つくられたもの

八白 嘘

つくられたもの

 僕にはFという友人がいる。

 大学こそ違うが、サークル同士に交流があり、なかでも馬が合うのが彼だった。

 僕とFは、趣味がよく似ていた。それは、漫画であったり、ファッションであったり、ときに女性関係であったりもした。

 そのなかでも特筆すべき点が、ある種の歪んだオカルト好きということだ。

 僕たちは、心霊や魔術、狐狸妖怪といったたぐいのものは、毛の先ほども信じていない。

 しかし、そういった状況下に置かれた人間の心理、及び行動に、いたく興味を持っていた。

 簡単に言うと、怖がる人間を心霊スポットへと連れて行き、泣くまで引きずり回すのが大好きだったのである。

 悪趣味と思われるだろうか。

 僕もそう思う。


 近場の心霊スポットなら目をつぶってでも歩けるほどに行き尽くした、大学三年の秋のことだ。

 他県のスポットをネットで検索していたところ、なかなかの上物に出くわした。ふもとの集落から山腹へと分け入り、ようやく辿り着くことのできるいわくつきの廃屋で、無数の体験談やピンボケの心霊写真などが連々と紹介されていた。

 いわく、集落で生まれた奇形の忌み子を隔離するために建てられた家である。(見るからに現代住宅なのだが)

 いわく、すべての壁に御札が塗り込められており、かつて忌まわしい何かが封印されていた場所である。その何かは、いまなお××山をさまよっている。(封印から解き放たれたわりに行動範囲が狭いのではないか)

 いわく、二階の和室には首をくくるための縄が下がっており、自殺した女性の霊が物言いたげに現れる。(心霊スポットになるくらい有名な場所なのだから、本当に自殺があったなら、縄は警察がとっくに回収しているはずだ)

 ──と、突っ込みどころは多々あるものの、適当に引っ掛けた女の子や後輩たちを震え上がらせるには十分と思われた。

 僕は、ほくほく顔でFに電話を掛けた。

「おい、よさげなとこ見つけたよ」

『マジ? どこどこー?』

「S県の××山っていう──……」

 説明を続けるうち、いつしかFの相槌がおざなりになっていることに気がついた。

「どうかした?」

『ああ、うん……』

「なかなかの優良物件だと思いますが」

『それは、うん、そうだろうな。ただ──』

 一拍置いて、Fが言った。

『俺、そこには行けない』

 予想外の言葉だった。

「え、まさか怖いの?」

『怖くは──いや、ある意味では怖いのかな。どうだろ』

「ここ、行ったことあるの?」

『あるっちゃー、まあ、ある。うん』

 Fが言葉を濁す。

「××館で一晩過ごして先輩から三万ぶんどったFが怖がるなんて、ここ本当に出るとか?」

『幽霊なんているわけないじゃん』

 よかった、いつものFだ。

「じゃあ、なんで怖いのさ」

『いや、怖いっつーか……』

「はっきりしないなあ」

『──…………』

 くちびるを舐めるような気配がして、

『……すこし長い話になるけど、いいか?』

「いいけど」

 妙な流れになってきた。

『まず、最初に断っとく。××山の廃屋に、いわくなんて何ひとつない』

「いや──」

 あるから。数え切れないほどあるから。

 ディスプレイに表示された無数の体験談を読み上げようとして、Fに遮られた。

『なんでかっつーと、そのほとんどは俺が創作したものだから』

「──……は?」

『あの心霊スポットは、俺が──というか、俺たちが作ったんだよ』

「作った?」

『ああ』

 突拍子もない言葉だった。

「まさか、廃屋まで?」

『あの廃屋は、アホで金持ちの親戚が景色最優先で建てて、結局不便で放置しただけのもんだよ。立地が悪すぎて買い手なんかつかないし、当然だけど人っ子ひとり死んでないわな』

「はー……」

 心霊スポットなんて、たいていはそんなものだと思っていたけれど、実際に聞くと感慨深いものがある。

『あれは、高校二年くらいんときかな。心理学かなんかを専攻してた悪趣味な従兄が主導して、心霊スポットをでっち上げようってことになったんだよ。人手がいるってんで、親戚やら知人やら知らん人やら十数人集めて、やいのやいのさ。なんか知らんが凝り性が多くて、けっこう苦労したっけなあ。当時だと築十年くらいだから、床も基礎もしっかりしてて、廃屋ってより空き家って感じでさ。仕方ないから、バールで床板めくったり、壁紙を無理矢理剥がしたりして、なんとかそれっぽく取り繕ったりして』

 なかなか面白そうなことをやっていたものだ。

「じゃあ、自殺用の縄も?」

『あー、やったやった。実家の物置にあったボロ椅子、足場ってことで転がしといたし』

「壁の御札は?」

『それが一番たいへんでさあ。あくまでお題目は実験だから、万が一にも宗教だのが絡まないように、御札の文字は俺がうろ覚えでそれらしく書いたんだよ。古い紙をカラーコピーして、酸性の液体で劣化させて、筆ペンで何百枚も書きまくって。んで、それを剥いだ壁紙の下にわんさか仕込んだんだ。インク代とか馬鹿みたいな金額になったし、腱鞘炎になりかけたし、手間も時間も随分掛かったっけな。おかげで、知らずに行くと座りしょんべん必至の仕上がりになったけど』

