橋の下で拾った
葎屋敷
ねんねんころり、ねこころり
「私、あなたのこと橋の下で拾って来たのよ」
というのが、母の口癖だった。
この文句は昔の時代ではよく言われていたらしい。その由来は、願掛けの一種だとか、桃太郎とかいう何処ぞの正義漢が話の元だとか、諸説言われているようだ。
これを親に言われると、嫌な思いをする子どももいるのだとか。出所も曖昧なくせに、殺傷能力の高い言葉なのである。
しかし、俺は決して、この母の言葉を気にしたことはなかった。
それというのも、俺の母の口癖においては、ただの冗談だとわかっていたからだ。日常的に、世間話のように明るい調子で言われる。悲壮感というものも、嫌味ったらしさもなかった。本当のことなら、そんな話し方はしない。趣味の悪いジョーク、というものであった。
……いや、嘘だ。全く気にならないわけではない。
だが、考えたって仕方のないことだ。俺にはその真偽を確かめる術がない。そりゃそうだろう。赤ちゃんだった時のことなんて、もう何年前かもわからないのような時のことなど、覚えているわけがないのだ。
かといって、母に真剣に確かめるような気は起きない。だって、真相なんて知ってもどうしようもない。たとえ母と俺の出会いがどんなものであろうと、俺の母はこの人だ。そのことに、変わりなどないのだから。
「ユウ君、ご飯だよー」
今日も母は俺の飯を作り、皿を並べる。俺は機嫌よく返事をして、食事へと向かった。
*
さて、これは俺がのんびりと過ごしていたある日のこと。その日は何かの祝日だった。なにを祝う日かなんて俺は知らないけれど、母の仕事が休みであることは知っていた。彼女は仕事がないことをいいことに、誰かと食事に出かけるらしい。
母が俺に留守番を頼んで出ていった後、どうにも俺は暇を持て余して、外に出かけることにした。
特に行きたい場所もなくて、俺は目的地を小学校に定めた。そこには、友達のソラがいる。
ソラは近所では有名な奴だった。なにせ、何月何日であろうと、奴は学校に入り浸っているのだ。校内に人がいようと、いなかろうとお構い無しだった。
あまりにも学校にいるものだから、変わりもの、行くような用事もないくせに、と陰で悪口を叩かれている。ちなみに、俺は母が家にいる祝日にはめったに外へ出かけないので、陰口をたたかれるようなこともない。
そんな少しばかり変わった友の下へ向かっていた、昼下がりの穏やかな時間。道中、公園の前を通りがかった時だった。俺はそこで、最悪な出会いをした。
俺の実母を名乗る奴に出会ったのだ。
「
その名前で呼ばれた瞬間、カタカタとささくれのような物が心臓の中で暴れ回ったような気がして、心底嫌な思いをした。
「……いや、あんた誰?」
俺は女を見る。こちらをじっと見つめる女の顔は、見たことのないものだった。
「あんたの母親よ! ずっと、ずっと探してたの。やっとよ、やっと見つけたっ。うう、うう……!」
その老けた女は昼間の往来だというのに、なき出してしまった。通りがかる人の目が煩わしい。ニヤニヤと向けられるは好奇の視線だ。耐えられたものではない。
仕様がなくなって、俺はその女を公園のベンチまで引っ張った。
*
女は甲高い声でなきながら、自分が俺の実母であると訴えた。
「……見ればわかる。あんたは虎徹、私の産んだ子だ」
「そんなの、適当に言ってるだけだろ」
「いや、わかる。あの日のこと、今でも覚えてるさ。
頭がアスファルトの熱で湯立っちまいそうな日のことだった。あんたはあんたの父さんと、この町の散策に出たんだ。まだあんたは生まれて間もなかったけど、父さんと一緒ならあんたも大丈夫だと私は信じてた。
でも、それは間違いだった。あんた達はいくら待っても、私の下へ帰ってこなかったんだ。
夜になっても戻らないあんた達を、私は町中駆け回って探したよ。
すると、どうだい。人気のない公園の隅で、あの女が血まみれの父さんの死体を埋めてたのさ!」
「あの女……?」
老けた女が「あの日」について語る様には妙な迫力があり、俺は彼女の話にのめり込んでいた。俺が続きを促せば、女は深く頷いた。
「髪が長くて、明るい茶髪の女だ。近くにはそいつの仲間もいて、女は仲間からユキって呼ばれてた」
俺は女の口から飛び出した名前に、釣られて目玉も飛び出すのではないかと言うほど驚いた。
ユキ、それは俺の母の名前だった。今朝、俺の朝食を鼻歌交じりに用意していた、あのユキだ。彼女の後ろ姿を思い出せば、その背には、緩やかにウェーブのかかった茶髪が流れている。
「ユキ? ユキだって?」
「ああ、確かにこの耳で聞いた。そのユキって女は父さんを地面に埋めた後、連れに抱えさせてたお前をそのまま攫って行ったのさ。母さん、その時は怖くてね……。茂みの影からその様子を見てるだけだった。母親ともあろうもんが情けない。あの日から、ずっと後悔ばかりさ」
女は俯き、俺の顔を見ない。正直助かった。今、俺はとても情けない顔をしているだろうから、初対面のこの女には見せたくもなかった。
母が、ユキが俺の実の父を殺した?
