第4話 僕
仕事場だった談話室。そのソファーはもう腐っていて使い物にはならず、僕は壁に凭れかかって闇に沈んでいた。ついに、整備無しで動かし続けていた足が言うことを聞かなくなった。右手も指先がかろうじて動く程度で無事なのは左手だけだ。まぁ、動かなくなっただけで処理系はまだ無事だ。時間はそれほどないだろうけど。
動けるうちに自分で彼女の元に行くんだったなと後悔が過る。右手に懐中電灯を持った黒衣の死神がやってきたからだ。彼に運ばれるのは癪でしかない。
ジーンは傍らにしゃがみ込んだ。表情は読み取れなかったが、どこか沈んでいるように見えた。それはそうだろう。
「もう、ジーンだけか」
と、僕の口が動いた。
†
ロレッタと水底のワルツを踊ったあの日、ロレッタは眠りについた。長い、永い眠りだ。
ロレッタは踊り疲れたみたいに、彼女の為に用意されていた大理石の椅子に座った。そして、眠った、ように見えた。僕はその時、スリープモードに入っただけだと思っていて、彼女におやすみと耳元で言っただけだった。
それから何度、会いに行っても彼女は眠っていた。もう、目覚めないのだと、人工脳が処理した時、僕は泣かなかった。というより、泣けないのだ。僕らは。仕事に泣くという感情表現は、必要ないから。でも、その時の僕には必要な機能だった。体の中の部品が足りない気がした。思考が焼かれるようなエラーを起こした。
僕に心があったなら、それはロレッタに奪われていた。
ロレッタの笑顔がもっと見たかった。と、金色の髪を撫でながら思った。かつて、フィルが海の向こうに想ったものを僕はロレッタに想った。
叶わない願いを。
それから僕は彼女の元には行かなくなった。行ってしまったら、もう、僕は壊れてしまうだろうから。
†
僕は抱えられながら、考えるのを先延ばしにしていたことに結論を出すべきだと考えた。
ジーンへの嫉妬の理由だ。その理由を僕は知りたかったが、大変、癪なので考えなかった。いや、考えてはいた。
海に沈んだあの日、物好きな人は言った。
「一緒に行こう」
僕は断った。僕はこの船の部品で、人ではなかったから。豪華客船のボートは人の為にあるのだから。
「君はもう、人と何ら変わらないじゃないか」
心があるだろう。と物好きな人は言った。空々しい響きだと僕は思った。人と変わらないなら。心があるなら、乗っていいのであれば、相応しいのは僕じゃない。
ジーンは人と積極的に関わらなかった。清掃員だからという理由は元々接客員だった彼には通じないだろう。人から、造った人から与えられた役目を僕らは捨てられない。でも、彼は捨てられた。それが答えだ。
最初からわかっていた。僕には無くて、ジーンにはあるもの。
けむくじゃらの生物を彼は規則だからと捨てなかった。優しいと言えばそれまでだが、それは心がある証拠だ。
羨ましかった。それが嫉妬の理由だ。
ちなみに、ボートにはけむくじゃらの生物が乗った。流石に僕らは重すぎたし。女王を置いて行くつもりは僕にもジーンにも無かったから。
運ばれる今も、ジーンの表情は一切変わらない。そういえば、一度も声を聞いてないなと、そう思った。嫉妬はもう感じなかった。人工脳に鳴り響くエラー音のせいだろうか。まだそほどけたましくないけど、僕にも順番が周ってきたらしかった。
さて、彼を喋らせるにはどうしたものか。聴覚センサーが不調でもこの距離なら問題なく聞こえるはずだ。……喋らせれないにしても、伝えるべきだろう。ここから先、彼は一人なのだから。
思考スピードが落ちた人工脳で考えていると、いつもの間にかロレッタと数多くの仲間がいる墓場に辿り着いていた。ロレッタの隣に椅子が増えている。ジーンなりの気遣い、だろうか。そう考えると僕は笑ってしまった。
ロレッタと出会って、僕がジーンに感じる嫉妬は大きくなっていた。ロレッタの隣はジーンに取られたくないとどこかで考えていた。ジーンは最初から、僕をロレッタの隣にさせるつもりだったらしい。
「ロレッタが姫なら、僕は王子か何か?」
椅子に凭れかかって、僕は笑いながらジーンに言った。彼は少し考えるように黙ってから口を開いた。
「談話室の」
と、どこかで聞いた低い声が言った。なるほど、談話室の王子。僕のことを人が噂する時のあだ名だ。僕はまた笑った。
頭に鳴り響くエラー音は既に深刻なものに変わっていて、聴覚センサーがコポコポと海水が入り込む音を拾った。視覚センサーは使い物にならないが、左腕の触覚センサーはロレッタの重さをかすかに知らせていた。
遠のく意識で、僕は死にたくないなと思った。そして、それよりも最後に残った仲間を想った。せめて、彼も眠る時はこの場所ならいいと思った。
「おやすみ」
エラー音にかき消される中、ジーンの声が聞こえた気がした。
水底のワルツ 望月レイ @MotizukiLei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます