5.大切な場所


 異世界も二度目ともなると、ホームシックでつけないなんてこともなく。私はルークが用意してくれたふかふかのベッドで、ぐっすりと朝までねむってしまっていた。

「おはよう、ルーク」

 軽くたくをして食堂へ行くと、すでにルークは新聞片手にコーヒーを飲んでいた。やけに絵になるその姿に、思わずれてしまう。

 そんなルークは私を見るなり、ほっとしたようにほほんだ。

「おはようございます、サラ。よく眠れましたか?」

「うん、おかげ様で。ルークを起こしに行こうと思ったのに、寝すぎちゃった」

「それなら、明日から俺がぼうすることにします。サラの声で起きたいので」

「ふふ、何それ」

 テーブルの上に並ぶ食事は、朝食とは思えないほどごうおどろいてしまう。

「あれ、私の好きなものばっかり」

「はい。好みが変わっていないようで、良かったです」

 どうやらルークが気をつかって、私の好物を準備してくれたらしい。

 お礼を言った後、美味おいしい朝食を食べながら私達は今日もたくさんの話をしていたけれど。

「あ、ルーク。にんじん食べてあげようか?」

「……今は自分で食べられます」

「そうなんだ。偉いね! 野菜は身体からだにいいもの」

 思い切りめたところ、ルークはしばらくねたような表情をかべていた。

 朝食を終え改めてたくをすると、私達は馬車に乗り込んだ。

 行き先はもちろん、モニカさんの家だ。

「サラ、とてもわいいです」

「もう、ルークは昔からおおに褒めてくれるんだから」

「大袈裟なんかじゃありません。事実ですよ」

 今日の私はミントグリーンのドレスに、ゆるめのポニーテールのようなかみがたで、ドレスと同じ色の髪留めをつけてもらった。落ち着いた大人の女性、というふんだ。

 ルークは今日もこちらがずかしくなるほど、何度も何度も褒めてくれた。

「モニカさん、食堂閉めちゃったんだね。またあそこで働きたいと思ってたんだけど」

 昨晩ルークから、あの食堂は二年前に閉店したと聞いている。私にとって大切な場所だったからこそ、さびしい気持ちになってしまう。

「サラはもう、仕事をしなくてだいじょうですよ」

「えっ?」

 けれどとつぜんルークが真顔でそんなことを言い出したせいで、センチメンタルな気持ちもいっしゅんにしてんでしまった。

「俺が全てのめんどうを見ますから。しきでのんびり好きなことをしていてください。サラは俺のそばにいてくれるだけでいい」

 大真面目にそう言ってのけたルークは、私に対して恩義を感じすぎている気がする。こうして家にまらせてくれて、食事や服を用意してくれるだけで十分すぎるというのに。

 私は大人なのだ、子どもだった彼の面倒を見ていた時とはわけがちがう。いつまでも甘えて、お世話になるわけにはいかない。

「働かないなんて、人間になっちゃうよ」

「ぜひ、そうなってください」

「……なんで?」

「俺は、サラを甘やかしたいんです」

 さわやながおでそう言われてしまい、このままでは私に感謝しすぎている彼に流されて、本当に駄目人間になってしまうような気がした。

 幸いほうは今も使えるようだし、エリオット様の元、ナサニエル病院でまた働かせてもらうのもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、私は流れていく窓の外の景色をながめていた。




