#∞ー∞ 物語

「え――――な、に?」


 見知らぬ場所だった。、空想を元に創られた娯楽作品でしかこのような場所を見たことは無かった。

 つるりとした、硝子や大理石のような質感の壁と柱。直線ばかりに塗れた、無機質的で非自然的な空間。

 眼前、その中心に、七角形の舞台はあった。


(……何だろう)


 ごくりと唾を飲み込みながら、夕星は恐る恐るその舞台に歩み寄る。

 周囲を見渡してもそこしか行く場所が無いのだから近寄るしか無い。


 七角形の舞台はその頂点付近に、五つの石像が配置されている。本来はその石像は七つあると思われた。何故ならば七つの頂点のうち、二つの頂点には石像が配置されていなかったからだ。


 改めて周囲を見渡しても、壁と床と天井に包まれた空間は他に何も無い。

 ただ七角形の舞台の中心には幾何学模様が刻まれており、言いようの無い、得体の知れない雰囲気を醸し出している。


 そもそも夕星は、どうして死んだ筈の自分がこんな場所で目覚めたのかよく分からなかった。

 死後の世界観というのは色々と根拠の無い学説が提唱されているのは知っているが、死んで生き返った者がいないためにそのどれもが事実性と客観性に欠けているとされ定かではない。

 ただ、死者の血肉が霊銀ミスリルにより汚染されると生命は異骸アンデッドと呼ばれる魔物の一種に変貌することは解っている。

 しかしそれもやはり、生前と全く同一の個体では無い。ただ死者の遺した亡骸に残留した記憶や感情を歪めて、霊銀ミスリルが通常ならざる歪められた生命を宿して動いているだけの新たな生物に過ぎないのだ。


 しかしその知識は、彼女が生前の彼女であることを裏付ける。何せ異骸アンデッドやらの変異に飲み込まれた者たちは生前最期に抱いた想いに狂い、このように理知的に何かを考えることは無いと言われているからだ。


「――夕星シィシン


 びくりと輪郭が跳ねる。

 驚愕に目を見開いた彼女が視認したのは、七角形の舞台の中心、幾何学模様のその真上に現れた半透明の――まるであの日のあの人のような――だ。

 それが星幽体アストラルボディかどうかは判らない。何しろ夕星には星幽体アストラルボディの知識が無い。螢惑がそれを介して魔術を行使する際も、魔薬ドープによる身体の一時的な魔術士化が施されていなければ目を凝らしても見えないのだ――鏡に映っていないのなら。


 だから肉眼で捉えられたその影は、きっと星幽体アストラルボディでは無いと――そう気付いたところで、しかし夕星は己の身体の異変に気付く。


「そうだ――君にはもう、魔薬ドープなんていうものは必要ない」


 そう言われて確信する。身体の内側が、明らかに変わっている。

 魔薬ドープを射ち込んだ直後のような解放感と、脊髄辺りに知覚する謎の存在感――それが組み上げられた霊基配列なのだと理解したのは、咄嗟に防御のためにあの黒腕を創出したからだ。


「私に君を攻撃する意志は無い。だからその黒い腕は解いていい」

「……」


 耳に聞こえる響きは、螢惑を蘇生させるために喚び出した太白の声に似ていた。だからその穏やかさと温かさに、敵意は無いのだと信じることが出来た。


「あ、ああああの」

「張り詰めることも無い――ゆっくり、話してごらん」


 半透明の姿は朧気だ。認識そのものにノイズがかっているかのように捉えづらい。

 恐らく、フード付きのロングコートかマントめいたものを羽織っているのだろうが瞬きをする度にその認識は改まってしまう。

 フードの下に翳る顔はよく見えない。

 袖の下に隠れた手や足も。

 それでも、その布地の向こう側から響いてくる声の揺らぎはどうしてだか心地よく。


「――どうして、ユヅを喚んだんですか?」


 だから夕星は、彼が自分をこの場所に呼びつけたのだと考えた。そしてそれは正解だった。


「そうだね。私が君に、頼みたいことがあったからだ」

「頼みたいこと?」

「そう――そしてそれは、君にしか出来ない事だ」

「ユヅにしか?」

「ああ。君にしか――――この物語で、報われること無く命を散らす運命をそれでも受け入れた、悲劇を体現する君にしか出来ない事」


 どういうことだろうか――夕星は考える。

 明らかに、この人物――と呼んでいいのかよく判らないが――は自分のことを知っている。きっと生い立ちや死ぬまでに重ねてきた軌跡の数々を全て網羅している。

 だが自分は出来損ないの受憎者ドニィだ。あの魔薬ドープを射たなければ魔術士になれず、なれたとしてもその持続時間は短い。それに打つごとに確実に命を削られ、結局最期は助からないのを承知で異獣化アダプタイズするために何本も一度に射ち込んだ。


