第2話 婚約破棄

 結局今までの物語通り、ルシアはエリオット様の心を奪った。


 二人が秘密の逢瀬を重ねているのを知りつつも、私は暴走しそうになる嫉妬心を押さえつつ、できる限り色々な者たちのと交流を計った。

 

 私は未来の王妃。

 民を思い、国を支える者なのだ。


 その想いが、自然と学園の秩序を保つ役目を担うことになった。立場関係なく公平に接するようになったことで、皆から信頼を得ることができ、親しげに話しかけてくれる者も多くなった。


 特に、親友と呼べる友人ができたことが大きい。


 今までは殿下との問題を一人で抱え込むしかできなかったが、彼女たちに相談することで気がまぎれた。それだけで、酷い嫉妬心を押さえることができたのだ。


 特に、男爵令嬢であるミシェル・デ・ドルレアックに至っては、


「本当に殿下は心変わりしただけかしら? ……ちょっと気になることがあるから調べてみるわ。何か分かったら知らせるわね?」


と独自で調査を申し出てくれた。

 もちろん、自身が危うい立場にならないよう気を付けるよう、お願いはしたけど。


 ルシアには一度、警告をした。

 もちろん脅しにならないように、細心の注意を払い、言葉も選んで。


「ルシア。エリオット様と仲良くしてくださるのはとても嬉しいわ。だけど、彼も私という婚約者がある身です。世間の目から見ると、エリオット様に対してもあなたに対しても、良からぬことを考える者も出てくるかもしれません。ですからせめて、エリオット様とお会いする時は、私も同席させて頂けないかしら?」


 しかしルシアは、今までにない反応を見せた。

 怯えた表情が印象的だった彼女の口元が、笑いで歪んだ。


「あら、アンティローゼ様、嫉妬は醜いですわよ? でもまあ仕方ありませんわね? 殿下の心はもはや私のものですから。エリオット様に捨てられるのを、指をくわえて見ていらっしゃるといいですわ」


 勝ち誇った様子で見せられた、ルシアの本性。

 小動物のように震えながら、私を見つめていた彼女からは想像できないような、堂々とした宣戦布告だった。


 正直、呆れてしまった。

 公爵令嬢たる私にそのような暴言を吐くなど、よほど世間知らずなのか、


(それともエリオット様が私を捨てるのを確信しているから?)


 何気なく思った考えだったが、全身の肌が粟立った。

 

 私に対して強気に出られる理由が、ルシアにはあるのではないかと――


 *


 卒業パーティーの日。

 殿下の怒声がホールに響き渡った。


「アンティローゼ・レファ・エリオンフィール! お前が今まで影で行っていた、ルシア・トニ・キーティング伯爵令嬢への嫌がらせは私が知るものとなっている! お前がそんな浅ましい女だとは思わなかったぞ! お前との婚約を破棄し、ルシアを我が妻として迎える!」


 殿下の言葉は、何ひとつ変わっていなかった。

 彼の服にしがみつき、潤んだ瞳で私を見つめるルシアの姿も。


 婚約破棄宣言はなされた。

 今回の物語の中で私は、ルシアに対し何ひとつ嫌がらせはしていない。むしろ、極力二人のことは放っておいたくらいだ。


 何一つ、やましいことはしていないのに、婚約破棄宣言が起こった。

 ということは、


「殿下。恐れながら、何をもってルシア伯爵令嬢に私が嫌がらせをしたと仰っているのでしょうか?」


 ルシアから何かを吹き込まれたに決まっている。

 確信を胸に私が尋ねると、殿下は唾を飛ばしながらさらに強い口調で仰った。


「ルシアからお前の悪事を全てを聞いた!」

「聞いた? 何一つ、事実確認もせずに、ルシアの言葉を鵜呑みにされたということでしょうか?」

「鵜呑み? ルシアが私に嘘をつくわけがないだろうっ! お前と違って、ルシアは正直で純粋な女性だ!」


 殿下は、私の言葉に耳を貸さなかった。仕方なく、私はルシアに視線を向ける。


「では、私に教えて頂けますでしょうか? ルシア、あなたは私からどのような嫌がらせを受けたのですか?」

「わ、私を階段から突き落とそうとなさったじゃないですかっ!」

「それはいつのこと?」


 ルシアが突き落とされたという日にちを言う。しかし、


「あれ? その日は、私の自宅で一緒にお茶をなさっていましたよね、アンティローゼ様」


 私と親しくしてくれている別の伯爵令嬢が首をかしげながら口を開いた。それを聞いた殿下が、彼女の傍に大股で近づくと、頭を振り落とさんばかりの強い力で両肩をゆする。伯爵令嬢の髪飾りが、殿下の揺さぶりによって落ち、乾いた音が響き渡った。


 見かねた周囲の者たちが殿下を取り押さえる。


「で、殿下、おやめください!」

「ほ、本当なのか⁉ アンティローゼと共謀しているのではないだろうな!」

「恐れ多くも、そのようなことはございません! 必要とあらば、我が父と母を証人にいたしますわ!」


 殿下からの手を逃れ、苦しそうに顔を歪ませながら、伯爵令嬢が言い放つ。私が彼女を抱きしめ、落ちた髪飾りを頭につけると、恐怖で固まっていた気持ちが緩んだのか、ワッと声をあげて泣き出してしまった。


