4.その感情の名は

 あのころの俺にとって、サラは世界の全てだった。

 目も当てられないような姿だった俺を拾い、助けてくれた彼女はまるでがみのようで。

 だれよりもやさしいサラはいつもまぶしいみをかべ、そばにいてくれた。

「ルーク、おいで」

 最初はけいかいしていた俺も、身をていしてけいから守ってくれようとした彼女を、いつも自身よりも俺のことばかり優先する彼女を、いつしか心の底から信用するようになっていた。

「サラはどうして、こんなに良くしてくれるんですか」

「ルークのことが好きで、わいいからだよ」

 俺だって、サラのことが好きだった。誰よりも大好きだった。

 働いてばかりの彼女を見ていると、幼い無力な自分がもどかしくて仕方なくて、早く大人になって彼女の力になりたいと常に思っていた。

 彼女がわたびとだということは、聞いていた。

 確かにサラのほうは誰よりもすぐれていたし、時々「イケメン」「やばい」といった聞いたことのない言葉を口にしていたものの、幼かった俺はあまり気に留めていなかった。

 だからこそなんのこんきょもなく、これからもずっといっしょにいられると信じて疑わなかった。

 そしてある日とつぜん、彼女は姿を消した。

 デートの日、花束を手に待ち合わせ場所にいた俺の元に、彼女がいつまでも現れることはなくて。一時間ほど待った後、心配になった俺は急いでアパートへともどった。

 けれどどこにも、彼女の姿はない。モニカのところにも来ていないようで、事故にでもったのかもしれないと家と待ち合わせ場所を往復したけれど、やはり見つからない。

 サラは何も言わず約束を破るような人ではないことだって、分かっている。

 ひどく、いやな予感がした。

「……サラは元の世界に、帰ったのかもしれないね」

 サラがいなくなって三日がった頃、モニカはそう言って静かになみだを流した。渡り人である彼女は、突然姿を消してもおかしくないのだという。

 ――もう、サラに会えない?