「へー、ちょっとしたお化け屋敷みたいなもんか。見てみたいな。今度案内してくれよ」

『だから、俺は行けないんだって』

「なんでさ」

『あー……、ま、いいか。じゃあ、さっきの話の続きになるんだけど』

「うん」

『従兄、心理学っぽいの専攻してたって言ったじゃん』

「言ってたね」

『要は、卒論のネタかなんかで、怪談や都市伝説が伝聞によってどのように変化していくか──とか、事前にそれを聞かされていた被験者とそうでない被験者とでは心霊体験にどのような違いが生まれるのか──とか、まー死ぬほど悪趣味な心理学的実験場を作りたかったってことらしいんだ』

「気が合いそうだ」

『俺の師匠みたいなもんだからな』

「うん、是非会って酒を酌み交わしたい」

『……ああ、うん。話戻すけど、心霊スポットにいわくってつきものじゃん。で、それっぽいいわくを創作して、ネットを主体にFOAFなりで拡散したわけ。なんだっけな……。首吊り自殺をした女が、誰にも気付かれずに腐れて首が落ちて、体だけがずっとそれを探している──みたいなやつ』

「もともとは集落で生まれた奇形を閉じ込めるための家だった、とかも?」

『なんじゃそら』

「いや、ネットにそう書いてあったんだけど……」

『たぶん、後付けの噂だな。後から後から尾ひれがついて、最終的になんだかわからん混沌じみたいわくになったんだろ。もしくは、元の噂を知らないやつが適当こいてイメージで広めたとかさ。でも、その設定なら、せめて蔵とかじゃねー?』

「だよねえ」

 ひとしきり、ふたりで苦笑する。

『──んで、ここからが本題だ』

「うん」

『従兄は、この実験に含意を持たせてたみたいなんだよな』

「含意?」

『表向きは、心理学的な実験場。でも、裏では、いわゆる幽霊と呼ばれるものの正体を突き止めようとしてたらしい。つっても大して本気じゃなくて、実験場につぎ込んだ馬鹿にならないコストをすこしでも回収しようっていう貧乏根性に近いけど。この際だから、気になってること全部ぶち込んどけ、みたいな』

「従兄さんは、幽霊とか信じてたの?」

『さてな。ただ、幽霊というものが、人間の霊魂なんかじゃないと睨んでたのは確かだよ』

「霊魂、ねえ……」

 これほど胡散臭い言葉もない。

『従兄の言説によれば、言葉遊びの上に限り、幽霊は存在することになる』

「はあ」

『たとえば、お前の大学のある教室の教卓に、段ボール箱がひとつ、ぽんと置かれてたとするだろ。そして、大学に一本の電話が掛かってきたとする。お前の大学に爆弾を仕掛けた。時限式ではないが、動かすと、人間が吹き飛ぶ程度の爆発が起きる──とかなんとか』

「どっかで聞いたような話だな」

『そこで、学長が警察沙汰になるのを嫌い、適当な理系の研究室に解体を依頼したとする。……どうなると思う?』

「爆発する」

『するなよ。──ま、その後理系の研究室は見事に爆弾を解体し、多額の予算を得るに至る、とか、そういうオチになるわな』

「都合いいなあ」

『ここで注目すべきは、爆弾の入った段ボール箱が果たした役割についてだ』

「役割?」

『つまり、だ。このたとえ話において、段ボール箱の中身が爆弾である必要って、あるか?』

 僕は、しばらく考えて、

「……ない」

 と答えた。

 物語の小道具としての段ボール箱は、たとえその中身がぬいぐるみのギュウギュウ詰めでも、変わらずその役割を果たすだろう。

『爆弾であってもいい。爆弾でなくとも変わらない。幽霊がいたとしても、いなかったとしても、臆病なやつの怖がり方にそうそう差が出ないのは、俺たちがよく知ってるだろ。実体の有無に関わらず同じ影響を与えられるのなら、それは存在しているのと同じと言える』

「暴論じゃない?」

『暴論だよ。でも、筋は通ってるだろ』

 つまるところ、チューリングテストや中国語の部屋といった思考実験と似たようなものだろう。

『被験者は、あらかじめ創作した怪談どおりの心霊体験をするだろう。んなこた実験しなくてもわかってる。だから、従兄は、あるふたつの悪趣味な仕込みをしたんだ』

 悪趣味なFの悪趣味な従兄の悪趣味な仕込みなのだから、それはもう相当に悪趣味なのだろう。僕は、わくわくしながらFの言葉を待った。

『ひとつは隠し設定だ。流布させる噂話の一部を、意図的に欠落させる。さっきの首吊り女の話で言うと、腐り落ちた頭部を持ち去ったのって、実は山猿なんだよ。だから、女の幽霊は、猿を探すか恨むかしているはずだ。でも、それはあくまで隠し設定だから、実際に流布させる噂話には練り込まない。それでもなお、山猿を探す女性の幽霊を見たって体験談が出てくれば、作り話だったはずの幽霊が本物に昇華したっつー傍証になりうる──とかなんとか』

