ランチ『当店オリジナルカレー お替り自由』
ninjin
『当店オリジナルカレー お替り自由』
午後一時四十五分。
あと十五分でランチタイムも終了だ。
店内に残っているお客は、あと三組四人。皆、本日の日替わりランチ、『当店オリジナルカレー、お替り自由』を食べ終わり、食後のサービスコーヒーを啜っている。
さて、ここまでで今日のランチ営業も終了だな・・・。
そんなことを思いながら、俺はキッチンカウンターの中で皿を洗う手をふと止め、店の入り口に目を向けた。
そう、皿を洗いながら、何となく顔を上げた視界の端に、入り口から店内を覗き込むその男性に気付いたからだ。
「いらっしゃいませ」
俺がそう声を掛けると、男性は少し驚いたようにこちらに視線を向け、遠慮がちな様子で尋ねて来た。
「あ、あのぉ、まぁだランチタイムぅ、大丈夫でしょうかぁ?」
何処の地方かは分からないが、明らかに訛りのある口調で彼は、上目遣いでおどおどとした仕草で、彼の立つ入り口を一歩跨ぐかどうしようかと迷っている風だ。
俺はもう一度腕時計を確かめ、「勿論、大丈夫ですよ」、「どうぞ」とその男性を店内のテーブル席へと促した。
男性は俺に促され、それでもおずおずと、まだ躊躇いの様子を見せながら、俺が案内したテーブル席に腰掛ける。
「あのぉ、お店の前の看板にぃ書いてあったぁ、日替わりランチ、七百円・・・、ひとつぅ、貰っても、いいですかぁ」
俺はクスッと笑ってしまう。
いや、何も地方訛りをバカにするとか、そういうことではない。そこは断じて言っておく。そういうことではなく、ほっこりしたのだ。
その男性は、初老というにはまだ少し若く、道路工事の交通整理員が着るヤッケを羽織り、無骨な手指、そして日焼けした顔。
今の季節から東京周辺で増え始める季節労働者、そう、所謂『出稼ぎ』に来ている地方の農家の主人に違いなかった。
俺も地方出身者ではあるが、こちらの大学に通う為に上京し、そのまま居ついてしまって早十年。すっかり都会人の顔をして(フリをして)生活している。お酒に酔った時以外は地方訛りも出ることはない(筈だと思っている)。
勿論うちの生家は農家ではないが、高校時代までの友人には、農家の息子なんかも居て、そこの父親が農閑期になると、都会に出稼ぎに行くというのはちょこちょこ聞く話でもあった。
そして、今現実にそんな人に出会った。
確かに訛りの調子から、俺自身の地元の人間でないことは分かったが、同じような地方出身者の出稼ぎ労働者のことを、俺は何となく『尊敬』?、いや違う、『憧れ』?、いやいや全然違う。
何だろう?
父親とまではいかないにしても、随分と年上の人に対して失礼かもしれないが、恐らくは『偉いなぁ』とか『立派だなぁ』とか、そんな思いに近い感情を抱いていたのだと思うのだ。
自分達が高校生くらいだった頃、今のこの人と同い年くらいだった自分の親世代のことを重ね合わせていたのだと思う。
この人にもきっと、田舎で待つ家族が居るんだろうなぁ・・・。
俺はお冷を出しながら、注文を確認する。
「日替わりランチ、お一つですね。畏まりました。コーヒーがサービスで付きますけど、先にお持ちしますか?それとも食後になさいますか?」
「コーヒーはぁ、食後にぃ、お願いしますぅ」
「畏まりました。あ、それから、看板にも書いてましたけど、日替わりランチ、カレーの日は、お替り自由なんで、お替りは何度でも仰ってくださいね」
男性は、それには声を出すでもなく、ニコッと笑って、上目遣いに顎を突き出すような頷きで、コクコクと了解の意思を表した。
キッチンに戻った俺は、手早く付け合わせのサラダボウルを作り、それからカレープレートにご飯を大盛によそって、そして、これまた大量のカレールーをご飯に掛けた。
あっという間に完成だ。
カレーランチは簡単で良い。だからお替り自由のサービスも出来るってものだ。
カレーを大盛にしたのは特に他意はない。
強いて言えば、単純に『好意』である。