そんな馬鹿な。俺には確かに、父親がいない。その記憶もない。
しかし、
「馬鹿なことを言わないでくれ!」
「こ、こてつ?」
「そんな名前で俺を呼ぶな! 俺にはユウって名前がある、ユキが付けてくれた名前があるんだ!」
「ゆ、ゆき!? あ、あんたまさか、まだあの誘拐犯の所に……!」
自称母が驚いて口を開ける。
彼女にとって、ユキは誘拐犯の名だ。こんな堂々と昼間にウロついている俺が、まだ彼女の下にいるとは思わなかったのだろう。
しかし、それは前提が間違っている。
ユキは俺の母親だ。こんな俺を、ユキは確かに育ててくれた……。育ててくれたんだ!
「あ、待って!」
俺は女の制止を無視して、走り出した。遠くなる女の声に、眩暈を覚えた。
彼女は今どこにいるんだろう? 会いたい。会って、そんな心配することないのに、と笑ってほしい。
彼女のいつもの悪いジョークが脳に響く。
橋の下で拾ったんだよって、また言ってくれないだろうか。その趣味の悪い冗談は、攫ってきたんだよ、なんて言われるよりずっとマシなように思うから。
俺は人の合間を縫って駆ける。足を止めることなく、どこかへ出かけてしまった彼女を捜す。どこに行ったら会えるのかはわからない。ただ、心の内にある焦りと、ガンガン響く頭痛のような感覚が、俺を急かしていた。
一刻も早く彼女を見つけたくて走っていると、俺の前方にひとつの塊のような人混みが現れた。何故か人々は足を止めていて、俺の行く手を阻む壁のようだった。
「退いてくれ!」
俺はなき叫びながら、間隙を通り、人混みの前に出た。
そして、俺は
「え?」
悲鳴がした左の方へ向けば、なにかがこちらへ迫ってきている。
その正体を探ろうと目を凝らす前に、俺の体はボヤけた鉄の塊に突き飛ばされていた。
*
聴いたことはあるけれど、名前は知らない。そんなボサノバ系の音楽が流れる、町のカフェ。そこで、私はコーヒーにミルクを加えながら、香る幸せを鼻から吸い込んでいた。鼻歌でも歌わんばかりに機嫌のいい私を見て、向いの席に座る友人が問いかけてくる。
「ねえ、由紀。拾ったネコちゃん、元気?」
「んー? あー、ユウくんのこと? 元気元気! 今日もお留守番してくれてるよー」
私は携帯端末の写真ホルダの中から、つい先日撮った写真を開き、それを友人に見せた。
そこには、私が飼っている白い猫、ユウくんの姿がある。
「大きくなったねぇ。あんたと橋の下で拾ったときは、こーんなに小さかったのに」
友人が両手で示すのは、子猫だったユウくんの大きさだ。今では四キロほどだが、当時は五百グラムもなかった。
「あの時はありがとねー。ユウくんのお世話、手伝ってくれて」
「いいのよ、気にしなくて」
あれはもう四年くらい前のこと。私と友人は突如降ってきた通り雨をやりすごすため、橋の下に入った。人気のない高架橋だった。
そこには、車に轢かれたであろう、血まみれに潰れた大人の猫と、その傍に丸ある子猫の姿があった。
私たちは二匹を連れて動物病院に駆け込んだが、親と思われる大人の猫はすでに死亡していた。
衰弱していた子猫を私が引き取ったものの、死んでしまった猫はどうしたらいいかわからず、私たちはその死体を近くの公園に埋めた。
「今頃、由紀の帰りを待ってるねぇ、ユウくん」
「うん、そうだねぇ。帰りに新しいおもちゃでも買おうかなぁ」
「いいじゃん、きっと喜ぶよ」
友人はコーヒーカップを摘みながら、私の言葉に賛同してくれた。
ああ、どうしよう。さっそく帰りたくなってしまった。
いい子で待ってくれてるかなぁ。そうだ、あの子がお気に入りのおやつも買ってあげよう。
きっと今頃、寂しい思いをして、私に会いたがってると思うから。
*
「おい、猫が轢かれたぞ!」
「うわぁ、かわいそう……」
「おえ。俺、気持ち悪くなってきた――」
車が行き交う大通り。その車が避ける場所には、血に染まった、白の塊が一つ転がっている。
ああ、母さん、会いたい、会いたい、と。薄れゆく意識の中、死の間際まで、その塊はにゃあにゃあ寂しく鳴いていた。
橋の下で拾った 葎屋敷 @Muguraya
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