第4話 優しい物語を

 ジメジメと湿度がこもる地下牢に、あたし――ルシア・トニ・キーティングはいた。

 

(上では、断罪の準備が進んでいるのかな)


 壁を這うトカゲを見つめながら思う。髪飾りを投げつけると、トカゲに当たったようだが、残っていたのは潰れた死体ではなく、尻尾だけだった。

 どうやら逃れるために、尻尾を切り落として逃げたらしい。


 まだぴくぴく動くそれを見つめながら、自身の行く末を思い浮かべる。

 きっとあたしも、こんな感じで首を刎ねられるんだろう。


 ――《全ての愛を君に》の本筋通り。


 その時、カツンという足音が地下牢に響き渡った。

 牢の前にいた見張りが、慌ててやって来た人物たちに駆け寄り、何かを話している。話がついたのか、見張りの代わりに、見知った二人が姿を現した。


「……何しに来たの? お二人さん」


 あたしは憎しみを込めてアンティローゼとエリオットを見つめた。


 しかし睨まれても、憎しみをぶつけられても、アンティローゼは毅然としていた。 


 美しい。

 やっぱり《本物の主人公》は違う。


 あたしなんかよりも、ずっと強くて輝いていて――


 アンティローゼの艶のある唇が動いた。


「全てを聞いたわ、ルシア。あなたが……この物語の《本物の悪役令嬢》役だったってことを……」


 あたしは反射的に目を反らした。

 転生し、自分が《悪役令嬢》だと知ったときの絶望感が胸の奥に蘇ったからだ。


 しかし弱いあたしを見られたくなかった。口元に笑みを作ると、彼女の言葉を鼻で笑う。


「そうよ、だから何? ほら、良かったわね、本当の《悪役令嬢》はこうして捕まり、物語は正しい道筋へと向かっているわ」

「ルシア……」

「そんな目であたしを見ないでっ‼ 前世の記憶が蘇って、ただでさえ戸惑っていたのに、この世界で断罪されて殺される《悪役令嬢》だと知った時の絶望が、あなたには分かる⁉」


 アンティローゼが口を開こうとした時、エリオットが彼女を庇うように前に出た。


「何故アンティローゼを悪役令嬢役にした? 《悪役令嬢》の破滅フラグを回避する方法はいくらでもあったんじゃないのか?」

「破滅フラグ……ああ、エリオット、あんたも転生者だったわけね」


 少なくとも、この世界に《フラグ》なんて発言する人間はいない。


 全てが繋がった気がした。

 いつも嫉妬に狂い勝手に破滅していくアンティローゼが、今回は何故か違った行動をしていたから。きっとこいつが入れ知恵した結果なのだろう。


「それなら話は早いわ。確かに色々な方法を試したけど、結局結末は同じだった。断罪されて死ぬ。だから悟ったの。《読者》が《悪役令嬢》を求める限り、私は死から逃れられないと。《読者》が《悪役令嬢》に期待することはただ一つ、破滅だけだから!」

「だからアンティローゼから主役を奪い、自分の役割を彼女に押し付けたわけか」

「そうよ! あたしは生きたかっただけなのに! あんたたちをハッピーエンドに導くための道具として、《読者》からのヘイトを集め、溜まりに溜まったストレスを発散させるキャラクターとして殺されるあたしの気持ちが、お前たちに分かるものかっ‼」

「分かるわっ‼」


 突然、黙って聞いていたアンティローゼが言葉を遮った。


 エリオットを押しのけると、座り込んでいるあたしの前に座り込み、目線を同じにした。綺麗なドレスの裾が汚れるのも関わらず、埃をかぶっている牢の鉄格子に縋りつくようにこちらに接近する。


 彼女の青い瞳が、辛そうに細められた。

 

「私も《悪役令嬢》だったから分かる。それを知ったときの絶望が。あなたは生きたかっただけ。私はエリオット様を取り返したかっただけ。なのに全てが上手くいかず、挙句の果てには凄惨な死を遂げるのだから、絶望しない人間なんていないわ」


 あたしは耐えきれず、アンティローゼから視線を外した。

 だって、彼女に《悪役令嬢》を押し付け、無残な死を何度も経験させたのは、あたしなのだから。


 でもアンティローゼの言葉には、あたしに対する憎しみはなかった。

 語られる言葉に熱が増す。


「絶対に間違っているわ、悪役がいなければならない物語なんて! それなら私たちで作りましょう。《悪役令嬢》のいない、新たな物語を」

「そ、そんなことできるわけがないわっ! 《読者》は常に《悪役令嬢》を求めている! そいつが断罪されるのを楽しみにしているのよ⁉ 求められる限り、私はその役割から逃れられない!」

「いいえ、誰一人悪役がいない大円満な物語を求めている《読者》だっているはずよ! 物語だからって、悪役が必要なわけじゃない!」


 アンティローゼが手を差し伸べた。


「《読者》に伝えましょう。この世界に《悪役令嬢》は必要ないと。《読者》が私たちに影響を与えるなら、その逆だってできるはずだわ! 本筋では確かあなたは、殿下を貶めた罪で処刑されるのよね?」