***




「わあ……」

 やがて見慣れた建物が見えてきて、思わずなみだぐんでしまった。

 馬車を降りてモニカさんの家の前に並び立つと、ルークがりんを鳴らしてくれる。

 ドアのすきから顔をのぞかせたモニカさんは、ルークを見るなりうれしそうに微笑んだ。

「おや、ルーク。また来てくれたのかい。そちらは」

 やがて私へと視線を向けたしゅんかん、彼女はひどく驚いたように目を見開いた。

「っモニカ、さん……!」

「サラ? 本当に、サラなのかい?」

 こくこくとうなずけば、彼女はきつくきしめてくれた。その温かさに、涙が止まらなくなる。そんな私達を、ルークはやさしい表情で見つめていた。

「それにしても驚いたよ、何ひとつ姿が変わっていないんだから」

「私は逆に、ルークがこんなに大きくなっていて驚きました。いまごろ十四歳になっていると思っていたら、年上になっていたんですから」

 すぐに家の中へと通され、三人でテーブルを囲む。大好きだったモニカさん特製のお茶を飲むと、なつかしくてほっとして。んだばかりだというのに、また視界がにじんだ。

 モニカさんも十五年ったことで、髪にはしらが増えていた。当時四十代半ばだった彼女も六十歳を過ぎ、身体のことを考えて店をたたんだらしい。

 それからは貯金や、ルークの仕送りで生活しているという。ルークはこまめにモニカさんのところに顔を出しているらしく、しっかり親孝行をしているようで嬉しくなる。

「それにしても、本当に良かったね、ルーク」

 モニカさんはルークの背中をたたくと、「がんりな」と微笑んだ。

「サラはこれからどうするんだい?」

「とりあえずはルークのお屋敷でお世話になりながら、仕事を探そうかなと」

「働かなくていいです」

「もう、そんなわけにはいかないよ」

 私達のやり取りを見て、モニカさんは可笑おかしそうに笑っている。こうして三人でいると、昔を思い出し、むねの奥がじわじわと温かくなっていく。

「それにしても、ルークも男前になっただろう?」

「はい。昔かられいな顔をしていましたけど、こんなにてきな男性になるなんて」

「今ならとしもちょうどいいし、サラもいい人がいないならルークはどうだい? こんないい物件、めっにいないと思うよ」

「ふふ、モニカさんったら」

 私とルークがどうにかなるなんて、じょうだんもいいところだ。だからこそ、私は救いを求めるようにルークへと視線を向けた、けれど。

 彼はなぜかにっこりと、かつ満足げに微笑んでみせた。

「はい、可愛い孫を見せますよ」




***




「もう、からかいすぎだよ。ちょっと年上になったからって、生意気になったね?」

「俺もモニカも、からかってなんていませんよ」

「ほらまた、そんなこと言って」

「今だけはそう思っていてください」

 ルークはそんなことを言うと、私の手を引いて歩いていく。そしてあっという間に、すぐとなりのアパートに辿たどいた。

 中へと入ると、ルークの言っていた通り何もかもが当時のままだった。私にとってはたった三年ぶりだけれど、とても懐かしく感じられる。

「……あれ?」

 そうしているうちに、この家には今すぐにでも住めるくらいの生活用品が置いてあることに気がついた。せっけんだってなんだって、全て新品がそろえられているのだ。

「ねえルーク、ここ、今すぐ住めるよ?」

「そのようですね。俺のかんちがいだったかもしれません」

「うーん、やっぱり何から何までお世話になるわけにはいかないし、ここに住んでもいい? もちろん家賃もはらうから」

 そうたずねると、ルークは「いやです」とすがすがしいくらいのそくとうをした。

「俺はようやく再会できたサラと、少しでもいっしょにいたいんです」

「う」

「サラのためならなんでもしますから、どうか側にいてください。お願いです」

 両手をぎゅっとにぎられ、子犬のような視線を向けられる。可愛いルークにそこまで言われて、断れるはずなんてなく。気がつけば私は、首を縦にってしまっていた。


 すると一瞬にしてルークの表情は明るくなり、今にも泣きそうだった顔は笑顔に変わる。

「ありがとうございます、本当に嬉しいです。そろそろ王都へもどりますか?」

「そ、そうだね。あ、ちょっとだけ待って」

 そしてふと、このアパートに来たらうでけいを探そうとしていたことを思い出した。