「なったの?」

『なるわけねー』

 自らを嘲るように、Fは笑った。

『もうひとつ──これが従兄を悪趣味悪趣味言ってる一番の理由なんだが』

 咳払いをして、Fが言葉を継いだ。

『従兄は、本物を仕込もうとしたんだよ』

「本物?」

『本物の、死体だ』

「──……は?」

 唐突にきな臭い話になった。

『死体っつーか、その一部な。右手の手首から先、三人分。従兄に見せてもらったけど、たぶん本物だったと思う』

「え、なに、従兄さん殺人鬼?」

『違う。むしろ、そうであったほうがずっと素直だぜ。殺人の証拠を握って、ずっと犯人を脅してたっつーんだから』

「……これって、本当の話?」

『本当だって言っても信じないかもしれないし、嘘だっつっても同じだろ。好きなほう選べよ』

 そんなことを言われても。

『ただ、殺人犯から金を脅し取るとか、そういう単純な脅迫はしなかったらしい。真綿で首を絞めるように──みたいなこと言ってたよ。この実験にも協力させてたとか』

「……てことは、手首も?」

『そう、手首も。新しく殺したのか、あらかじめ切り取ってあったのかまでは知らん。たぶん、手か指かのコレクターだったんじゃないかな。結局、寸前で取りやめて、床下に埋めるのはマネキンの手首ってことにしたんだけどさ。見つかって警察に調べられでもしたら、速攻で素性バレるし』

「まあ、それはそうか……」

『つまり俺は、知らずに人殺しと作業してたってことだ。総計で言ったら二十人くらいは関わってるし、誰がそうなのかまでは従兄も教えてくれなかったけど』

 ぞくりと背筋が震えた。

「……幽霊なんかよりよっぽど怖い話だぞ、それ」

『まだ怖いとこじゃねーよ』

「うん?」

『本当に怖いのは、従兄が殺されてるってことだ』

「──…………」

 絶句する。

『事故死扱いにはなってるけど、実際には殺された。俺はそう確信してる。手首、なかったらしいしな。従兄もそれを予見してたみたいで、まだ生きてるときに遺言じみたこととか言っててさ』

「……うん」

『自分が死んだときは、あの廃屋に行け。なんでも、俺にだけわかる特殊な方法で、犯人に関する然るべき情報を隠してあるんだと。自分を殺しても解決にはならないっつー警告の意味もあったんだろうな』

「え、じゃあ、行かなきゃなんないんじゃないの?」

『だから、行けないんだよ。監視されてるから』

「──…………」

『行こうと思ったときもあんだけど、そんときはアパートの扉の前に大量の毛髪とバラが敷き詰められてて、大家に超怒られた。バラってなんだよバラって、ははっ!』

 笑いごとではない。

『これでわかっただろ。あの廃屋に、いわくなんてない。山ったって地元の爺さん婆さんが山菜採りに来るような場所だから、言い伝えや伝承なんかもない。従兄が死んだのは東京だし、三人分の手首は念入りに燃やしてフライドチキンの骨と一緒に捨てた。死者の怨念なんかない。あるのは生者の因縁だけだよ。俺が幽霊なら、もうすこしそれらしいとこに化けて出るわな』

「……つーか、大丈夫なの? 警察行ったほうがいいんじゃない?」

『変に相談なんかして、刺激でもしたらヤバいだろ。妙な動きをしない限り殺すつもりはないみたいだから、べつにいいよ。従兄のことは好きだったけど、命を賭してまで仇を取るほどじゃないわな。──あ、そうそう。お前も気を付けたほうがいいぞ』

「え?」

『この廃屋。絶対に行くなよ。特に、ひとりでは、絶対に』

 嫌な予感を押し殺して、僕は尋ねた。

「なんで、行っちゃ、駄目なんだ?」


『──ほら、この電話盗聴されてるからさあ』


 その言葉を聞いた瞬間、僕はたまらず電話を切った。目に見えない殺人者より、平気な素振りでそんなことを言うFのほうが怖かった。


 大学を卒業し、郷里で就職した今でも、Fとはまだ交流がある。元気に生きているということは、あれはきっとFらしい悪趣味な冗談だったのだろうと思っている。

 あの廃屋へ行ってみたい。

 楽しかった大学時代を思い返すたび、僕はそんな衝動に駆られる。

 体験談や噂話は、変わらず増え続けているようだ。

 もはや、S県の定番スポットと言っていい。

 手垢のついた心霊スポットなど、お化け屋敷と変わらない。

 なんの危険があるだろう。


 次の日曜に、予定はない。

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