「さっきも言ったように、もう君には魔薬ドープは必要ないよ。今際の際で成し遂げた異獣化アダプタイズ、君はその全貌をよくは知っていないみたいだね」


 幽霊は実に気前よく、夕星に起きた変異が実際にはどういうものだったかを揚々と語って聞かせた。

 夕星どころか螢惑やゼファもが異獣化アダプタイズだと思っていたあれは実際には異獣化アダプタイズではなく、彼女――夕星の霊基配列が霊銀ミスリル汚染によって固定化され、あの異獣アダプタイズめいた姿にする魔術を身に着けた結果だった。

 故に今の彼女はその霊基配列を使ってあの姿の一部である黒腕を魔薬ドープ無しに創出することも出来れば、意志ひとつであの姿を再び取ることも出来る。


 そして。


「無論――――命を使い潰して、再生の光で世界を包み込むことも出来る。まぁそれは、一度きりの切り札だけれどね」

「はぁ……」


 幽霊は続ける。


「その力を、私の願いのために使って欲しいんだ」

「願い?」

「そう――――悲劇の体現者、“悲愴” メランコリア を司る黙示録の騎士の一人として、残る六人の騎士と戦い、勝ち残り、私の物語を真なる物語へと約定させて欲しい」

「えっ?」


 黙示録の七騎士――――幽霊が吐いた言葉は、何故かひどく寒気を感じるものだった。


「勿論、勝ち上がって欲しいのだから、君のその再生の光は絶対に使って欲しくは無いんだけれどもね」

「は、はぁ……」


 何とも信憑性に欠けた話だろうか。しかしやはり、嘘を言っているとは思えない抑揚、声音だった。


「ああ、君にもちゃんと得はあるんだ」

「ユヅにも?」

「そう――――君が勝ち残り、最後の騎士となったのなら。その結果、私の物語が真なる物語なのだと認められたのなら」


 ごくり。


「――私の物語に生きた君は、君の望むように物語を書き換えていい」

「っ!?」


 眉根を寄せて疑った。嘘だとは思えないが、もしも本当だとするのなら。

 そうなのなら――それはつまり、あの地獄のような世界を、無かったことにすら出来ると言うことだ。


「約束する。私の願いを叶えてくれたなら、君の願いを必ず叶える」

「ほほほ、ほんと、う、……に?」


 螢惑を喪わないまま、自分自身もまた。


 だから眉唾なのだとしても、その交渉に応じないが無い。


「私の名前は“戯曲”トラベアータ――夕星シィシン、君を信じるよ」


 こくりと頷いた夕星は、誘われるままに七角形の舞台の上に足を踏み出す。

 そして幾何学模様に光が灯り、劈くような閃光に包まれた夕星はその座標を書き換えられた。


 眩しさに瞑った目を開いて見た世界は、飛び込んだことのないような鬱蒼と繁る樹海。

 再三の唾を嚥下して、夕星は深呼吸を繰り返す。

 そして眼前を見据えると、残り六人の黙示録の騎士を探して歩き出した。

 幽霊――“戯曲”トラベアータによれば騎士たちの召喚には時差タイムラグがあり、現在は夕星の他にはまだ一人の騎士しかその世界に現れてはいないのだとか。


 だから、遭遇すれば交戦になるのは必至だ。何故なら相手もまた、自らの願いを叶えるためにこの世界で騎士を探しているのだから。


(出来るかな……ううん、やらなきゃ――――)


 夕星はぎゅっと握った拳を胸に置きながら、いつでも戦えるように霊基配列に意思を通わせる。防衛的な反射で直ぐにあの異獣形態アダプトフォームを取れるように。若しくは、すぐさま黒腕を纏って堅固な盾と出来るように。


(――――螢惑に、逢いたい。お姉ちゃんに、逢いたい)


 それは切実な、それでいてとてもちぃぽけな願いだった。夕星のその矮躯のような切願は、しかしかと言ってその大きさに見合った重さしか無いわけでは無い。

 命を懸けることでしか守れないものを、彼女は命を懸けて守り切ったのだ。その心の、その在り様の力強さは、ちゃんとその願いにも息衝いている。


(逢いに行こう。必ず、もう一度逢って、また、大好きになる――――)


 だから少女は征く、凄絶で苛烈な荊の道を。力と力をぶつけあって血肉を散らしてしか開けない未来を。


 命を懸けてしか、掴めない願いのために。
















   † ———————————— †


      ド      # ∞

      ド

      ド       【Dope Draws Donee's Dawn.】

      ド


      物語は何度も再生する

      夜明けは何度でも蘇る


   † ———————————— †






――――――――――――――――end.

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ドドドド【Dope Draws Donee’s Dawn.】 長月十伍 @15_nagatsuki

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