 信じられない、信じたくもない事実をきつけられ、頭の中が真っ白になる。

「サラからいなくなった後に読んで欲しいと、手紙を預かっていたんだ」

 そうしてモニカと共にサラの残した手紙を読んだ俺は、彼女がどれほど自分をおもい、行動してくれていたのかということを、知った。

 彼女はテレシア魔法学院の学費やこの先の生活費まで、全て用意してくれていた。

 サラと一緒にいたのは、たった五ヶ月。そんな短い期間を一緒に過ごしただけの俺のためになぜそこまでしてくれるのか、理解できなかった。

「どう、して……」

「ルークの魔法はいつかルーク自身と、大切な人を守れる力になるから、と書いてあるよ」

 そんな言葉に、涙が止まらなかった。貴女あなたがそれを言うのかと。俺にとっては、サラが誰よりも大切な人だった。そんな彼女はもういない。

 それでも、彼女のために強くなろうと思った。

 俺を救ってくれた彼女にじないような人間になると、ちかったのだ。




***




 ―― サラがいなくなってから、あっという間に六年が経った。


 俺はモニカの養子となり、エイジャー男爵家とは完全に縁を切った。

 テレシア学院の最終学年になった俺は、少しの時間もしんで勉強をし続けている。

 サラが俺のために用意してくれた機会を、になどできるはずがなかった。

「おはよ、ルーク。うわ、お前朝から勉強なんてしてんの? よくやるねえ」

 友人であるレイヴァンは、授業が始まるまでの時間にも勉強している俺を見て、あきれたような声を出した。むしろお前はもっと勉強すべきだと言えば、苦笑いを返される。

「ふふ、お二人は本当に仲がいいんですね」

「そ、俺達は親友だからな。リディアじょうは今日もれいだね」

 そんなやり取りを聞いていたらしいとなりの席のリディアは、くすくすと笑っている。調子

のいいレイヴァンの様子にいきくと、俺は再び教科書へ視線を落とした。

「またルーク・ハワードが一番だって」

「化け物かよ」

かんぺきすぎて気味が悪いよな」

 そんな声が聞こえてくるのも、いつものことだ。けれど俺はそんなことを言うやつらよりも、この学園の誰よりも努力している自信があった。

 もちろん、つらい時もある。それでも、サラは頭が良くて強い男が好きだと言っていたのを思い出せば、いくらでもがんれた。自分でも、心底単純だと思う。

「あの、ルーク様。良かったら、これ……」

「悪いけど、誰からも受け取らないことにしているんだ」

 ある日の昼休み、いつものように女子生徒から差し出された手紙を受け取らずにいると、側で見ていたレイヴァンは「うわ、もったいな」とつぶやいた。

「あの子、リディア嬢の次に美人って言われている子だぞ」

「だからなんだ」

 いつの間にか俺の背はかなりびていて、サラの身長をもあっという間にしていた。その上、俺は綺麗な顔をしているらしく、自然と女が寄ってくるようになっていた。

「リディア嬢も絶対、ルークに気があるよな」

「…………」

 彼女の気持ちには、なんとなく気がついていた。

 とは言え、こうしゃくれいじょうであるリディアが平民の俺を好いたところで、どうにもならないことなど、さとい彼女ならば分かっているだろう。

「ルークってさ、女に興味ねえの?」

「ないわけじゃない」

「は? 本当に?」


 あまりにも俺が女性に興味を持たないことで、勝手に心配していたらしいレイヴァンは、おどろいたように目を見開いた。前のめりにまでなっていて暑苦しい。

「好きな女性がいるんだ。彼女以外は、どうだっていい」

 俺の中には、いつだってサラがいる。彼女以外に心が動くことなど、ただの一度もなかった。きっとこれから先も、ずっと。

 毎日のように俺は、サラと過ごした街へ足を運んでいた。サラにもう一度、会いたかった。同じ渡り人が二度やってきたという記録はないし、無駄だとは分かっている。

 それでも、止められなかった。

「へえ、そっか。なんか俺、ルークのこともっと好きになりそう」

「お前に好かれてもうれしくない」

「冷たいなあ。ルークがそんなに好きになる相手って、どんな人なんだろ」

 ほおづえを突きこちらをじっと見つめるレイヴァンは、やけに嬉しそうで。

 誰かにサラへの好意を話すのは初めてだったものの、こうして口に出してみると、彼女への想いはさらふくらんでいくような気がした。

 十八歳になった俺は、王国団に入団した。

 もっと強くなりたくて、ひたすらに戦い続けた。危険度が高い任務も、ほうしゅうが良ければなんでも引き受けた。お金はいくらあっても困らないと、いつもサラが言っていたからだ。

 何より彼女は、金持ちの男がいいとも言っていた。

「ルーク様、お願いですから、もっとご自分を大切になさってください」

 同じ隊にヒーラーとして配属されたリディアは泣きそうな顔で、すがるような声で、いつもそう言っていた。それでも俺は変わらないまま、使わない金と地位だけが残った。

「そろそろ、けっこんは考えないのかい」

 を過ぎた頃、モニカは俺にそうたずねた。

 もう結婚していてもおかしくないねんれいな上に、えんだんくさるほど来ていたからだろう。

 一度だけ女性と付き合ってみたものの、何も感じなかった。

 上司のすすめで何度か見合いもしたけれど、いっぱん的には美しくてきであろう女性でも、やはり心が動くことはなかった。

「俺は一生、サラしか好きになれないと思います」

 そう告げれば、モニカはいっしゅん驚いたような表情を浮かべた後、「そうか」と言い、泣きそうな顔で笑って。そんな気はしていたと、優しく俺の頭をでてくれた。

 つい先日、友人の孫のあかぼうが本当に可愛かったと嬉しそうに話していたのを思い出し、胸が痛んだ。

「サラは、特別だからね」

「……はい」

 俺はきっとモニカに、孫を見せてあげられない。

 それ以外のことで、せいいっぱい親孝行をしようと思った。

 二十六歳になった。いまごろサラは三十五歳だろう。結婚をして、子どももいるかもしれない。さびしさや切なさはあるものの、彼女が幸せならいいと思えるようになっていた。


 ―― サラは、俺のはつこいだった。


 あれから十五年も経っているのだ。いつしか彼女への想いにそんな名をつけ、過去形にできるようになっていた。

 それでも、サラが今も俺にとって一番の存在であることに変わりはなかった。

 これから先も、ずっとずっと変わらない。

 そう、思っていたのに。




***




 彼女はあの日と変わらない姿のまま、再び俺の前に現れた。

「……もしかして、ルーク?」

 十五年ぶりに彼女に名前を呼ばれたしゅんかん、目の前の景色がぶわりと一気に色づいた。

 子どもみたいに、その細い身体からだに縋りつきたくなった。

 今でも毎日この街に来ていたのは、もう一度だけでいいから会いたかったからだ。

 あの日俺を助けてくれてありがとう、俺の人生は貴女がいたからこんなにもじゅうじつしたものになったのだと、貴女がいたから頑張れたと伝えたかった。

 サラのおかげでこんなにも立派になれたと、言いたかった。

 それだけ、だったのに。

「私も、ルークにもう一度会えて嬉しい」

 可愛らしくて優しい声も、やわらかく細められた目元も、太陽のような眩しいがおも、何もかもがあの頃と変わっていない。

 全てが俺の大好きだったサラそのもので、泣きたくなるくらいに胸が高鳴っていく。

 思い出が、あの頃の想いが、せんめいよみがえってくる。

 この十五年の間ずっと、何に対しても心が動くことなんてなかった。

 それなのに今は、サラのさいな言動ひとつで感情が大きくさぶられてしまう。


 彼女への想いを過去形にしたなんておもちがいだったのだと、全身で思い知らされる。

 ――今、この胸の中にあるものはちがいなく、れんじょうだった。



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