消失

「中々に良い『天の術式』だ」


 柔らかく微笑む女。ミルキーホワイトの髪を靡かせ、白いレース状の服の上から薄い金色のマントを羽織うその女は、不意打ち気味に放たれた一撃を受けていながら──極上の料理を堪能したかのような表情で満足げに頷き、そして口ずさむ。


「下位の術式でありながらこれほどの威力と概念を携えているとはな。直撃していれば、服が汚れていただろう」


 圧縮することなく、拡散して放てば超広範囲を消し炭にするだけのエネルギーが、女に放たれた一撃には込められていた筈だ。神々の『権能』であろうと無効化できない力と、それ相応の概念も込められていた筈だ。


 だが、無傷。


 それはこの場にいる者達へ動揺を与えるのに、あまりある光景だった。


「そんな……」

「うーん、冗談キツイなあ……」

「……莫迦な」

「……」

「……」


 






 術を放った、俺自身を除いて。


(人類最強と対峙した時よりも、威力は上がっているんだがな)


 天の術式を受けて無傷。それが初見の光景であれば多少なりとも動揺していたかもしれないが、しかし生憎と、俺にとってその結果は初見ではない。『人類最強』という大陸における真の最強の一角が、女と同じく無傷で凌いでみせていたからだ。それを知る俺が、この程度で取り乱すなどあり得ない。


 それに何よりも、女自身が言っていたじゃないか──直撃していれば、と。


「……」


 つまりアレは、厳密にはくらっていたわけではない。加えて、女の見積りがどれだけ正確かも未確定の状況。強がりの可能性もある以上──動揺する必要は、ない。


「そして、この事態に精神が揺らぐこともない」


 こちらに向かって突撃し、右の拳による打突を繰り出す女──曰く、マーニと名乗ったらしい──の一撃を、鏡合わせのように右の拳で受け止める。


 瞬間。激突すると同時に、互いの全身へと走る衝撃。抑えきれなかった力は衝撃波として大地へ流れ、地響きと共に足場が大きく陥没した。それでも俺とマーニはその場から退くことなく、相手を吹き飛ばさんと互いに力を込め続ける。


「身体能力と、それを制御する能力も中々」

「……」


 互角。相手を殴り飛ばさんとする二つの拳は、その後の過程も含めて全くの互角だった。拮抗する力は、まるで俺自身の全力を相手しているかのような錯覚に陥るほど。不気味なくらいに、俺と互角。


「面白い。だが、まだ先がある筈だ。遠慮することなく、本気で舞うといい」

「……くだらん。貴様風情がこの私を押し測ろうなどとはな。身の程を知れ」

「一方的に知られていることが気に食わんのは理解できるが──」


 マーニの言葉を遮るように、俺は足元の瓦礫を蹴り飛ばし、彼女の顔面に炸裂させる。仰け反る女の体と、それを見て口元に弧を描く俺。


「力比べに私が固執するなど……笑止」


 仰け反って隙ができた彼女の懐に飛び込み、胴体に掌底を繰り出す。そして音速の数倍の速度で後方に吹き飛んでいくマーニの肉体を捉えんと、俺は大地を蹴って加速した。


「……っ」


 マーニが壁に激突するより速く、俺は壁際に辿り着いていた。サッカーボールキックの要領で女を天井に向かって蹴り上げ、そして即座に天井に張り付いた俺はそのまま女を両の拳で叩き落とす。轟音が響き、大地が破裂した。砂塵が震源地を中心に撒きあがり、余波を受けたステラ達──シリルだけは眼を細めるに留まっていた──が苦悶の声をあげる。


「……」


 だがそれらを気遣うことなく、俺は天井に張り付いたままの状態で眼下を見下ろす。見下ろして、眼前に『光神の盾』を展開した。同時、盾に極度の衝撃が走る。


「む。硬いな」

「……」


 零距離で展開されたこれを「硬い」で済ませるとは何事だ、と内心で悪態を吐きつつも、俺は天井から飛び降りた。それを受けてかは分からないが、マーニも『光神の盾』を足蹴に大地へ降り立つ。向かい合う俺達の立ち位置は、奇しくも戦闘開始前のそれと同じだった。


「驚いたぞ。その『光神の盾』、『天の術式』の領分を越えつつあるようだ」

「……」


 マーニの称賛を無視して、俺は思考を巡らせる。『人類最強』でさえ、零距離のコレには視界を灼かれていた。『騎士団長』は、それなりに距離があった状態で、尚且つ模擬戦ということもあって警告を促した状態だったから理解できる。だが目の前の女は零距離で、しかも不意打ち気味に放たれておきながらも無影響。攻撃を止めることにこそ成功したが、しかし副次的な効果にはまるで期待できない結果だった。


 だが何より──


「……貴様。ふざけているのか?」

「? 何を言う。これでも、真剣に愉しんでいるぞ」

「……」


 ──何故、全くの互角なんだ?