昨今のこのコロナ禍、うちの店も残念ながら多分に漏れること無く、夜の居酒屋営業での客数の減少には歯止めが掛らず、どうにかお客を繋ぎ止める為、そしてあわよくば新規顧客開拓のという意味もあって、大して利益が出る訳でもないランチ営業を、二ヶ月前から始めたという
地方出身の季節労働者でも、四~五カ月くらいはこちらに居るはずで、そんな人のオアシスとまではいわなくても、ちょっとした休憩所くらいに、うちの店がなれたらいいな、くらいのものなのだ。
うちはお客が増える、お客はちょっと安らげる、それこそ、これ以上ないというくらい完全なwinwinの関係だろう。
「はい、日替わりランチ、お待ちどうさまです」
俺はそのお客のテーブルにカレーとサラダを並べ、「ごゆっくりどうぞ」と声を掛けたところで、他のお客からの「マスター、お勘定」の声に呼ばれて、レジへと向かった。
常連のお客とレジで少しばかりの談笑を終えた後、俺は帰った客のテーブルの皿を下げ、キッチンのシンクで洗い物を済ませた。
そろそろあのお客も食べ終わる頃だろうと見計らって、キッチンの中からそのお客に向かって声を掛けてみる。
「お替り、どうなさいますか?」
ちょうど最後のひと口を飲み込み、「ふぅ」と息を吐いたところだった彼は、少し考えるような素振りをして、それから自らのお腹を摩るポーズをして見せると、ニッコリ笑ってこう言った。
「もぉ、これ以上はぁ、今は入らないみたいですぅ」
「じゃ、コーヒーをお持ちしますね。少々お待ちください」
コーヒーを出し、俺はカウンターの端で、今日のランチの売り上げ集計と、夕方の仕入れの注文書を作成しながら、そのお客がコーヒーを飲み終わるのを待った。
そして少し考えた。
そういえば、カレーはお替り自由なんだから、わざわざ大盛にする必要って無いんだよなぁ。
今更ながら気が付いた。
敢て少なめにしておいて、何度もお替りして貰った方が、お客にとっては『良いサービス』って感じるのかな?
若干こっちとしては手間は掛かるが、カレーライスをよそって出すくらい、手間のうちに入らない。
うーん、どっちなんだろう?
俺が客なら、どっちが嬉しいかな・・・。
店員に「お替り」って言うことが恥ずかしいって思うお客も居るかもしれないし・・・。
分からん・・・。
来週のカレーの日には、少な目にして、実験してみよう・・・。
そんなことを考えていると、「おごちそうさまですぅ」と声がして、いつの間にやら、既にレジの前に立っているお客に慌ててカウンターの席を立つ。
「ありがとうございます。では、お会計、700円頂戴いたします」
彼は700円ちょうどを支払って、もう一度「おごちそうさまですぅ」と言いながら、店を出て行った。
「ありがとうございました。また宜しくお願いしまーす」
俺がお客の後ろ姿に掛けた声に、彼は振り向くことはせず、ただ首を前に突き出す感じで会釈をして、そして、去って行った。
腕時計を確かめると、午後二時十五分を少し回ったところだった。
俺は店先の暖簾を外して、入り口の扉を閉めた。
時間は夕刻、六時五分前。させ、そろそろ夜の居酒屋営業開始時間だ。
俺は仕込みの手を止めて店内を一通り見渡し、各テーブルにお品書きを並べる学生アルバイトでキッチン見習いの鈴木君に声を掛ける。
「じゃあさ、それ、並べ終わったら、暖簾出してくれるかい?」
「はーい、了解」
鈴木君の返事を聞きながら、俺はキッチンの方へ戻ろうとした時、鈴木君の「いらっしゃいませぇ」と言う声につられて、俺も同じように「いらっしゃいませっ」と言いながら振り返った。
そこにはランチタイムのあの男性が、仕事上がりなのだろう、昼間と同じ出で立ちで立っていた。
お、早速一杯飲みに来てくれたんだぁ。
俺は再度、「いらっしゃいませ」と声を掛け、店内に促したのだが、その場に立ち止まったまま彼は、ニコリと笑って、俺にこう言った。
「あのぉ、お昼はぁ、お腹いっぱいだったんですけどぉ、今ぁ、もう、入るようにぃ、なりましたぁ。お替り貰って良いですかぁ?」
・・・・・・・・・・。
は、い?
