別れと再会
ケンジ君の死顔は安らかだった。
ずるいな、と思った。あれだけ悪い口を叩いていても、亡くなった瞬間天使になってしまうなんて。どうせ天使になるくらいだったら、生きて「ばーか」って言ってくれよ、なんて思ってもケンジ君の口が開くことはもう二度と無い。今まで少年と思っていた彼は、その瞬間先輩になり、私たちの経験していない世界を経験し始める。私はケンジ君の遺体を乗せて自宅へ向かう車に向かって、丁寧に頭を下げた。
一つだけ気になっていたことがある。
ケンジ君は晩年、何を一生懸命マイクラで作っていたのだろうか。お母さんが「出来上がったら見せるので」と言っていたこともひっかかる。たとえほら穴ひとつでも、ちっちゃな家ひとつでもいい、ケンジ君が作った物なら、それが形として残り私たちは感じることができる。しかしその答えを得ることは叶わなくなってしまった。亡くなってしまった家族と再び会うことはよっぽどのことがない限り難しいのが現状だからだ。
子どもが亡くなると、家族との関係は一気に消失する、これを神様が与えたペナルティと私は呼んでいる。重い病気を抱えていても、その子が生きてさえいれば、半永久的に我々小児科医はその子と関係を持つことになる。長くても年一回は受診をするし、風邪をひいたときもその子を診ることだってある。数年後に「あの時は大変でしたね」と当時を振り返って笑い話をすることだってできる、目の前にいる成長した子を見つめながら。
しかし、亡くなってしまうと驚くほど患者家族との関係が無くなる。亡くなってしまった子は定期受診することもなければ、風邪をひくこともない。頑張って命を救えた際に感じられたであろうその子の成長や思い出も一緒に失われてしまう。ケンジ君の生きた証を確認することはもう二度とできないように思われた。
二年が経ったある日、私は大学病院での忙しい生活から離れ、市中病院で働いていた。生まれたばかりの赤ちゃんの心臓を、エコーという機械をあて、検査をする担当をしていた。市中の病院は比較的まだ軽症の子が多く、大学病院で出会うような亡くなる子はほとんどいなかった。その日もいつもどおり暗い部屋で生後一ヶ月の赤ちゃんにエコーを当てていた。最後の検査はエレナちゃんという子で、検査が一通り終わると横にいたお母さんに「問題ないですよ」と言い診察室へ帰したのだった。
午前の外来診療が落ち着き、ゆっくりしていたときに横にいた看護師がぼそっとつぶやいた。
「へえ、さっきのエレナちゃん、お兄ちゃんが白血病で亡くなってるんだ」
そうなんですか、いつですか? と聞いた。大学病院で治療をしていれば、歳によっては自分と関係があるかもしれない、と思ったのだ。
「七歳って書いてありますけど」
じんわりとそのエレナちゃんの名字の響きを思い出しながら、あれ、と思った。
「ちょっと見せてくれますか」と言って私はエレナちゃんのカルテを見た。そしてそれを読み終えるや否や、私は走り出していた。まだ会計の待合にいるかもしれない、そう思ったからだ。エレナちゃんの兄は紛れもなく、あのケンジ君だったのだ。願ってもないケンジ君のお母さんに会えるチャンスだったのに、すぐ近くにいたのに、暗い部屋だったせいか何も知らずに「大丈夫ですよ」なんて言って返してしまったのだ。
会計窓口に行ったが、もうそこにお母さんの姿はなかった。私は息をはあはあ言いながら、膝に手をつき、肩で息をしていた。
聞きたかったこと、話したかったことがたくさんあったのに、それが今だったらできたかもしれないのに。もう二度と来ないかもしれないチャンスを逃し、私はひどくがっかりした。結局エレナちゃんは心臓に問題がなかったため、再びその病院を受診することもなく、改めてケンジ君一家との関係は途絶えてしまった。
それからまた一年が経過した頃のことである。私はとある離島の病院に臨時要員として三日間だけ出向くことになった。
市中の病院は場所によっては数時間休みなしの忙しい場所もあるが、ここは時々ぽつぽつとやってくる患者さんにじっくり話をしてもお釣りがくるくらい時間的余裕があった。時折窓から眺める青い海の眩しさに目を細めながら、「のんびりしてますね」と看護師に呟いた。
「離島はこんなもんですよ」
と看護師は笑いながら答えた。
患者が一人やってきた。その名前を見て、私は思わずはっとした。そして何度も見返していくうちに心臓の鼓動が速くなっていくのを感じていた。
「こんなことって」
そこにあった名前はエレナ。一年前、私が近くでエコーをしたにもかかわらず、声をかけられなかったケンジ君の妹だった。私は緊張した面持ちで、その名前をマイクで呼んだ。
入ってきたお母さんの姿を見た瞬間、安堵の息が漏れた。
「やっぱり。ケンジ君のお母さんですよね? お久しぶりです、こんなところで会えるなんて」
お母さんも私のことを分かっていたようで、笑って答えた。
「はい、私もまさかこんなところで先生の名前を見るとは思いもしませんでした。でも間違いなく先生の名前だったので、ひょっとしたらと思っていました」
ケンジ君のお父さんが仕事柄職場を転々としており、その時ちょうどその離島に居を構えていたのだった。離島という普段は訪れない場所で、しかもたった三日という時間で出会う確率なんて、どれだけ低いか想像ができない。そのタイミングで再開するなんで、これは運命としか言いようがなかった。
ちょこんと座るエレナちゃんは一歳になっていた。どこかケンジ君の面影があった。幸い熱はあったものの、通常の風邪の診断で良さそうだった。幸いその後待っている患者もなく、時間の余裕があった。
「お母さん、ずっと気になっていたことなんですが」
私は思い切ってマイクラのことを聞いてみた。ベッドの上で一生懸命作っていたものは何だったんですか、と。するとお母さんからは意外な答えが返ってきた。
「あの後、ショウタにやり方を教えてもらって、見てみたんです、ケンジの作ったものを。このことはいつか必ず先生にも伝えなければならないものだとずっと思っていました」
一年前にお会いした時も、実はお母さんは私に気づいていたらしい。だが、私の対応を見て、きっと忙しいのだろうと何も声をかけずに去ったのだという。
だが私がずっと気になっていたのと同じく、お母さんもケンジ君のことで、私に伝えたいことがあったのだという。
「ケンジがやっていたワールドを見てみると、小さな家がたくさんあったんです。それぞれの家の前に看板があって、誰々の家って名前が書いてあったんです。友達とか看護師さんとか。先生の部屋もありましたよ、立派な家でした。ひょっとしたら、お世話になった人たちへのケンジなりのお礼のつもりだったのかもしれませんね」
驚いた。あのケンジ君がみんなの家を作っていたなんて。確かに「先生の家作ってあげたよ」なんて言うような性格ではなかったと思う。だからあんなにも恥ずかしがって見せてくれなかったのか、と納得がいった。
しかしもっと印象的だったのはその先の話だった。
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