小児科医と白血病と、マイクラと。

木沢 真流

ケンジ君は白血病だった

——病院とは危険なところである。なぜなら人がたくさん死ぬからだ——


 これは国語の教科書に書いてあった一文で、この論理的な間違いは何だろうか、ということを考えさせるテーマである。

 論理的うんぬんは別として、確かに病院ではたくさんの人が死ぬ。亡くなるのはほとんどが高齢者で、人生最後の場所という意味ではそれなりに感慨深いものがある。

 だが小児だと話は変わってくる。

 小児科医という職業上、幼い年齢で亡くなる子と接する機会は珍しくない。そんな子どもたちは、自分がなぜ生まれてきたのかを考える時間さえ与えられずその人生を終えてしまう。特に残された家族にとってその悲しみは限りなく深い。

 ただ、最善を尽くしても助けられない命もある。その場合、家族がその絶え難い悲しみをどう受け入れ、解釈し、前に進んでいくか、これが重要になる。それを手助けするのが、我々小児科医であったり、友人だったりするのだが、時にはなんとその亡くなった子ども自身が、家族に勇気を与えてくれることもある。

 これから話す内容は、そんな勇気を与えてくれた一人の少年のお話である。


 ケンジ君の病名は白血病だった。熱と咳があり、風邪にしては少し長引くな、と血液検査をしてみると、芽球と呼ばれる未熟な細胞が多数混じっていた。見た目は普通の少年、単なる風邪の子と同じなのに、たったこれだけの結果でこの子の運命は大きく揺さぶられることになる。

 最低6ヶ月、時には数年という期間の入院が確定し、それで済めばまだいいが、治療の反応が悪いと骨髄移植、それでも反応が悪いと死に至る。以前は死の病の代表だった白血病も、医学の進歩で型によっては80%まで生存できるようになってきた。ただ依然として重篤な疾患であることには変わりない。


 ケンジ君はこの時6歳で、2つ年下にショウタ君という弟がいた。

 性格はとてもわがままで、よく弟をいじめていたらしい。診察に行っても、やだ、と駄駄をこねたり、痛い治療もよく文句を言って逃げようとしていた。何度もなだめながら何とか治療をしつつ、帰り際に「ばーか、あっちいけ」と言われたときは、本気で頭に血が上りそうになった。

 白血病の治療は化学療法という血液中の細胞を殺す治療が主だ。悪い細胞を殺すのが目的だが、良い細胞もたくさん死ぬ。血液を作る細胞が死ぬので、簡単に貧血になるため、輸血はほぼ毎週必要だった。当然外にも出られない、面会も限られた人だけだった。

 そんなケンジ君の楽しみが「マインクラフト」だった。子どもから大人まで幅広い層に人気のゲームで、仮想の世界で家を作ったり、動物を飼い慣らしたりと色々なことができる。外で遊べないケンジ君はマインクラフト、通称マイクラの世界でたくさんの家を作り、洞窟を探検し、レアなアイテムを集めていた。


「ほら、これネザライトの剣ってめっちゃレアなんだよ。ネザーで古代の残骸を集めて、それを……」


 レアアイテムをを見せてくれる時のケンジ君の目は文字通りきらきら輝いていた。言っている内容はほとんどわからなかったが、普段は罵詈雑言を吐いていてもこの子もまだちっちゃい子どもなんだな、ということを実感させられた。

 このマイクラのシステムにレンタルサーバーというものがある。これはお金を払うと、複数のプレイヤーが一つの世界で一緒に遊べるようになるものだ。これを利用して、遊べなくなった友人や弟のショウタ君と遊んでいたようだ。

 ある日病室に入ると、ケンジ君が泣いていた。側には怒りの形相のお母さんがいた。どうやら、マイクラで弟のショウタ君の作った家を粉々に壊したり、武器で攻撃したりして、困らせていたようなのである。マイクラの世界でも暴れん坊なんだなこの子は、なんて思っていたのが懐かしい。

 

 そんなケンジ君だったが、不幸にも治療の反応が悪く、より強い治療に切り替えたが、再発、再々発と繰り返し、いよいよ打つ手が無くなってきた。かなり強い治療を行っている時は、悪口を言う元気もなく、ベッドに横たわっているだけのことが多くなった。それでも限られた時間で、マイクラの活動に勤しんでいた。元気な時は「それなあに」と聞くと喜んで教えてくれたが、次第に反応がなくなった。それどころか、「もうっ」と言って隠すようになった。まあ仕方ないか、と思っていると横でお母さんが申し訳なさそうに「出来上がったら見せてくれるみたいなんで」と頭を下げていたのが印象的だった。

 私はお母さんのこのセリフを、機嫌の悪いケンジ君の対応をただ取り繕っただけなのだとその時は思っていた。


 その後ケンジ君は何度か外泊と言われる一泊二日程度の自宅退院を繰り返した。これは家へ帰るための訓練ではなく、もう二度と帰れないだろうから、少しでも家族の時間を作ってあげたいという目的からだった。念願の遊園地も行けた。一泊の予定で病院を出たが、結局は突然の発熱で日帰りとなってしまったが。


 三月、桜のつぼみが花を開こうとしていた季節のこと。ケンジ君は静かに息を引き取った。享年七歳だった。

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