あの空へ……

「一番よく寝泊まりしていた家があるんです。そこを僕たちの家、ってショウタとは言ってたみたいなんです。ケンジの部屋は二階にあって、そこに行ってみたら屋根からさらに上にのぼるはしごがあったんです。何だろうと思いのぼってみたんです。するとはしごは屋根を突き抜けて、ずっと上まで続いていたんです。そのままずっと登っていると、ある時上に何かが見えたんです。白い雲のようでした。そこには雲の世界が広がっていたんです。一面の雲の世界と青空が広がっていて、それを見て思ったんです。ここってひょっとしたらケンジが想像していた天国なんじゃないかって」


 果てしない雲の世界と青空。私も小さい頃想像していた天国とはまさにそのような世界だった。晩年はかなり強い治療が続いていたから、ケンジ君の中でもひょっとしたらもうじき行くことになるだろう天国について思いを巡らせていたのかもしれない。


「その世界には畑もあって、馬とか動物とかもいたんです。まるで隠れ里みたいでした。しばらくすすむと小屋があったんです」


 小屋ですか? と問いかけると、お母さんは小さく頷いた。


「中はシンプルでした、宝箱が五個置いてあったんです。それぞれ横に名前が書いてあるんです。私の名前、旦那の名前、ショウタ、それとケンジ」


 私は、はて? と思った。数が合わない。


「あと一つは?」

「ええ、これは誰のだろうと思って見てみると、横に『えれな』って書いてあったんです」


 私は思わず目の前の女の子に目をやった。


「でもその時ってまだエレナちゃんはお腹の中にさえいなかったんじゃないですか?」


 お母さんは恥ずかしそうに頷いた。


「もう今となっては確認しようもないんですが、ケンジは妹が欲しかったんじゃないかなって。そんな気がしたんです」


 家族の宝箱ならわかる、しかしまだ見ぬ妹の分を用意するなんて。そんな発想はとても自分にはできない。


「その時は私たち家族は深い悲しみに沈んでいました。でもその五つ並んだ名前を見ていると、落ち込んでばかりじゃいられない、って思わされたんです。僕らの家族はまだまだ続いていくんだよ、ってケンジに言われているみたいで」


 幸いにもその後、エレナちゃんを授かり、名前は予定通りエレナ、とつけたそうだ。大きくなったら、あなたの名前はお兄ちゃんがつけたんだよ、と教えてあげるのだそうだ。

 ここまでが私が聞いたケンジ君のお話である。


 帰りの飛行機は日こそ落ちかけてはいたが、窓側の席を予約したおかげで外の風景がよく見えた。果てしなく続く雲海を眺めていると、ケンジ君の想像した世界はちょうどこんな感じだったんじゃないか、なんて思いながら先ほどのお母さんの話を思い出していた。


——今でも時々家族でケンジのいたマイクラの世界に行ってみるんです。ひょっとしたらこの世界のどこかでケンジに会えるんじゃないかって。ショウタなんて実際にケンジを見たって言うんです。遠くに人影が見えて、あんな走り方するのは絶対兄ちゃんだって。おかしいですよね、でもケンジは私たちに遺してくれたんです、私たち家族が繋がれる場所を——


 この話を聞けて本当によかった。この出会いたくても難しいだろうタイミングで、ケンジ君のお母さんに会えるなんて、私は幸運だと思った。ひょっとしたら、天国でケンジ君が見てて「先生何やってんだよ、ばーか」とでも言いながら引き合わせてくれたのかもしれない。本当かどうかはいずれ分かる、それまではそう信じて生きていてもいいだろう。

 ちょうど空が茜色に染まりかけた頃、機内では着陸態勢に入るアナウンスが流れていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小児科医と白血病と、マイクラと。 木沢 真流 @k1sh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