「ええ、そうよ……そしてお邪魔虫がいなくなって世界は平和、あんたたちは無事結婚してめでたしめでたしってわけ」

「なら、そこから変えましょう。殿下、どうかルシアをお許し頂けないでしょうか?」

「なっ⁉」


 思わず声をあげてしまった。しかしアンティローゼの表情は真剣だ。

 エリオットは、口元に微笑みを浮かべると、小さく頷く。


「まんまとその女の術にハマり、君を傷つけた俺に決定権はないよ。アンティローゼがいいなら、俺も許そう」

「ありがとうございます、殿下」


 彼に対し深く頭を下げると、牢の隙間からアンティローゼの白い手が入って来た。呆然と成り行きを見守っているあたしの手が温かさで包まれる。


「あなたは先ほど仰いましたね? 色々と破滅を回避しようとしたけれど無理だったと。でもこの方法は試したのかしら?」


 顔を上げると、慈愛に満ちた微笑みを浮かべるアンティローゼの姿があった。


「私はあなたを許します。だから今度は正しい方法で幸せになりましょう。誰一人、悪役のいない幸せな物語を一緒に作って? 私と友達になって頂けますか?」


 本筋のアンティローゼは、美しく、気高く、真っすぐだった。


 そんな彼女を、生前のあたしは大好きだった。

 彼女のようになりたいと思っていた。


 あたしは握られた手を見つめた。次第に視界が揺らぎ、温かいものが頬を伝う。


「ご、ごめんなさい……ほんとうは、あなたがだいすきだった……強くて気高くて真っすぐで……そんなあなたを歪めたあたしを……どうか、ゆるして……」


 今までずっと蓋してきた後悔と罪悪感が溢れ出した。

 それらは自然と謝罪の言葉となって唇からとめどなく零れ落ちる。

 

(きっと作れるはず……彼女と一緒ならきっと……)


 そう思いながら、あたしは肩を震わせて何度も何度も頷いた。


 *


 その後、ルシアの行動は、彼女がもっていた魔法の宝飾品によって、無自覚になされたものだと発表された。殿下のご慈悲、さらに皆の面前でルシアが私に対し、詫びを申し出たことで、全てが許された。

 もちろん、色んな声があった。


 しかし私が彼女と親しくすることで、皆は口をつぐみ、そのうち忘れ去られていった。

 

 あれから数年後――


「あ、お母さま」

「レガシー、またその本を読んでいるの?」

「うん! すっごく好きだから!」


 娘の頭を撫でながら、彼女の読む本を覗き込んだ。


 タイトルは《全ての愛を君に》

 私がルシアと殿下――いえ陛下の話を聞きながら書き綴った、この世界の物語だ。


 しかし内容は書き換えている。

 私の書き綴ったこの物語に《悪役令嬢》はいない。


 私はエリオット様と結婚し、女の子を出産した。子もすくすく育ち、私たちが書いた本を読めるまでになるほど、大きく成長している。


 跡継ぎである第二子を抱きながら、私は微笑んだ。


 レガシーを見つめる視線は、私一つだけではなかった。


「ほんと、レガシーはその本好きね? どんなところが好きなの?」


 ともにお茶をしていたルシアが微笑みながら尋ねると、レガシーの無垢な瞳がぱっと明るくなった。


「だって、皆優しいから! 悪い人、誰もいないんだもん!」

「そっかー、そうだよね?」


 レガシーの言葉に、ルシアが嬉しそうに瞳を細めると、大きくなった自分のお腹を愛おしそうに撫でた。


 物語の主人公である私と、《悪役令嬢》であったルシアの関係は良好だ。

 ルシアも結婚し、もう少ししたら第一子が生まれる予定で幸せの絶頂にいる。


 その時、エリオット様がやってこられた。休憩に来られたらしい。

 私に近づくと、そっと頬に口づけをされた。


「ルシア、来ていたのか。体調の方はどうだ?」

「ありがとうございます、陛下。母子ともに順調でございます」

「そうか、それなら良かった」


 ルシアと彼女のお腹に視線を向けると、エリオット様は微笑まれた。そしてレガシーを抱き上げると、高く抱っこする。


 娘の笑い声が、部屋に明るく響き渡った。

 

 私は、窓から空を見上げた。


(今でも、私たちの物語を《読者》が見ているのかしら?)


 不意にもたげて来た不安を振り落とした。


 あの日から、私たちは《悪役令嬢》らしい行動をしていないし、そういう物語の流れにもなっていない。

 それが《読者》がこの世界に《悪役令嬢》を求めていない何よりの証拠だ。


(《読者》も、この世界を気に入ってくださっているはず。だから……大丈夫)


 そう。

 気に入って見守っているはずだ。


 《悪役令嬢》のいない、

 いや誰一人悪役のいない、この優しい物語を――


 <完>

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私は《悪役令嬢》の役を降りさせて頂きます めぐめぐ @rarara_song

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