「しかし、お前でも術式ごとに相性はあるのか? お前の性質上、全属性が使えるのは当然だが──」


 マーニ。北欧神話における月の神にして、原作では未登場だった神。原作で登場した神でさえ全貌が明かされていない以上、あらゆる面で謎のベールに包まれている存在であることには違いない。しかし何よりも、その実力がおかしい。強すぎるのではなく──弱すぎるのだ。


(……どうなっている。何故、こうも膠着した戦況に陥る? 今のジルでは、神に及ばないはずだ)


 それにステラやルチアを殺そうとする一撃を放っていた際の威圧感と比較しても、現在のマーニは弱体化しているように見える。今の世界では神々が本来のスペックを出せないのだとしても、今の世界で出せる上限に変化が起きるのは些か不自然だ。彼女が全力とやらを一度しか出せないなんて制約を持っているとしても、その限定的な全力をステラとルチアに使う理由が見当たらない。間違いなく俺よりも強いのに、完璧なまでに俺と互角なのは何故なのか。


 ……試してみるか。


「シリル」


 俺が名前を呼ぶと同時に、空間を轟かせる地響き。俺の視線の先で、神の肉体を押し潰さんと、巨大な竜の一撃は振り下ろされていた。


「……全く、僕に命令をするのはキミくらいですよ」

「貴様とて、疑問を解決する機会を伺っていただろう。私は、その機を提供してやったまで」

「ものはいいようですね。……それで、この光景を結論とするには少し足りないのでは?」

「ああ」


 砂埃が晴れると、ファヴニールの一撃を止めたマーニの姿が現れる。どちらとも動かず、完全に拮抗しているその光景。しかしシリルの言う通り、その光景だけでは、俺の仮説を検証するにはかなり弱い。


「……故に、こうする」


 ファヴニールの鉄槌と、振り上げられたマーニの拳は全くの互角。そして──そこを狙って放たれた俺の蹴りと、俺の蹴りを防ぐべく繰り出されたマーニの蹴りもまた、全くの互角だった。


 互角。互角互角。


 マーニに対する攻撃は、その全てが完全に互角。鏡合わせのような、なんて次元ではない。本当に、鏡を相手にしているかのような錯覚に陥ってしまうほど、不気味なまでに互角なのだ。ジルの観察眼と頭脳が、その悍しい結論を導き出している。故にこそ、俺は内心で表情を凍らせつつも言った。


「それが貴様の能力か、女」


 対する、マーニの返事はひどく簡潔。


「……良い眼と頭をしている。良いぞ、褒美として教えてやろう。月の神……マーニ様の権能。その一端をな」


 愉快げに嗤う女を中心にズン、と重力が乱れる。ファヴニールの腕が大きく弾き飛ばされ、俺の肉体が大地に吸い寄せられると同時に激突した。そして遺跡全体は震撼し始め、女を中心に吹き荒れる神々しくも懐かしさを感じるオーラ。


「恐れ慄き、崇め奉れ人間」


 俺──ではなく、俺の後方にいる者たちに向かって、女は口を開く。有象無象の魂に偉大なる存在を刻みつけんとする気迫をもって、彼女は宣告したのだ。


「水面に浮かぶ月のように、其は全てを『反映』させる。相手が俺より強くとも、弱くとも、集団でも、個でも、関係ない。全ての敵に対して、絶対的に互角の力を用意する。それが──『権能』だ」


 ◆◆◆


「水面に浮かぶ月のように、其は全てを『反映』させる。相手が俺より強くとも、弱くとも、集団でも、個でも、関係ない。上限も下限もなく、全ての敵に対して絶対的に互角の力を用意する。それが──『反映』の『権能』だ」


 絶句。

 そんな言葉が相応しい光景だった。


 女の言葉はつまり、こういうことだ。例え格上が相手でも、絶対に互角になれる能力。どれだけの強敵が相手でも、それに合わせて女の実力は向上する。一方でどれだけの格下が相手でも、それに合わせて女の実力は加減される。


 女にとっては格下も格下であるステラやルチアに対して、最適すぎる力で相手をすることができていたのも、その能力が理由ということだろう。


 女の言葉から凡そを察したステラは、額に汗を流しながら言葉を漏らしていた。


「そ、そんなの。魔術でも不可能じゃ……」

「人間如きが、神の権能を再現しようなど烏滸がましい」

「……っ」


 反論しようとして、呑み込む。女の絶対的な力の発露は、ステラの常識を打ち破るに充分だった。それに彼女自身『魔王の眷属』という理外の存在を目にする経験があったことも、『理解できないものに対して納得できる』大きな要因だろう。


