十二日目(月曜日)

あれから一週間と二日が過ぎた。今日は週の始まり、月曜日である。

 いつものようにニュースキャスターの快活さ溢れる声で目を覚ました僕は、日課であるモーニングコールを怜に行うと、洗面所に向かい、コンタクトレンズを装着した。そして点眼薬を一滴、目に落とす。あの日、家に帰った後、洗面所の下の戸棚を調べてみると、大量のコンタクトレンズが見つかった。どうやら予備として置かれていたものらしい。それ以降は、寝る際にレンズを外すようにしている。僕がこの世界の人間ではないということを忘れないために。

 制服に着替え、鞄を手に家を出る。いつものように豊丘公園をショートカットとして利用し、学校へと向かう。

 あの公園での一件以降、僕の身には特に変わったことは起こらなかった。渡瀬に関しても、両親の都合で転校した、ということになったので、さして騒ぎにはならなかった。

 しかし、忽然と姿を消した春人に関しては、一悶着があった。何しろ、春人には家族がいるのだ。両親は警察に被害届を出し、周辺住民と協力して徹底的にこの辺りを探したそうだ。その結果は言うまでもない。もちろん、僕も彼の居所に心当たりがないか訊かれたが、白を切り通すしかなかった。第一、本当のことを言ったところで信じてもらえるわけでなし。春人の両親には気の毒なことだが、いくら探したところで見つかることはないだろう。文字通り、もうこの世にはいないのだ。

 クラスの方も初めの何日かは混乱があったが、不思議なことに一週間も経つと、その騒ぎも次第に沈静化していった。まあ実際そんなものなのかもしれない。

 のんびり歩いていたせいか、下駄箱で外靴を閉まっていると朝のホームルームを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。慌てて上履きをつっかけ教室に向かう。廊下を走り、突き当りを左に曲がった瞬間、目の前にいた制服姿の少女とぶつかった。

「ごめん。急いでて前を見てなかったから」

 起き上がり頭を下げると、その小柄な少女は僕を見向きもせずにトイレの方に走り去ってしまった。ボブカットの黒髪を揺らしながら廊下を駆けるその少女の後姿にはどこか見覚えがあった。でも、それが誰であるかは思い出せない。

 首を傾げながら、教室の後ろのドアを引き、教室内に入ると、幸運なことにアキ先生はまだ姿を見せていなかった。席に着くなり、後ろの席の怜が僕の肩を叩く。

「よかったわね、まだアキちゃん来てなくて」

 僕は体を捻る。

「ああ、助かったよ。でも珍しいこともあるもんだな。アキ先生が遅れるなんて。朝だけは必ず時間通りに来てただろ」

「今日はしょうがないんじゃないかな」

 なにか事情を知っている様子の怜。僕は気になって訊いてみる。

「なにか心当たりがあるのか?」

 すると怜は平らな胸を反らして言った。

「実はね、転校生がやってくるらしいの」

「転校生? こんな時期におかしくないか」

 僕が問うと、怜は口を尖らせた。

「そんなことあたしに言われても困るわよ。とにかく、今日からうちのクラスに加わることになるらしいのよ。しかも、噂によるとハーフらしいよ」

「ハーフ? どうしてそこまで知ってるんだ」

「あたしも人づてに聞いたから詳しくはわからないけど、なんでも瞳の色が変わってるんだって」

「ほお」

 今どき、ハーフなんて珍しくもなんともないだろうに。

 そんなやり取りを怜と交わしていると教室の前方のドアが開き、アキ先生が入ってきた。

「お、おくれてごめんなさい」

 申し訳なさそうに言いながら、教壇まで進むと、日誌を置き僕らの方を向く。

「と、突然ですが、今日から皆さんとともに学ぶことになる、て、転校生を紹介します。さあ、世並(よなみ)さん、入って」

 アキ先生がドアに向かって手招きをすると、開かれたドアから黒髪の小柄な生徒が入ってきた。背丈は小さく、もし制服を着ていなかったら小学生に間違われかねない。そんな世並さん、と呼ばれた生徒は、アキ先生の隣まで歩を進めると、その体を興味津々といった様子のクラスメイト達に向けた。顔はまだ下を向いている。

「じゃ、じゃあ自己紹介をしてもらえるかな、世並さん」

 アキ先生にそう促されると、彼女はこくりと頷いて面を上げた。

「みなさん初めまして。今日からこのクラスで一緒に学ぶことになった、世並ロゼです。よろしくお願いします」

 ――妖艶に微笑む彼女の瞳は、奇麗な灰緑色であった。


 放課後。

 僕は、ロゼに連れられて渡瀬が住んでいたマンションに来ていた。

 もといた世界に帰っていった渡瀬に変わって、ロゼはこの世界にやってくることになったらしい。なんでも、調査員と言うのはツーマンセルが基本だそうで、不慮の事態が起こり欠員が出てしまった場合には、補充要員として待機している人間が派遣されることになっているのだそうだ。それが、ロゼだったというわけだ。

