悪役令嬢は王子の本性（溺愛）を知らない

２章 出会い②

　右、左、右と惑（まど）わす仕草をしても寡黙な美少年の表情筋が動くことはない。というか、ババ抜きでよくやるこの揺さぶり作戦に果たして効果はあるのか。

　すでに手持ちのカードがない王子は楽しそうに私たちの一（いっ）騎（き）討（う）ちを見ていた。

「どっちでもいいので早く引きませんか？」

　面（めん）倒（どう）くさそうな声を出すシュヴァルツをちらりと見ると、無機質な瞳と目が合う。

　私、一応王子の婚約者なんだけど……。

　不（ぶ）躾（しつけ）な態度にシュヴァルツを半目で睨みつけるが、当人はどこ吹（ふ）く風で気にも留めていない。

「少しくらい表情を変化させてから言ってください」

「確率は同じです」

「うう……。じゃあこっち！」

　勢いよく引いたカードに描かれているのはバカにしたように笑うピエロ。がっくりと肩を落とすと、左手前にいた王子が爆（ばく）笑（しょう）していた。シュヴァルツが無表情なのがさらに辛（つら）い。

「じゃあ、次は私の番ですね」

　負けるものかと背中に隠しながら二枚のカードを混ぜ、シュヴァルツの目の前に出した瞬（しゅん）間（かん）、迷わず引かれた。

「あ、私の勝ちです」

　あまりの早（はや）業（わざ）にシュヴァルツの手の中にある二枚のカードと私の手元にあるピエロを交（こう）互（ご）に見る。

「また負けた!?」

「弱いですね」

「シュヴァルツが強いんじゃない？」

　シュヴァルツが強いとか言ってる王子も十分強いですからね。

　睨むように二人を見たが、フイッと目をそらされた。

「次は違うのにしましょう！　ババ抜きじゃ勝てません！」

「あ、ようやく諦（あきら）めた？　ベルの負けず嫌（ぎら）いは見てて面（おも）白（しろ）いよね」

　負けに負けまくった私に何度も付き合わされた男の子二人は、さすがにもう飽きたらしく、新しいゲームと言うとキラキラと目を輝（かがや）かせた。

　もちろん、輝いたように見えただけであって王子は変わらず爽（さわ）やか笑顔だし、シュヴァルツも無表情だが。トランプに飽きたとは言わせない。

「にしても、ベルはすごいよね。こんなに凝（こ）ったゲームを思いつくなんて」

　ギクリと肩が揺れた。

　シュヴァルツも王子の言葉に同意するように頷く。

　内心冷や汗をかく私に何かを感じたのか、王子の視線が刺（さ）さっている気がする。気のせいだ。多分。

　普（ふ）通（つう）に考えたら九歳の女の子がこんなゲームを考えつくわけがない。どんな天才だって話だ。

　笑って誤魔化そうと顔を上げたら王子と目が合った。王子はすぅっと目を細める。

「これ、本当にベルが考えたの？」

「え、えええっと……」

「あ、違うんですね。そんなことだろうと思いました」

　失礼なことを平然と言いやがるシュヴァルツは無視することにしよう。

「そ、そうなんです。実は私が思いついたものじゃなくて、教えてもらったものなんです」

「教えてもらったの？　誰（だれ）に？」

「お……お父様です」

　口をついて出た噓（うそ）にお父様を利用してしまった。ごめんなさい、お父様。

「お父様が他国へお仕事で行かれた時に、この遊びを知ったそうで」

「なるほど」

　この説明でシュヴァルツは納（なっ）得（とく）したようだけど、王子はまだ問い詰めたそうにしている。

　変なとこつかれたら王子相手に弁解できる気がしない……。

　いまだに私を見つめる王子を不思議そうにシュヴァルツが見た。やがて盛（せい）大（だい）なため息をついた王子は諦めたのか私から視線をそらした。

「まあ、いいや。じゃあベル。その外国のゲーム、ほかのも教えてよ」

「え、ああ、はい！　今度は大（だい）富（ふ）豪（ごう）をしませんか？」

「「大富豪？」」

　ゲームの名前を聞いた途（と）端（たん）、二人はきょとんとした後、声を揃えて復唱した。

　可愛い……！　と叫（さけ）ぶ心をそっと隠して私は二人に微笑みかける。

「金を賭（か）けるの？」

「そんなブラックな遊びじゃないです！」

　大富豪はババ抜きとは全然違うゲームだ。この二人ならすぐにルールを飲み込めるだろうが……。一つ息を吐（は）いて、私は二人に大富豪の説明をすることにした。

　開始してから早五分。

「え、このカードって今出して良いの？」

「どうぞ、どうぞ」

「じゃあ私はジョーカーを出します」

「うふふふ、どうぞ、どうぞ」

　にっこり……いや、にやりと笑った私を二人は不（ふ）審（しん）そうにちらりと見たが、私はしれっと自分の手元に視線を落とす。

　平静を装（よそお）いながらも内心では高笑いをしていた。

　この序（じょ）盤（ばん）の段階でジョーカーを出すとは！

　心の中で嘲笑（あざわら）いながら私は着実にカードを減らしていく。私のルール説明がちょっと意地悪だったのは認める。こうした方がいいよ、とか、ああしたら？　なんて言うほど私は甘くない。

