第8話 何日目?

今日で失踪何日目?


穴の中で寝て起きるだけの状態をただ繰り返していた。


朝が来て、夕方になり、夜が来た。


穴の中では時間の感覚と日にちの感覚が掴めなくなっていた。


だから何日くらいいたのか覚えていない。


空腹が飢えに変わり、だんだん衰弱していく自分がいただけだ。


もう食べ物と、ドロップアウトした事への後悔の念しか湧いて来なかった。


またラーメンが食えるんだったら何でもします。


またカレーライスが食えるんだったら何でもします。


死にたい気持ちが食欲に負けて、また生きたいと思った。


生物である以上、頭ではいくら死を望んでも肉体はそれに反発して生に執着する。


そういう根源的な生存欲求みたいなものを強く感じた。


だからもし首吊り自殺を選んでいたら、首を吊った瞬間に後悔したはず。


もし飛び降り自殺を選んでいたら、飛び降りた瞬間に後悔したはず。


そんな気がしてゾッとした。


やり直したい。


幸せになりたい。


僕はそれを死にたい気持ちに置き換えていただけだった。


体が衰弱死しそうな実感の中でその事に気付いた。


穴を出よう。


かなり脱力していたけど、なんとか体が動きそうだった。


みんなに謝って許してもらおうと思った。


そしてよろけながら穴から出た。


砂丘の駐車場にあった水道の水を飲んだ。


それから砂丘に戻ってポシェットと財布を探した。


財布のテレホンカードで実家に電話しようと思った。


公衆電話を探しにフラフラしながら駅の方へ戻った。


公衆電話を見つけ、カードを入れて実家の番号を押した。


テレホンカードの残数はそんなになかった。


財布に残っていた10円玉を全部入れた。


「毎度どうも、○○食堂です」


電話に出たのは父親だった。


僕の実家は食堂で、電話をした時はちょうど昼時の営業時間だった。


「オレだ」


はっきりそう言ったつもりなのに、なぜか声が出なかった。


自分では普通に話しているつもりなのに、声が全然出なかった。


返事を待つ父親の電話口から忙しそうな店の様子が聞こえて来た。


僕が失踪しても、他の人たちの日常は何も変わらず続いていた。


その事に少しホッとした。


許してもらえるかもしれないと思った。


「……もしもし、どちらさんですか?」


父親が聞き返して来た。


気付いてもらえるように「オレだ、オレだ、オレだ」と擦れた声で何度も呼びかけた。


必死に呼びかけても、衰弱し過ぎて言葉にならない声しか出なかった。


でも父親はすぐに僕だと気付いたようだった。


「大丈夫か?今どこにいるんだ!」


「鳥取にいる」


そう言ったところでテレホンカードの残数がなくなった。


電話が切れた。


どうしよう?


頼みの綱が切れた気がした。


生きて帰りたかった。


死に恥晒すよりは、生き恥を掻いた方がマシだった。


鳥取駅から砂丘に来る途中に交番があったのを思い出した。


そこまで行って電話を借りる事にした。


ふらつき過ぎてうまく歩けないので、棒切れを拾って杖がわりにした。


そしてなんとか交番まで辿り着いた。


でも誰もいなかった。


奥のドアに呼びかけてみた。


誰も出て来なかった。


呼んでも声が出ないし、無駄に体力が減るのでやめた。


とりあえず電話を借りる事にした。


実家に電話してから、誰か来るまで待つことにした。


「もしもし?」


また父親が出た。


声を出せずにモゴモゴしていたら、すぐに父親が気付いた。


「大丈夫か?声が出ないのか?」


「どこから電話してるんだ?」


「交番」


交番だけはなんとか伝わった。


店はもうお昼を過ぎて落ち着いているようだった。


父親が気を遣って、話しかけてくれた。


「とにかく誰か来るまでそこで待ってろ、誰か来てからまた家に電話してもらえ」


素直に父親の指示に従って、誰か来るのを待つ事にした。


とにかく帰れると思ってホッとした。


息が苦しかったから、ベンチに横になって待った。


だいぶ待った頃、交番の奥の住居から音がして、誰か来る気配がした。


奥のドアが開いて女の人が出て来た。


ベンチに寝ている僕の顔を見て、かなりびっくりしていた。


事情を説明したかったけど、やっぱり声が出なかった。


手振りで声が出ない事を伝えた。


女の人が水をくれたので、それを飲んだら少し話せるようになった。


落ち着いてから事情を説明した。


女の人が鳥取署に連絡してくれて、警察の人が二人来た。


警察の人にも事情を説明して、実家にも連絡した。


警察の人と父親が話をして、鳥取駅から実家まで着払いの切符で帰れる事になった。


警察の人が鳥取駅までパトカーで送ってくれた。


パトカーの中で今までの経緯をいろいろ聞かれた。


なんで世の中が嫌いになったのか?


警察の人は僕に説教しつつ、その事を一番気にしていた。


うまく説明出来なかったけど、真剣に耳を傾けてくれた。


そして理解してくれたようだった。


「すいません」と「ありがとうございます」を何回も言った。


警察の人が駅員に事情を説明してくれて、帰りの切符をもらった。


その時、警察の人がカツサンドとコーヒー牛乳もくれた。


今まで食べた物の中でそれが一番美味しかった。


体全体で味わっている感じがした。


でもすぐに腹を壊した。


「もう二度とこういう形で鳥取には来るなよ」


警察の人がそう言って、1000円をくれた。


明日、実家に帰れる。


嬉しくて泣きながら笑っていたら、いろんな人にジロジロ見られた。


恥ずかしかった。


そして電車が来るまでホームのベンチで寝た。


それが僕の失踪の結末だ。


この失踪を機に僕は二度と死にたいと思わなくなった。


生きている意味がわからない。


人に迷惑をかけて生き恥を晒すくらいなら死にたい。


そう思っている人には申し訳ないけど、僕はあれからあらゆる事が飢えて死ぬよりマシだと思っている。


生きている事に意味はないし、生きてるだけで誰かに迷惑はかかる。


でも飢餓を体験したら人は浅ましいくらい生に執着する事を知った。


飢餓を体験して僕はかなり図太く、浅ましくなってしまった。


あいかわらず嫌な事はあるし、ムカつくヤツもいる。


でもあの頃よりは全然マシだ。


メンヘラだった頃の拙い思い出話だけど、そんなダメダメだった時期を越えて僕はこれからも図太く、浅ましく生きていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

失踪記 祐喜代(スケキヨ) @sukekiyo369

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画