……はずです」
デインの腕の上で、ソラは安らかな寝息を立てている。表情も、まるで幸せな夢を見ているかのように穏やかだ。
「そうですか」
フェリナは頷いて、
「この子は、あなたのお役に立てたのですね」
「それは、はい……とても」
フェリナは娘の頭を軽く撫で、それからデインに向き直り、言った。
「おかえりなさい」
デインは苦笑し、果たしてこう返すのが正しいのかと迷いつつ、
「ただいま、です」
と、返した。
微笑むフェリナの後方には、アズール王国の兵士たちが控えている。
「あー……」
やはり、どうにもフェリナを直視できないデインは、目を泳がせる。両手で顔を覆ってしまいたかったが、ソラを抱えているからそれはできない。
「デイン様?」
「あんまり見ないでください。老けてしょぼくれちまった顔を見られるのは、ばつが悪くって」
「歳をとったのはお互い様です。それに、あなたはしょぼくれてなんていない。私が憧れ、焦がれたあの頃と変わらず、素敵ですよ。さあ、どうかお顔をよく見せてください」
「はは……」
観念するしかない。デインは改めてフェリナに顔を向けた。
間近で見るフェリナは、年齢を重ねた美しさの中に、少女の頃の面影を色濃く残していた。
(ああ、フェリナ様だ……)
懐かしさに、胸が潰れそうになる。
話したいことは山とあるはずなのに、何も言葉が出ない。
フェリナも同じなのだろう。潤んだ瞳でデインを見つめるばかりで、フェリナの口から言葉は出てこない。
「えっと、あの……フェリナ様は、なぜここに?」
デインの問いかけに、フェリナは両の目に滲む涙を指で拭って答えた。
「シュナイデルが単身で城を出たという報告を受けて、追ったのです」
兵に追わせるのではなく、フェリナ自らが兵を率いてきたということは、シュナイデルと戦うつもりだったのだろう。
実際、フェリナは華美なドレスではなく戦闘用の魔法衣に身を包んでいる。連れてきた兵士たちも、彼女に忠実な精鋭たちなのだろう。
「シュナイデルは……」
「あそこです」
デインは意識なく横たわっているシュナイデルを視線で示した。
「シュナイデルは生きてます」
そして、事のあらましを、たどたどしく説明した。
「魔の鎧……
「俺も驚きました」
「シュナイデルはヴィルガイムに操られていたのでしょうか」
デインは首を横に振った。
「
すべてヴィルガイムのせいにしてしまえばシュナイデルの罪を少しは軽くしてやれるのだろうが、嘘はつけない。シュナイデル本人もそれは望まないだろう。
「旦那さん……じゃなく、国王陛下は、薬で正気を奪われていたみたいです」
「やはり、そうですか」
フェリナは数名の兵士を呼び寄せ、彼らにシュナイデルの側近の捕縛と国王の救出、そして、薬の捜索を命じた。
部下に指示を出している間は凛として威厳に満ちていたフェリナだが、
「薬を見つけて成分を調べれば、解薬も作れましょう」
デインに向けてそう言った時には、目頭に涙を滲ませていた。
心から夫を案じているのだ。
ソラが言っていたとおり、フェリナと国王の間には、夫婦としてのたしかな愛情が存在するのだろう。
フェリナは昔と変わらず美しいが、彼女は妻となり母となり、王妃としての威厳をも身につけた。
今のフェリナはもう、デインの知る可憐な姫君ではないのだ。
二十年という時の長さと重みを、改めて実感してしまう。
「デイン様、心より感謝致します。あなたはまたしても、アズール王国と……そして、私を救ってくれた」
涙を拭い、フェリナが言う。
「ソラ……ソラ姫様のおかげですよ」
「どうぞ、呼び捨てにしてやってください」
苦笑して、デインは腕の中の少女を見やる。
「本当に、全部、ソラのおかげなんです」
年齢的にまだまだ小娘のソラだが、寝顔はさらにあどけない。
「この二十年、俺はずっと夜の闇の中にいました」
言葉を交わす相手もなく、生き甲斐と呼べるものもない。
ただ、漫然と生きるだけの日々。
身体は老い、心はすり減っていくばかり。
自ら命を絶つ踏ん切りもつかず、明けない夜の闇の中で、ただ死を待っていた。
だが、そんな暗く深い闇に、一筋の光が射し込んだ。
ソラだ。
「ソラが、俺に夜明けを連れてきてくれたんです」
デインは、先ほどソラに言おうとして呑み込んだ言葉を、改めて口にする。
「ソラは、俺の太陽です」
人が生きていくには光が必要だ。
愛おしいと思える誰か、何か。叶えたい夢。果たしたい目的。
それらが何もない人生は、闇だ。
闇の中では、人は容易に己の価値を見失う。
自分は生きていていいのだと、ここにいていいのだと、己を肯定できなくなる。
ソラは、デインに期待し、信じ、慕い、そして未来を示してくれた。
圧倒的な光で、デインの暗闇を打ち払ってくれた。
「私も、この子に感謝しています」
フェリナが言う。
「私は、デイン様が去ったあの日から、ずっと後悔していました。無理を言ってでも、あなたを引き留めるべきだったと。あなたを孤独にするべきではなかったと」
「フェリナ様……」
「私は、この子に私が教えられるすべてを教えました。親のエゴだということは重々わかっています。それでも、私は期待せずにはいられませんでした。いつかこの子が、あなたを再び光の当たる場所に連れ戻してくれることを。……願いは、叶いました」
フェリナのたおやかな微笑みと声が、デインを包む。
「勇者デインの帰還を、私、フェリナ=ピア=アズールは、心から嬉しく思います。改めて、おかえりなさい、デイン様」
デインは深く深く頭を下げた。ソラを抱えていなければ地面に額を擦りつけていただろう。
「頭を上げてください。救われたのは、私たちアズールの民なのですから」
許しを得て、デインは頭を上げる。そして、心の中で、「救われたのは、俺のほうですよ」と返した。
「さあ、城に戻りましょう」
「はい。……あ、あっちにラシャが倒れています。深手を負っているので、治療を」
「承知しました。私が『
鬼人の血が流れているラシャは人間よりも頑強だが、それを差し引いても、よく生きていられると驚かずにはいられないほどに傷ついている。
応急処置では間に合わないかもしれないという不安があったのだが、フェリナが魔法で治療してくれるというのであれば安心だ。
「それから、えっと……」
「シュナイデル、ですね」
「は、はい」
「彼も治療しましょう。念のため、拘束はしなければなりませんが……」
「もちろんです。ありがとうございます」
「彼は罪人ではありますが、魔王軍の残党を数多く打ち払った英雄でもあります。城にも彼の信奉者は多くいます。無下には扱えません」
デインは察する。フェリナは、ただ温情でシュナイデルを生かそうとしているわけではないのだ。
シュナイデルが死ねば、彼の忠実な部下や彼に心酔する者たちが何をしでかすかわからない。フェリナはそうした事態を避けるためにも、シュナイデルを、ひとまずは生かしておきたいのだろう。
それでもかまわなかった。生きていなければ罰を受けることも罪を償うこともできないのだから。
シュナイデルのほうを振り返ろうとしたデインの視界の上端で、何かが動いた。
デインは視線を空に向け、見た。
鴉だ。赤い眼をした鴉が旋回していた。
王都ヒンメルを目指すデインたちを、つかず離れずの距離から監視していた、あの鴉だ。
デインの視線に気づいた鴉は、赤い眼を笑むように細めると、ヒンメルとは逆の方向に飛び去っていった。
彼方の空を見つめ、デインは唇を引き結ぶ。
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