俺はもう一度彼の表情を確かめる。
一点の曇りもない、笑顔・・・。
至って冷静を装って、俺は自らの左腕をこれ見よがしに持ち上げて、これまた
「すみません・・・。ランチ時間は、二時までなんですよぉ・・・」
俺の返答に、男性は何と答えるのか・・・、俺の中で緊張が走る。
しかし、その緊張は、果たして俺の中だけだった。
すると男性は、再度ニコリと笑い、特に残念がるでも、不満があるでもなさそうに、「そうですよねぇ」と納得顔で、「うんうん」と肯きながらゆっくりと踵をかえし、店を出て行ったのだった・・・。
呆気にとられて茫然とその後ろ姿を見送る俺に、鈴木君が質問して来た。
「マスター、今のって、ひょっとして、ランチのカレー、お替りしに来たんですか?今?」
「あ、うん、そうみたい、だな・・・」
「うけるぅ」
鈴木君はケラケラ笑いながら、「居るんスね、そんな人って。マジうけるんだけど」、そう言いながら俺に同意を求めるようにこちらを覗き込むのだが、俺にはどうもそんな気にはなれなかった。
俺は少し引き攣り気味の作り笑いを鈴木君に返すと、パンパンっと手を叩いてから、「さ、仕事仕事」と、切り替えるように、そして自分に言い聞かせるように、キッチンに戻った。
その日は久々にとても忙しい夜の居酒屋営業になった。
そんな中、鈴木君は常連客に、夕刻開店時間に起こった「ランチお替り事件」を面白おかしく話して聞かせ、店内で爆笑王と化していた。
俺はそんな鈴木君に同調こそしないが、それを咎める気にもなれず、ただ鈴木君からの「ねぇ、マスター」との同意を求める問いかけに、ただ愛想笑いで応えるだけだった。
閉店後、カウンターに座って売り上げ精算をしている俺に、鈴木君がカウンターの中で洗い物をしながら話し掛けて来た。
「マスター、今日、なんか、怒ってます?」
全くそんな事は無い俺は、少し驚いて「なんで?」と訊き返す。
「いや、僕があのお客さんのこと、ちょっと盛りすぎて話しちゃってたんで、あんまり気分良くなかったかなぁ、なんて思って・・・。すみませんでした・・・」
「ああ、そんなことか。いや、別に怒ってはいないよ。ただ、自分で色々考えてたんだ。お替り出してあげれば良かったかなぁ、とか、最初に大盛にするんじゃなかったなぁ、とか、夕方に来た時に、引き留めて、何かサービスすれば良かったなぁ、とかね・・・」
それからしばらくの間、俺も鈴木君も、黙ったまま自分の作業に没頭し、丁度同時くらいにお互いの作業が完了した。
そして俺は自分に言い聞かせているのか、鈴木君に宣言しているのか、自分でもよく分からない独り言のように呟いた。
「今度さ、あのお客さん来たら、俺の得意料理のオムライスを
「あ、それ、良いと思います。僕、オムライス無理なんで、マスターが休みの日に来たら、焼き肉丼出します」
そう言って笑う鈴木君を見て、なんだ、こいつも実は結構いい奴じゃないか、そう思って少し心がホッとした。
「そうだな、うん、きっとそうしよう」
あれから一週間。
まだあの男性客は現れない。
それでも俺は、彼の来店を待っている・・・。
おしまい
ランチ『当店オリジナルカレー お替り自由』 ninjin @airumika
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