 元の世界に戻った際、私は確かに腕時計にれた。そして今回、再び戻ってきた時にも。だからこそ、腕時計がなんらかの原因ではないかと考えていたのだ。

 ちなみに祖父の腕時計は、物置に落としてきてしまったようだった。

「うーん、どこに行ったんだろう」

 あちこち軽く探してはみたけれど、見当たらない。重要かもしれないアイテムがどこにあるか分からないとなると、さすがに落ち着かない。

「ピンクのベルトの腕時計とか見てないよね」

「はい。おくにありませんが……」

 どうやら彼も、腕時計のありは知らないらしい。

「待たせてごめんね、行こう」

 今日はこの後、王都でランチをして買い物をする予定なのだ。また時間がある時にでもゆっくり探しに来ようと決めて、私はルークの元へと向かったのだった。




***




 再び王都の街中へと戻ってきた私達は、馬車から降りて歩き始めたけれど。

「もしかして、いつもこんな感じなの?」

「何がですか?」

「こんなに周りから見られてるのかな、って」

「そうですね」

 そう、ルークはすれ違う人全ての視線をかっさらっていた。

 そして時折、「ルーク様だわ」「やっぱり素敵ね」なんて声も聞こえてきたりもする。まるで芸能人だ。私が想像していた以上に、ルークという人は有名なのかもしれない。

 当のルークはもう慣れているのか気にならないらしく、笑顔のまま私と手をつなぎ歩き続けていた。ちがいなく、これも注目されてしまう原因のひとつだろう。

「ねえルーク、手は繫がない方がいいんじゃないかな」

「サラは俺と手を繫ぐのは嫌ですか?」

「嫌ではないんだけど……」

「それなら良かったです。行きましょうか」


 満面のみを浮かべ、彼は再び歩き出す。私の右手は、大きく温かい手に包まれたまま。

 ――思い返せば過去の私は働いてばかりで、こうして二人で一緒に王都の街中を歩くこともなかった。もっと遊びに連れて行ってあげたかったと、いまさらながらに反省する。

 けれど今、隣にいるルークはとても楽しそうで。つられて笑顔になってしまった私は、こうしてもう一度この世界に来られて良かったと、心の底から思ったのだった。

 美味しいランチを食べた後は、ルークの知人が経営しているというお店に来ていた。

 大きな建物の中には、ドレスなどの服から家具や雑貨、しょう品までたくさんの商品が並んでいる。流行はやりのお店らしく、女性客であふれていた。ルークはここのお得意様のようで、入店時から店員が荷物を持ち、常に私達の後ろを歩いて案内してくれている。

「そのちゃわんと皿も二枚ずつ、グラスも全てセットで。あのも二つ色違いでたのむ」

 そしてこうにゅう内容も、しんこんかとっ込みたくなるくらいにペアのものばかりだった。昨日軽く見た限り、あの屋敷にこれ以上皿やグラスなんてらない気がする。

 買う量も相変わらず多すぎて、そろそろ止めようかと思っていた時だった。

「……なあ、もしかして俺、夢でも見てる? ルークが笑顔で女性と手を繫いで、デートしているようにしか見えないんだけど」

 不意に背中しにそんな声が聞こえてきて、振り返った先にいたのは、笑顔がまぶしすぎる王子様のような男性だった。

「レイヴァン」

「よお、ルーク。昨夜はいきなり女物の服を大量に持ってこいなんて言うから、一体何が起きたのかと思ったよ」

「急にすまなかった」

 光の束を集めたような長めのきんぱつに、少し垂れた形のいいアメジストのようなひとみ。それらがよく似合う美男子の彼はどうやらルークの友人らしい。

 そんな彼からは、はなやかな服装もあいって、明るい陽のオーラが滲み出ている。

 やがて彼の視線は私へと移り、ぱちりと目が合った。レイヴァンと呼ばれた彼は、そのまま急に顔を近づけてくるものだから、まどってしまう。

 けれどすぐに、私の視界はルークの背中でいっぱいになった。

「サラに近づくな」

「へえ、サラちゃんっていうんだ。可愛いね」

 ルークの後ろから少しだけ顔を出すと、彼はにっこりと微笑んだ。

「初めましてサラちゃん。俺はルークの親友のレイヴァン・トレス。この店をやっているんだ、よろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「うん。それでさっそくだけど、サラちゃんってルークのなんなの?」

