ふたつのカップ麺

北島宏海

ふたつのカップ麺

 手袋をはめた手で、マフラーをしっかり巻き直す。


 冬の朝は寒さが身に沁みる。

 特に今日は、普段とは違う心理状態だから、必要以上に震えが走る。

 吐息が顔の前で白い吹き出しをつくる。

 肩にかかる鞄が重い。


 それでも、進まなくちゃね。みんなやっていることだもの。


 目指す彼は電信柱の横にいた。

 厚手のコート、マフラー、手袋。わたしと同じように鞄を肩にかけ、こちらを笑顔で見ている。


「おはよう! 寒いね!」

 内心とは裏腹に元気よく声をかける。


「おはよう。今日はひときわだな」

 低い声が返ってきて、肩を並べて歩きはじめる。


 今日はふたりとも私服だ。


 赤石はわたしの顔を覗きこんだ。

「ミドリ、昨日はよく眠れたか?」


 まあ、最初にわたしのことを心配してくれるのね。


「よく眠れたよ……と言いたいところだけど、いつもより遅くなっちゃったかな。赤石は?」


 相手は笑った。


「おれもだよ。もっと図太いと思っていたけど、意外と……」

 言葉を探しているようだった。


「繊細?」


 相手は薄曇りの空を仰いで顔をしかめる。


「繊細というより、チキンハートなんだなってさ」


「みんなそうだよ、きっと」


 赤石はうなずいた。

「さすがに入試ともなれば、そうかもな」


「みんなと同じ条件なら、怖くないよね」


「おまえのそういう前向きなところ、良いと思うよ」


 赤石は人の長所を見てくれる。


「リラックスさせようとして、言ってくれてる?」


「そんなことないよ。本音だよ」


 わたしは笑った。

「二年のときと同じこと言ったね」


「二年のとき?」


「ほら、覚えてない? わたしが片想いの人に振られたとき、赤石が言ってくれた言葉」


 思い出したようだ。

「昼休みだったよな」


「うん。落ちこんでいるわたしに、自分のカップ麺をくれてさ」


「なんか、随分前のできごとのような気がするな」

 懐かしむように言う。


 わたしはくすくす笑った。


「あれ? 赤石、そんな歳?」


 赤石は怒ったふりをする。


「おまえと同じ歳だろうが。だから一緒に受験会場に行くんだろ」


 そう。赤石とわたしは同じ大学を目指すのだ。


「願書、一緒に提出しておいてよかったね。受験番号も近いから、きっと教室も同じだよ。席も近いんじゃないかな」


 わたしの言葉に、ほがらかに応ずる。


「おまえが近くにいるだけで、心強いよ」


「そういえば、筆記用具、ちゃんと揃えた?」


 彼は鞄をぽんと叩いた。

「入れたよ。念のため、出がけにも確認した。あれで懲りたから」


「英検の受験のときよね」


「そう。消しゴム、忘れちゃってさ。普段、ペンケースは教室の机のなかに入れっぱなしだから、どうしても意識が向かないんだよなぁ」

 そのときのことを思い出したのか、眉に皺がよった。


「わたしがふたつ持っていたから、貸してあげたんだったね」


「大事にしていた角を使ったって、ひどく怒られたよな」


「だって、一年生のときから大切に取っておいたのよ。人の努力をどうしてくれる、あのときはそう思ったわ」


「まあ、おかげで消しゴムだけは忘れなくなったよ」


 赤石がふふっと笑った。

 次いでわたしのほうを見る。


「ところでさっきから気になっていたんだけど、どうしてそんなに鞄が膨れているんだ? まさか、参考書、一式持ってきたんじゃないよな」


「まさか! 血と汗と涙の結晶のノートだけだよ」


「それじゃあ、なにを持って来たんだ?」


 わたしは鞄のなかにごそごそと手を突っこみ、苦労して取り出す。


「じゃーん! 赤いきつねと緑のたぬき! 赤石、お昼はどうせコンビニのおにぎりでしょ? わたしもお弁当だけじゃ足りないからさ―― ミニなのが残念だけど」


 わたしは、にこにこしながら説明する。


 なんといっても、このカップ麺は、わたしたちを結びつけてくれた縁起のよい食べものなのだ。


 赤石は、あきれたように返す。

「いや、そうだけどさ。一体、どこでお湯を入れるんだ? 学食なんて開いてないだろ」


「ふふふー。そんなことは折り込み済みよ」


 カップ麺を鞄に戻し、再びごそごそ。

 目的のものはすぐに見つかり、こちらも取り出してみせる。


「ほら、水筒。百度に沸かしたお湯を入れてあるの。カップ麺はミニだから、五百ミリリットルのサーモボトルで充分だよ」


 赤石は目を白黒させている。


「お茶用は?」


「もちろん、あるよ。別に持って来ている」


 わたしの彼氏は感心したように言う。

「おまえのその気配り、おれは好……とっても良いと思うよ」


 すなおに好きと言ってもいいのだよ、赤石くん。


「重かったろう。片方、持つよ」


「ありがと」


 赤石がサーモボトルを自分の鞄に入れた。


 その様子を見ながら、思ってもみなかったことに気づく。


「あれ?」


「どうした?」


「いつの間にか緊張が取れている」


「あ、おれもだ」


 ふたりして笑った。


「なあ、ミドリ」


「なあに」


「きっと一緒に受かろうな」


「うん!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ふたつのカップ麺 北島宏海 @kitajim

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