第3話 本当の役割
目覚めると、私はベッドの上にいた。
聞き慣れた声が、私の意識を覚醒させる。
「目覚めたか? アンティローゼ……」
「で……でんか……?」
そこには、ルシアに心を奪われる前にいつも見せてくれた優しい笑顔を浮かべるエリオット様の姿があった。
反射的に身体を起こそうとすると、目の前がクルクルと回る。ふらついた身体を、殿下の腕がそっと支えてくださった。
ここ2年間、ずっと感じることのなかった温かさに、涙が自然と滲み出した。
「……アンティローゼ、すまなかった。私は、ずっと君を傷つけていたようだ」
「なにが……あったのですか? 私が倒れた後、何があったのでしょうか?」
殿下は話してくださった。
殿下は、ルシアに魅了の魔法をかけられていたらしい。突然私からはなれ、彼女に心を奪われたのは、そのせいだった。
しかし私を剣で切り捨てようとした時、ミシェルがドルレアック家に伝わる解呪の魔石を発動させ、ルシアの魅了を解いたのだ。
私も知らなかったが、ドルレアック家は魔術師の祖先もった代々魔法や魔術などに精通した家系らしい。ミシェル自身も、不可思議な現象が見える特殊な瞳をもっているらしく、殿下がルシアに心変わりした頃から、彼が纏う雰囲気が変わったので気になっていたそうだ。
そして私と親しくなったことで本格的に調査してくれ、解呪に至ったのだという。
「そう……だったのですね」
「ドルレアック男爵令嬢の言うことには、ルシアの魔法はとても強力で、解呪できるかは一か八かの賭けだったらしい。しかし君が突き付けた言葉が、私の心に影響を与えたことでルシアの魔法が一時的に薄れ、解呪が可能になったそうだ」
私の言葉が殿下に届いていた。
それだけで心が救われた気になった。
しかし殿下の表情が曇る。
「言い訳はしない。愚かにも魔法にかかり君を傷つけた私が婚約者と名乗るなど、おこがましいにもほどがある。君には、私ではなくもっとふさわしい男性がいるだろう。これからエリオンフィール家に謝罪をし、君との婚約をなかったことにしようと思う。今まで……本当にすまなかった」
「な、何を仰っているのですかっ‼」
頭を下げる殿下の両肩を強く握った。
「確かに、とても辛い2年間でした。ですが全ては魔法のせいではありませんか! 殿下は被害者なのです! だから、私のことは気に病まないでください。もしあなたの気持ちが今でも変わっていなければ……私を、あなたの婚約者のままでいさせて頂けないでしょうか?」
「本当にいいのか、こんな私で……君はあの時、国益のために結ばれた縁談だと言っていただろう?」
「そうですね。でもそれ以上に、私はあなたを愛しているのです。あの時、あなたのためなら命を捨ててもいいと思うほどに……」
エリオット様の黒い瞳が見開かれ、薄く開いた唇から息を飲む音が聞こえた。
次の瞬間、上半身が温もりに包まれる。
私の頰に、熱い雫が伝っていくのを感じる。
少し掠れた殿下の声が、耳の奥を震わせた。
「私もだ。一目会った時から、君に恋をしていた。ともに生きて行く相手として、深く愛したいと思っていた。もしまた私が、愚かにも魔法にかかるようなことがあれば、怒って私を止めてくれるか? 聡明なアンティローゼ……」
「もちろんです。これからも傍にいてあなたを守ります、エリオット様」
私たちは強く抱きしめあった。
しばらくそのまま、互いの体温を、息遣いを、鼓動を感じ合う。
私はエリオット様の身体から少し離れると、黒い瞳の奥にある光を見つめながら言った。
「……あなただったのですね、あの闇の世界で私に生き残る術を教えてくださった声の主は」
*
「……はは、バレていたか」
殿下の口調が軽くなった。
声は殿下と一緒だが、纏う雰囲気が一変する。
整えられた私と同じ、金色の髪をかきあげると、諦めたようにふうっと大きく息を吐いた。
「ずっと隠しておきたかったんだけど、さすが聡明なアンティローゼだ」
「それですよ。『聡明なアンティローゼ』は、エリオット様しか呼ばれませんから」
「ああ、そうだったっけ。エリオットであった時期が長かったからな、ついボロが出てしまったな」
「全てご説明願いますか? あなたは一体……」
殿下――いや、闇の声の主は、どかっと勢いよく椅子に座りなおすと足を組んだ。
「俺は、《全ての愛を君に》の《読者》の一人だ。ある日事故に遭って死に、エリオット・ディル・ダ・トロイメラルに転生したんだ」
「転生? つまりエリオット様の前世、ということでしょうか?」
「ああそうだ。ルシアの魔法にかかったことがきっかけで前世の記憶が蘇ったんだ」
彼は苦笑いをしながら言葉を続けた。
「いやぁ、驚いたよ。だけど生前この物語が大好きだったから、エリオットとして生きてもいいかと思ってた。しかし、この世界は俺の知っている物語と同じではなかったんだ」
「そう……なのですか?」
「少なくとも、君が嫉妬に狂ってルシアをいびりたおす、なんて話ではなかったな」
だから何かがおかしいと思った、と彼は語った。
大好きな物語が改編されている。それが許せず、正しい結末にしたかったのだと。
「しかし俺自身、ルシアに魔法をかけられて何もできないし、歯がゆかったよ。俺の好きなキャラであるアンティローゼが《悪役令嬢》として断罪されるのを目の前で見続けるのは。それが執念になったからかな? 何度目かの物語が終わったとき、次の物語が始まるまで待機していた君の魂に話しかけることができるようになったんだ」
「そして私にこの世界の真実を、生き残る術を教えてくださったのですね? でも、ルシアに魔法をかけられたことをご存じだったのなら、教えてくださっても良かったのでは?」
「教えても良かったけど、解呪方法まで分からなかったし。皆の信頼がない状態で伝えたところで、君の言い分が皆に信じてもらえるとは思えなくてね」
彼は肩をすくめた。
「それに君がどれだけ《読者》に《悪役令嬢》ではないと伝えても、ルシアを実際虐めていたら伝わらない。だからアンティローゼが本当の《悪役令嬢》でないことを行動で言動で示し、《読者》の共感を得るしか、君の本来の役割を取り戻す方法はなかったんだ」
「本当の役割? 私は《悪役令嬢》なのでは?」
「まさか。《全ての愛を君に》の本当の主人公は、アンティローゼ・レファ・エリオンフィール、君なんだよ。この世界は、君とエリオットが出会い、結ばれ、幸せになるために作られた物語だ」
彼は小さく笑いながら首を横に振ると、美しい黒い瞳で真っすぐ私を貫いた。
「君はあの時、自分の力で奪われていた物語の主人公役を取り戻したんだよ」
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