 しゃく家の末っ子だという彼からは、貴族特有の育ちのいいオーラが出ている。領地経営など家の仕事は兄達に任せ、しゅでこのお店をやっているんだとか。

 そんなレイヴァン様の問いに対する答えは、私自身が一番知りたかったくらいで。

 私はずっと、自身のことをルークの姉のように思っていた。けれど今は、さっぱりそんな感じはしない。かと言って、友人という感じでもない。

 私とルークの関係は一体、なんなのだろう。

「か、家族……ですかね」

「へえ、ルークに妹なんていたんだ。初耳だったな」

 的確な答えが思い浮かばず、とりあえず家族だと答えてみたところ、レイヴァン様は驚いたように私達を見比べた。「全然似てないね」と言われたけれど、当たり前だ。

 何より今の私とルークのねんれいは大して変わらないというのに、当然のように妹だと判断されてしまうのが悲しい。

「サラ、そう言ってくれるのは嬉しいですが、俺達はまだ家族ではありませんから。誤解を招いてしまいますよ」

「ごめんね。なんて答えればよかった?」

こいびとと答えておけば、大体うまくいきます。オススメです」


「えっ、それこそ誤解では」

 私の知るルークは、こんな冗談を言う子ではなかった。もしかすると、今のルークは結構チャラチャラとした大人になってしまったのかもしれない。

 そんなことを考えては内心ショックを受けていると、レイヴァン様は信じられないものを見るような目で私達を見つめていた。

「サラちゃんはすごいね。俺は学院時代からルークと仲がいいけど、女性と話してるところなんて、ほとんど見たことなかったのに」

「そうなんですか……?」

 うわついた子に育ったのではと思ったけれど、ルークはどうやら女性が苦手のようだった。

 きっとルークにとっての私は、家族のような存在で。女性として見ていないからこそ、あんな冗談を言えるのだとなっとくした。

「サラ、表情で何を考えているかは大体分かりますが、別に俺は女性が苦手なわけではありませんからね。興味がないだけで」

「あっ、そうなの? 良かった」

 思い切り深読みは外れてしまい、逆にほっとする。

「興味がないって、今までだれともお付き合いしたことはなかったの?」

「……それは」

 何気なくそう尋ねると、ルークはどうようしたような様子を見せた。戻ってきてから、こんな彼は初めて見たように思う。かなりあやしい。

 けれど、ルークの気持ちも分かる。私だって、身内にれんあい話などしたくはない。今後あまりこういう話題は振らないよう、気をつけようと心の中でちかった。

「あはは、あの氷のがこんな顔をしているなんて知ったら、お前のどうりょう達はみな、驚きすぎて気絶するだろうな」

「氷の騎士?」

「あれ、サラちゃん知らない? ルークは最年少で騎士団の師団長になった時から、そう呼ばれてるんだよ。氷魔法が得意だし、本人の態度も氷のように冷たいから」

「ルークが、氷の騎士……」

 氷の騎士だなんて、ものすごく格好いい呼び名だ。モテないわけがない。

 けれどルークが周りからは冷たい人だと思われていることに、私は納得がいかなかった。ルークはいつも笑顔で、誰よりも優しい子だというのに。

「あ、そうだ。ねえサラちゃん、今度三人で飲みに行こうよ。君が知らないルークの話、たくさんしてあげるからさ」

「ぜひ! いつでもさそってください」

「レイヴァン、あまり余計なことを言うな」


「サラちゃんも聞きたいって顔してるよ?」

「はい。ルークのこと、もっと知りたいです」

「……頼むから、変な話はしないでくれ」

 片方の手で目元をおおったルークを見て、レイヴァン様は声を立てて笑っている。二人は本当に仲が良さそうで、ルークに素敵な友人がいることが嬉しかった。

 それからは店内を一人で少し見てくると二人に声をかけ、その場をはなれた。ルークも私きで友人と話したいこともあるだろう。

「わあ、かわいい」

 この世界の化粧品にも、可愛いものはたくさんあるらしい。ルークがある程度は用意してくれていたものの、やはり色々としくなってしまう。

 けれど今までの経験上、ルークに何か欲しいと頼んではいけないことも分かっていた。

 ばく買い好きらしい彼は、どれほど買ってくれるか分からない。

 さきほどドレスのコーナーも見てみたけれど、どれもかなりのお値段がするようで、彼に買ってもらったドレスの総額を想像すると眩暈めまいがした。

 これ以上お世話になる前に働こうと、私は固く決意したのだった。




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