 まあ一言でいえば、『補欠』ということなのだろう。

 そんなバックアップメンバーであるロゼは、これから渡瀬が住んでいた部屋をそのまま使うことになるそうで、僕はその部屋の整理に駆り出されたわけである。

 流し台の上に配置されている、食器などが仕舞われている戸棚を整理しながら、僕はロゼに一番気になっていたことを訊いてみる。

「で、結局春人は無事にあちらの世界に行くことはできたのか?」

 このことはすぐに訊こうと思ったのだが、ロゼは世の転校生すべてが転校初日に受けるであろう待遇をクラスメイトから受けていたので、なかなか話すきっかけが掴めなかった。

 洗濯機の使い方を確認していたロゼはこちらを向くと言った。

「うん。どうして来ることができたのかはまだ不明だけどね。愛の力ってやつかな」

 いたずらっぽく笑うロゼ。僕は続けて訊ねた。

「それで、渡瀬は決まりを破ってしまったわけだけど、なにか罰を受けたりはしなかったのか?」

 ロゼは即答した。

「ああ、それはね大丈夫。本当なら重い罰を受けなければならなかったんだけど、波流春人を連れてきたことで、不問に付されたんだよ」

「どういうことだ?」

 僕が首を捻ると、ロゼは笑って言った。

「まあ一種の取引ってやつだよ。今まで、僕らのいた世界っていうのは、自分たちが異世界に行くことはあっても、異世界からこちらの世界に誰かがやってくることはなかったんだよ。だから、波流春人は初めての異世界からの来訪者ということで、手厚い待遇を受けているってわけ。だから、イブキはむしろ褒められているくらいなんだよ」

「ほお、そりゃあよかった」

 なにはともあれ、二人があちらの世界で仲良く暮らせているならそれでいい。

 部屋の整理を一通り終えた僕たちは、テーブルに向かい合って座り、番茶を啜っていた。

「そういえば、渡瀬に一つ訊き忘れたことがあった」

 僕の呟きに、ロゼは飲んでいた湯呑を置いた。

「訊き忘れたことって?」

「いや、どうして、渡瀬は春人のことを好きになったのかなって。あいつ見ての通り、凡庸だろ? あんなどこにでもいる高校生のどこに惹かれたのかなって思ってさ」

 ロゼはくすっと笑った。

「イブキが波流春人に惹かれたのは、まさにそこなんだよ。イブキは波流春人の凡庸さに惚れたんだ」

「どういうことだ?」

 僕が得心できないでいると、ロゼは番茶を一口啜って言った。

「あのとき、イブキ自身が言っていたように、彼女はあちらの世界の学校では人気者だったんだ。学園のアイドルと言ってもいい。イブキは並行者として学校中の注目を浴びていた。そんな状況に対して、彼女は辟易していたらしいんだ。

 調査員としてこちらの世界にやってきたイブキが望んでいたことは、普通の高校生として生活を送るということ。そんな願望を抱いていたイブキが出逢ったのが、平々凡々とした如何にも高校生らしい生活を送っていた波流春人だった。彼と親しくなっていくうちに、イブキは波流春人のその凡庸さに憧れを抱くようになった。そして、その憧れが次第に恋愛感情へと変わっていったらしい」

「ほお」

 人は誰かを好きになるとき、その相手の特別な部分に惹かれるというのが一般的だと思うが、渡瀬の場合は春人の普通さに惹かれたというわけか。

 いや、渡瀬にとってはその「凡庸さ」こそが、特別な部分だったのかもしれない。

「そんなことより、さ」

 ロゼが自分の髪の毛を触りながら言った。

「ワタル。どうかな。黒髪にしてみたんだけど」

 僕は番茶を一口啜ってから答える。

「まあ悪くはないんじゃないか。でもどうして黒に染めたりしたんだ?」

 答えが気に入らなかったのか、頬を膨らませるロゼ。

「もお! そこは褒めてくれてもいいじゃん。黒に染めたのは、あの髪色のまま学校に行くとさすがに怪しまれるからだよ」

 そう言うと、ロゼはそっぽを向いてしまった。確かに、赤褐色の髪に灰緑色の瞳だったら目立ちすぎるもんな。

「なるほどな。その髪はすごくお前に似合っているぞ」

「本当に?」

 途端に機嫌がよくなり、目を輝かせるロゼ。

「ああ。ゴキブリと同じくらい奇麗に黒く光っているよ」

「どんな褒め方だよ!」

 激昂し、テーブルに足を乗せてこちらに飛びかかってこようとすると、その足が僕が飲んでいた湯呑に当たってしまい、中身が盛大にぶちまけられる。

「もう何やってんだよ、ロゼ。布巾持って来いよ」

「ご、ごめん」

 途端にしおらしくなったロゼは、立ち上がり流し台へと向かう。

 僕は大きなため息を吐くと、横倒しになった湯呑を持ち上げた。何の気なしに湯呑を持ち上げて底を見てみると、そこには二つのアルファベットが刻まれていた。

 それを見た瞬間、僕はこのアルファベットの意味をようやく理解することができた。初めて見た時には、この湯呑を作った人物のイニシャルかと思ったけれど。

 思わず顔に笑みを浮かべてしまう。どうやら春人は自らの夢をこの湯呑に刻んだらしい。その夢は異なる世界で叶ったのだろうか。

「まったく、粋なことをしやがって」

 その湯呑に書かれたイニシャルは、こう解釈することができる。


 Haruto Watarase.

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3-1 days memory 深堀 大茂 @fukahoridaimo

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