第19話



「おい、親父さん。これはどうすんだ」

「あー、そりゃゴミじゃな。欲しけりゃ持って行きなされ」

「ゴミつったじゃねえか、要らねえよ」

「価値が出るかもしれんぞ」

「…まったくもって、信用ならねえな」


 今日は質屋の店の片付けに来ていた。あの日から目まぐるしく世の情勢が変わった。


 彼らが歳三らに反撃行動を起こすよりも早く、土佐で問題が起こった。武市瑞山たけちずいざん率いる土佐勤王党きんのうとうが、容堂の腹心だった吉田東洋を暗殺したのだ。


 藩政を揺るがす大事件は、江戸でのとある事件に端を発していると、まことしやかにささやかれていた。後に、桜田門外の変と呼ばれた、大老井伊直弼いいなおすけ暗殺事件である。


 その井伊が大老に就任して断行した安政の大獄は、実に百名以上の処罰者を出す厳しいものだった。その中に土佐藩主も含まれていた。容堂が謹慎に至った顛末は、井伊の布いた政策に反発してのことであった。


 そして井伊も、桜田門下でその生涯を閉じた。これをきっかけに、日本は大きく揺れ動いて行くことになるのだが…。



(人生、どこでどう転ぶかわかんねえな)


 国許くにもとの大事だいじと、火遊びのツケとも言える歳三の襲撃。双方から痛手を負った容堂は、否が応でもその関心を、内紛の収拾に集中せざるを得なくなった。領主として当然の選択である。


 しばらく総司らと用心していたが、確かにそれどころではないのだろうと歳三も理解した。それからも日本を揺るがす事件が次々と起こった。


 江戸の町中でも日夜、尊王だ攘夷だと論議が過熱している。新八や左之助、時に近藤も混ざり熱く語り合っている。


(俺は、己の進むべき道を進むだけだ)





「──ねえ、土方さん。これ、使えますかね」


 ふいに声をかけられ、顔を上げる。そこにはいつかの壊れた香炉を手にした八郎が居た。


「そんなの売れねえだろ。ほしけりゃぎに出して、手前で使え」

「俺は、香はどうにもわからないなぁ…」

「だったら、聞くな」


 相も変わらず、八郎は試衛館に顔を出している。あれからしばらくして家には戻ったものの、未だ根本的解決していない問題のせいで、試衛館に入り浸っている。


 何を隠そう今では、歳三と連れだって吉原通いする仲である。


(さすがに想定外だったな)


 古い仲間内は別格だが、食客(まがいも含めて)の中では断然、気心知れた相手である。


「すっかり、馴染んだな…、お前も」

「え? 何か言いました?」

「いいや、何も。早く片付けねえと陽が暮れちまうぞ」


 歳三はすっかり秋らしくなった空を見上げて、まだ残る品に手を伸ばした。




 『居心地が良すぎて、根が生えていた』と言って、質屋店主が店に戻って来た頃には、とっくに夏が終わっていた。歳三の身辺もすでに落ち着きを取り戻しており、快く手伝いを申し出て今に至る。


 そこへ埃っぽい店内に、涼やかな声が響いた。


「皆さん、お疲れ様ですー。これ、良かったらどうぞー」

「うわあ、握り飯! 頂きます」

「いやあ、嬉しいなぁー。これから毎日、手料理が食えるなんて俺は感激で胸が一杯だ!」

「おまえさん、寝言は祝言あげてから言いなはれ」


(そういや、これも想定外だった)


 男ばかりのむさ苦しい中、唯一の華、質屋店主の娘である。老いさらばえた店主の風貌からは、想像もつかないとびきりの美人だったのだ。顔に似合わず、若い嫁を貰っていたことも驚きだが。


 その娘の登場で、まさに人生が変わった男がここに一人。金物屋の若い男である。


『運命の出会いとしか思えません! お婿に貰ってください!』

『あの…、そこはお嫁に来てくれ、なんじゃ…?』

『えっ、お嫁さんになってくれるんですか!』

『……お前ら、わしの存在を忘れとりゃせんか?』


 まさかの双方一目惚れで、とんとん拍子に話がまとまった。実に出会ってからわずか三日である。そして今日は質屋で残った品の中から売れそうなものを選んで、新しく若夫婦が切り盛りする小間物屋として、店を開くための準備も兼ねている。


 すっかり新婚気分の二人をまるで気にせず、八郎は握り飯にかぶりついている。


(まったくうらやましく思わない俺も、こいつと同類か)


 八郎は試衛館に顔をだしながらも、きっちり練武館の指導もこなしている。すでに実父とのいざこざの理由も知っているが、他人の家の事なので口出しするつもりはない。


(当の本人にその気がねえんだから、しょうがねえよな)


 今日はこの後、伊庭の家に一緒に顔を出すことになっている。あの一件以来、秀俊とも懇意にしている。


「あ、この沢庵美味しいですよ、土方さん」

「ん? どれ、──お、中々だな」

「何言ってるんですかー、俺のお嫁さんの漬けた沢庵が中々の訳ないでしょー。最高に決まってます!」

「それは、わしが漬けた自信作じゃ」

「……だとよ」

「あー、この握り飯は、最高に美味いなー」

「人の話、聞けよ」

「あ、昆布も美味いですよ。ねえ、土方さん食べました?」

「お前も聞いてねえな」


 賑やかに過ごすひと時が心地いい。馬鹿を言い合いながら、やりたいように生きる。


(やれるとこまで、やってやるさ)