　二人がルールを完全に把（は）握（あく）できていない今がチャンスだ！

「うふふふ」

「あ、終わった」

「え!?」

　王子の方を勢いよく見ると、手元のカードがなくなり嬉しそうに手をヒラヒラと振っている。

「な、なぜ……！」

「ベルの絶望的な顔ってすごく可愛いよね」

「うわぁ……ディラン様、めっちゃ楽しんでますね……」

　私の悔（くや）しがる顔ってそんなに面白いのだろうか。

　シュヴァルツはドン引いたように王子を見るけれど、王子はただ楽しそうに肩を揺らしただけだった。

「まだ、まだ負けてない……！」

　シュヴァルツの手持ちは五枚。

　王子があがりで、次はシュヴァルツから始めることになる。私は最後まで取っておいたハートの二を握（にぎ）りしめた。

「同時に四枚出すのはありですか？」

「えっ？　四枚？」

「十のカードが四枚あるので、出してもいいですか？」

　呆（ぼう）然（ぜん）と頷くと、シュヴァルツは十のカードを四枚出して私の手元に残る一枚のカードを一（いち）瞥（べつ）した。あっさりと上がったシュヴァルツは相変わらず無表情のままだ。

　恐（おそ）る恐（おそ）る視線をずらすと、まるでこの結末が分かっていたかのように王子が愉（ゆ）快（かい）そうに微笑んでいる。

　紙くず同然のハートの二を恨（うら）めしげに睨んだ。

「もう私って勝てない運命なんですかね？」

「うーん、運がないだけじゃない？」

「それ、慰（なぐさ）めてます？」

　胡（う）乱（ろん）な目を向ける気力もなくて、ため息を溢（こぼ）す。

「私が教えたゲームだったのに……」

　一度も勝てないってどういうことだろう。七並べも神（しん）経（けい）衰（すい）弱（じゃく）もしてみたのに勝てない。神経衰弱は確かに無理だと思ってたけど。

「ほかの人とやってみようかな……」

「だめ」

　ぽつりと独り言のように呟いたつもりだったのだが、王子に聞こえてしまっていたらしい。言葉を被（かぶ）せるように否定されて驚いた。

「だってお二人とやっても勝てないんですもの」

「じゃあ勝てるまで付き合ってあげるからほかの人としてはだめ」

　そこで、私が勝てるように手を抜いてくれるとかはないらしい。とにかく経験を積めと。

「でも、お父様相手なら勝てるかもしれませんし」

　そう言うと、王子は釘（くぎ）を刺すように言った。

「家族と俺ら以外とは遊んじゃだめだよ」

「そもそも遊んでくれる友達がおりません……」

「ならいいや」

　なにも良くないのですが!?

　満足そうに頷いた王子をじとりと睨む。

「あ、シュヴァルツ様はもうお友達ですよね？」

　さっとシュヴァルツに笑顔を向けると、シュヴァルツは眉（み）間（けん）にシワを寄せて嫌（けん）悪（お）感（かん）をあらわにした。

「そんな嫌（いや）そうな顔をしなくても……」

「嫌だとは一言も言っていないです。ただ、不思議な方だなぁ、と」

　これは褒（ほ）められているのだろうか。それとも貶（けな）されているのだろうか。

　私からすれば不思議なのはシュヴァルツの方だが。今日会話しただけでも随（ずい）分（ぶん）と印象が変わった。

　感情の読めない人なのは今も変わらないが、王子と話す時は楽しそうで、本人が気付いているのかは不明だが若干口角が上がっている。

　そんなシュヴァルツの様子に、王子を主と認めていないだとか不仲だとかいう疑念はなくなった。シュヴァルツについて詳（くわ）しく知れたわけではないけれど、彼が王子に向ける感情が負のものでないことは理解できた。それだけで、十分だ。

　王宮で王子が気軽に話せる人間がいることにほっとして、体の力が抜ける。

「……でも、楽しかったですよ」

　ふいに眼鏡の奥の瞳と目が合った。

「誰かとカードゲームをするなんて初めてでしたし」

　相変わらず無表情だけど、その嬉しそうな感じはなんとなく伝わった。王子も笑顔を引っ込めてじっとシュヴァルツを見つめる。

「……じゃあ、また遊べばいい」

「え？」

　唐（とう）突（とつ）に口を開いた王子にシュヴァルツが反応する。

「秘密基地はバレてしまったんだし、遊びは人数が多い方が楽しい。だよね、ベル」

「そうですね！　またいつでもいらしてください」

「側近も休みが必要だろう？」

　ふんわりと柔（やわ）らかく微笑んだ王子と私にシュヴァルツは一瞬目を見開いた後、それはもう、嬉しそうに、心からの笑顔を浮かべた。