 ルシアが口を開けば開くほど、


「その時は、アンティローゼ様は私と一緒にいました」

「あの時は、俺の将来についてアンティローゼ様にご相談させて頂いてました」

「確か、アンティローゼ様が私たちの仕事を手伝ってくださってた時じゃなかったかしら?」


と、皆が彼女の言葉を否定する。

 皆がルシアを否定するたびに、彼女に向けられる視線が同情から疑いへと変わっていく。


 ルシアは顔面を蒼白にしながら、本当の恐怖で震えていた。

 殿下ですら、彼女に疑いの目を向けているのだから当たり前だろう。


 機は熟した、とばかりに私は一歩前に出た。


「ということで、私は何一つ、ルシアに嫌がらせなどしておりません。ここにいる者たちの証言を聞いて頂ければご理解頂けたと思いますが、まだ何か仰りたいことがおありですか?」

「そ、そんな……ルシアが私に嘘をつくなど、そんなこと――」

「いい加減、目をお覚ましなさい、エリオット・ディル・ダ・トロイメラルっ‼」


 私の鋭くも厳しい声色に、殿下の肩が大きく震えた。

 

 背筋を伸ばす。

 毅然とした態度で、婚約者を見つめる。


 私は、アンティローゼ・レファ・エリオンフィール。

 エリオット・ディル・ダ・トロイメラルの正式な婚約者。


 《悪役令嬢》などではない!


(アンティローゼ、今こそ取り返せ。本当の自分の役割を――)


 殿下の黒い瞳を見つめた瞬間、どこからかあの暗闇の声が聞こえた気がした。


「では今度は私からお聞きいたします。殿下。将来、国を背負ってたつ御方が女にうつつを抜かし、挙句の果てに女の嘘を鵜呑みにして、このような場で己の無能を晒すなど……これら醜態を見た者たちが、あなたを信頼し、ついて来るとお思いか⁉」


「そ、それは……」


 殿下が言い淀んでいる。

 しかし私は彼の言葉を待たず、エリオット様を盾にするように隠れているルシアに鋭い視線を向けた。


「そしてルシア。あなたが殿下の寵愛を得たのをいいことに、好き勝手振舞っていたと聞いています。権力を笠に身勝手にふるまう者が、仮に殿下が御認めになっても、皆があなたを王妃として認めてくれると思っているのですか? 将来の王妃としてこの国を支えていけると思いますか⁉」


 私たちを取り囲む者たちが、大きく頷いている。

 皆が、私の味方だった。


 私は、両手を広げて周囲を見回した。そして視線を上に向けながら言葉を続ける。

 

 そう。

 この瞬間なら、主人公であるルシアの一面だけを追っている《読者》に、私の言葉が届いているはず。


 この場にいる皆が、殿下とルシアの行動をおかしいと思っているのだ。《読者》にそれが伝わらないわけがない。


「殿下、私と婚約破棄をなさっても結構です。元々は、国益のために結ばれた縁談。ルシアと結ばれることで更なる国の発展が望めるなら、私は喜んで身を引きましょう。しかし、この状況が本当に国にとって最善といえるのでしょうか? 私にはそうは思えません。恐らくここにいる皆がそう思っているでしょう。本当にルシアと結ばれたいのであれば、皆があなたたち二人を認める筋の通った方法をとるべきでした。こんな方法、ただワガママを無理やり押し通そうとしているようにしか思えません!」


「黙れ、アンティローゼっ‼ 国などもうどうでもいい! 私はルシアと結ばれさえすればそれでいいんだっ‼」


 殿下の瞳が怪しく光った。

 どう考えても、正気を保った瞳ではなかった。いつも優しく輝いていた黒い瞳から正気の光が失せ、何かに操られているかのように虚ろになっている。


 ようやく私は理解した。

 殿下は心変わりしたのではない。


 何かに――いや、ルシアによって操られているのではないかと。


 殿下の手がゆっくりと、腰に差している剣に触れる。


 別の物語で、彼に切られた記憶が蘇り私は身体を硬直させた。

 しかし、ここで引くわけにはいかなかった。


 操られていると分かったのなら尚更。


「殿下、どうか目を覚ましてくださいっ! 国と民を第一に考えていた聡明でお優しい殿下に、どうかお戻りくださいっ‼ あなたが正気に戻るなら、私は喜んでこの命を捧げましょうっ‼」


 両手を広げ、振り下ろされる剣先を身に受けようとした時、殿下の手が止まった。

 剣を上に掲げたまま、両腕を震わせながら、私を見つめている。


 黒い瞳に光が戻り、目尻から涙が溢れていた。


「あ、あんてぃ……ろーぜ……」

「え、エリオット……様?」


 殿下の名を呼んだ瞬間、


「エリオット様っ‼」


 ルシアの金切り声が響きわたった。

 殿下の瞳から光がなくなった。剣を掲げる両手から震えが止まり、光のない瞳が私を捉える。


(もう……駄目だ)


 今回も失敗だった。

 でも次はあるのだろうか?


 分からなかった。

 ただ心に浮かんだのは、


(エリオット様、ごめんなさい……あなたを救うことができなかった……でも、あなたの心が変わったわけではなかったと知れただけでも良かったです。私はずっと、あなたを愛しています)


 どれだけ打ち消そうとしても消えなかった、エリオット様への想い。

 政略結婚でも、ともに愛を育んでいこうと仰ってくださった、優しい微笑み。


 死を受け入れ、微笑んだ時、


「殿下、ご無礼をどうかお許しくださいっ‼」


 そう叫ぶ親友ミシェルの声が響き渡ったかと思うと、眩い光がホール一面を一杯にした。


 目の前が真っ白になり、そのまま私は気を失った。

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