 手に着いた米粒を舐め取りながら、高くなった空を見上げた。



◇  ◇  ◇


 店主らに別れを告げた後、二人は夕焼けの中、伊庭本家へ寄る前に練武館へ顔を出した所で、一番会いたくない相手につかまった。実父、秀業である。


 秀業は八郎の顔を見るなり、がっしと腕を取った。


「だから、どうしてそう意地を張る」

「離してください、父上。…何度言えばわかっていただけるんですか」

「それこそ、わしの台詞だ」

「ですから、今はまだその時期じゃないって言ってるでしょう! 義兄の、ひいては伊庭家の為になる事ですし、家督を継ぐよりも、まずは出仕させてください! 幕府のお役に立てるんですよ、それの何が不満なんですかっ」

「はぁ…、お前は何もわかっちゃいない…」


 親子が顔を合わすと繰り広げられるこの会話は、すでに何度聞いたかわからない。図らずも幾度も巻き込まれてはいるが、歳三は心を無にして、置物のごとくひたすら解放されるのを待つのみである。


 お家事情など、どこも同じと思っていたが、この伊庭家だけは少々…、いや、かなり特殊と言えるかもしれない。その内容がこれっぽっちも共感できなくても、所詮、歳三は赤の他人、口を出す立場ではない。


 よしんば助言をせがまれたとしても、口を出す気は毛頭ない。むしろ関わりたくないと言った方が正しいかもしれない。


「出仕などしてみろ! やれ警護だなんだと、どこへ行かされるかわかったもんじゃないぞ!」

「……一応、聞いておきますが、それのどこに問題が? 見聞を広めるいい機会ですよね?」


 八郎の目が一段と冷たく細められる。聞かなくてもわかっているのだが、聞かずにいられないのだ。



「お前をよそにやりたくないからに、決まっておろう」


 聞き飽きたとどめの一言に、八郎の顔から一切の表情が消えた。くるりと道場に背を向けて、ぐいぐいと歳三を押し出してくる。


「さ、土方さん。行きましょう」

「いいのか?」

「ええ、時間の無駄です」

「八郎、まだ話は終わっていないよ」

「私にはありません」


 完全無視を決め込もうとする八郎だったが、そうは問屋を卸させないのが秀業である。


「親が子供をかわいがって、何が悪い?」


(あ、来る)


 この一言に、八郎の動きがぴたりと止まった。


「お前がこの世に生を受けた時、小さなちーーさな赤子のくせに、その体は光り輝いて見えたんだ。その時、わしは神仏に誓ったのだ。お前を決して手元から離さないと! やんごとなき事情で、家督を秀俊に譲りはしたが、あくまでお前の代までの繋ぎでしかない。少々やんちゃだろうと、手の届くところに居てくれるだけで良いと言ってるんだ。それで早く秀俊から家督を譲り受けて、家業が忙しいだのなんだの理由をつけて、出仕の話など断りなさい。そうすれば、もう何も言わないと誓おう!」


(いや、絶対言うだろ)


 思わず浮かぶ反論の言葉は、歳三は決して口には出さない。すでに八郎は半眼でまるで聞いていない。いや、聞かなくてもわかるくらいには聞かされているとも言おうか。


 余談だが、『お前がこの世に生を受けた時…』のくだりは、歳三はこれまでに五回は聞いた覚えがある。もちろん、八郎はその比ではない。


「八郎、どうしてわからないんだ!」

「わかってたまるかっ! このくそ親父!」


 ついぞ交わることのない不毛なやり取りを、今日も今日とて延々と繰り返すのだろう。


 なんてことはない。八郎の抱えるお家問題とは、親馬鹿からくる過干渉に端を発していた。八郎の歯切れが悪い態度も納得である。


(そりゃ、家出もしたくならぁな)


 運悪く歳三のごたごたと重なり、話がややこしくなっていたが、一度距離を置いてお互いに頭を冷やせという、義兄の勧めに従ったのが事の始まりで、それが裏目に出る形になった。まさかの秀業の暴走である。


 尊敬する師範の本音など知るよしもない門弟らが、秀俊の当主就任を面白く思っていなかった一派を中心として、外野に付け入る隙を与える結果に至ってしまった。そのことを秀俊は重く受け止めた。それを機に八郎は家に戻ることにしたのだが…。


『跡継ぎうんぬんの前に、私はまだ若輩者です。成人したこの身で、広く経験を積んでからでも遅くはないと思います』


と、至極真っ当な考えを秀業に訴え出たのだが、秀業はどこまでも秀業だった。良くも悪くも。



 門弟らを巻き込んだお家騒動であるが、八郎はもとより、現当主秀俊、隠居の身である秀業の三者に、誰も剣では太刀打ちできないのが現状である。秀俊にいくら反抗したところで、実力が足元にも及ばないのでは話にならない。伊庭家は実力主義である。とどのつまり、稽古に邁進する日々に戻ったのだ。…この親子を除いては。


 出自を選べないのと同様、子も親を選べない。結局は自力で道を切り拓いていくしかないのである。


「要は自分次第ってことだ」


 終わりの見えない言い合いを横目に、歳三はぼそりと呟いた。この馬鹿らしくも微笑ましい騒ぎは、まだしばらく続きそうである。






 この翌年の春、歳三らは清河八郎率いる浪士組の参加を決め、上洛することになる。そのまま京に居残り、後の新選組を作り上げていく。


 一方、八郎も念願の出仕を果たした後は、奥詰めで教授方を務めた後、将軍家茂の警護の任に付いて、彼も上洛を果たすことになる。歳三らの上洛から実に四年後のことだ。


 京の町で再会した二人は、その後もそれぞれの立場で戦火を潜り抜け転戦を繰り返し、三度再会を果たすのは最後の決戦の地、函館になるのだが、それらはまた別の話である。




 了


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小天狗と敦盛 りべろ @kaula

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