「……ていうか、賜った? キミが月の神なんじゃ? キミより偉い人なんて──」

「──言葉に気をつけろよ、小娘。俺がいつ、俺自身がマーニ様であるなどと名乗った?」


 これまでに感じたことのない殺意の奔流。さらに背筋を冷やしつつも、ステラは。


「いやだって、ボク達に向かって『この名を覚えて逝け。月の神、マーニ様の名前を』みたいなことを……」

「ふん、当然だろう。この地で死ぬ以上、我が主にして、偉大なる御方の名を刻んで死ぬことこそが至上の礼儀にして人生の意味なのだからな」

「え、ええ……」

「俺は番人にして案内人。マーニ様に仕える眷属が一人。それ以上でも、それ以下でもない」


 何を当たり前のことを、と腕を組んだ状態で呆れた様子の女。それを見て、ステラは困惑を隠さずにいた。だがしかし、誰とは言わないが身内にいる狂信者を思い浮かべて、なんとなく理解できた。あの黒衣の暗殺者も、侵入者に対して「ジル様の名を刻んで死に絶えろ」くらい言ってもおかしくないかもしれないので。ただ、それはそれとしてややこしすぎる口上だと思う自分は悪くないはずだ、とステラはため息を吐いた。


「……全くの互角、か」


 そんなステラと女のやり取りを、乱れた重力に逆らいながらも悠然と起き上がり、見守っていたジル。彼は肩についた埃を払うと同時に、マーニと視線を交錯させて言葉を続ける。


「相手よりも強くなるのではなく、互角」

「そうだ。そしてだからこそ、俺がこの場を任された。お前が俺より強くとも、弱くとも、絶対に殺すことはないからな」

「……」


 確かに、とジルは内心で納得する。相手と全く互角の力量で相対できる力の持ち主。成る程、相手の実力を試すには最適の能力だ、と。宇宙を滅ぼす存在と対峙しても、蟻のように貧弱な存在と対峙しても、彼女はそれと完全に合わせた上で相対できるのだろう。ファヴニールとジルの一撃をそれぞれ互角の一撃で受け止めたことから、可変性も備わっているらしいことも窺える。良くも悪くも、女に隙という隙はなさそうだ。


(女の目的は、俺を見極めることのようだからな。そしてマーニとやらは俺……それと、月を貫通させた奴と会いたいってところか?)


 しかし月を貫通するなんて出鱈目なことができる奴は誰だろうか、とジルは内心で首を傾げる。そんな存在がいるのであれば、是が非でもスカウトしたいところなのだが──なおその正体は、ジルもよく知る『人類最強』である──と。


「人類として最高峰の才能スペックを備え」

「……」

「百年以上もの時をかけ世代交代と思想教育、剪定等を繰り返し利用することで、自分にとって不合理な地を自分にとって理想の地として造り替え」

「…………」

「支配者として君臨し信仰を得ると並行して、『神の力』をその身に取り込むことで神格を確立していき」

「………………」

「そして神に至ると同時に、人の側面も人でありながら神の世界に至る土台を作り上げた。推測だが、お前の道程はそんなところか?」


 両手を広げ、女は言葉を続ける。生まれたての赤子を祝福するかのように、いっそ穏やかに言葉を紡いでいる。


「そして、お前が従えているそこの男も悪くない。人間としては、それなりの性能を持っている」

「……」

「まあ、末裔共々アレを与えていないのは解せんが。お前にも考えがあるのだろう」


 シリルの表情が険しくなったことを感じる。おそらく「誰がジルに従っているですって?」みたいなことを思っているのだろう。その気持ちは、よく分かる。


「しかし、だ」


 ──と。


「お前がアレを与えているその二人はそれなりに才能はあるかもしれんが、鍛え方が足りんな。他に適任者はいなかったのか? あるいは、地上の人間に期待するだけ無駄だったか」


 そこまで穏やかだった女の空気が、変質し始める。


「それに、お前もそうだぞ、最新の神。何故、人類到達地点を使わない。お前は俺を舐めているのかと問うたが──それはこちらのセリフだ」


 俺を除く全ての生物が、勢いよく大地に伏せた。首を垂れる臣下のように、一斉に膝を突いてその身を縛られる。


「貴様、その重力操──」

「今のお前は俺よりも弱い。ならば俺が普通に戦えば、こうなるのは必然だろう」


 そして俺自身も、抗えているとはいえ、その場から動くのは不可能な状態になっていた。


「神を前に、待ちの構えなど死を受け入れるも同義」


 天が割れた。遺跡だったものがパズルのように崩落し、そして心地よい空気が流れ始める。


「ここで知れ、真の世界を。何よりも、お前が目指すべき極致を」


 なんだ、何が起きようとしている──ッッッ!?


「手続きは成った。ようこそ諸君。……マーニ様の領域へ」


 そして。


「────」


 そして重力の牢獄から解放されると同時、俺達の体は吹き飛んだ。意識を失う直前。俺の視界に映ったのは、現実離れした黄金色の空だった。


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アニメのインフレの犠牲になる敵キャラに転生したが、俺には原作知識があるから問題ない〜かませ犬から始める天下統一〜 弥生零 @yosida777

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