第25話 05:00 ユリア&イソルダ曹長&キャロライン


  ハネツグとキャロライン、ユートとユリアは用意された装輪装甲車に乗った。

 厚い装甲に囲まれた狭い空間に2組は向かい合って座った。

 みんな疲れ切っていた。ユートは早々に船を漕ぎ出しユリアの肩に頭を預けた。

 ハネツグも起きてはいるが目が半開きだ。


「あなたがエナジーコアを盗み出したときからすべてが始まった」

 そう語り出したユリアをキャロラインは真剣な眼差しで見ていた。自分が真の意味で何を為したのか知りたかったのだ。


「新政府は大陸にある街を次々と支配下に置いているけれど、盗人街への侵攻は躊躇していた。あそこには覚醒者が複数いるし強固に訓練された傭兵団ワイルドギースもいる。加えて人造人間まで素性を隠して地下に潜伏していることも分かっていた」


「そこで新政府が考えたのは、事前に策略を巡らせ盗人街の戦力を削っておいて、人造人間の討伐を契機に盗人街へ侵攻するというものだった。

 教会にエナジーコアがあることは諜報部の調べで判明していたから、あれを使って人造人間を地上におびき寄せればミラニウム弾で破壊することができる」


 「でも、なぜか軍部はこの作戦に消極的だった。

 侃々諤々の議論をつづけた末、作戦の第一段階であるエナジーコアの窃取を諜報部が担当することで軍部も作戦を了承した。

 それ以来、諜報部の手練れが何人も教会へ侵入したけれど、みんなエナジーコアを盗み出すことはできなかった」


 ハネツグは心の中でなるほどと納得した。

 どうしてうちの教会には頻繁に空き巣が入るのか常々疑問に思っていた。しかも彼らはみな人間離れした技の持ち主で、ハネツグが生命の危機に見舞われたのも一度や二度ではない。

 だが、そんな彼らでさえシスターにかかれば赤子の手を捻るがごとく返り討ちにされた。


「私があなたにエナジーコアの話をしたのは単なる思いつき。大泥棒になって裏社会で名を上げたいなんて言うものだから、世間の厳しさ知ってもらおうと思ったの。

 そしたらびっくり、本当に盗み出してしまうのだもの。遠くから様子を窺っていた私はすぐに諜報部に報告したわ。

 あとは大変。新政府のどの部署も事前の準備などしていないし、盗んだのは新政府とはまったく無関係のあなただから段取りなんて望めない」


「じゃあ、どうして私から奪わなかったの?」


「そんなの無理よ。あなたは官設暗殺団といわれる諜報部でも出来なかった事をやってのけたんだよ。私でどうこうできる相手じゃないと思った。でもまあ、今となっては事の真相がおぼろ気ながら分かる気もするけれど」


 そう言ってユリアはハネツグをちらりと見た。おそらくハネツグの存在がキャロラインの盗難成功に深く関わっている。当のキャロラインにその自覚はないようだが。


「それに、あなたが魔女の店でエナジーコアを売却するのは確実だったから計画に大幅な修正を加える必要はないと踏んだ」


「確実じゃない、私が別のところで売る可能性だってある」


「私が言ったとおり教会にはお宝があった。その時点で魔女が一番高くお宝を買ってくれるという私の言葉も疑うことなく信じたんじゃなくて?」


 図星を指されてキャロラインは口を噤んだ。


「軍部は急遽近くで展開していた第10重装機甲歩兵旅団を盗人街へ向かわせ、地元で療養中だったユートは何が何やら分からないまま街の破壊工作に駆り出された。あとは出たとこ勝負の一直線よ」


 そのあとしばらくの間、タイヤを通して伝わる振動を身体に感じながら、キャロラインとユリアは寡黙な時間を過ごした。


「あなた、これからどうするの?」

 キャロラインが頭にぼんやり浮かんだ疑問を口にすると、ユリアは少し視線を漂わせたあと「分からない」と答えた。


「首都へ戻って報告はするけれど、そのあとはどうなるんだろう。次の仕事まで待機するのかな。キャロライン、あなたは?」


 わたしは、とこちらも視線を明後日の方に向けてから、

「今日から新しい生き方を探さなきゃいけないと思ってる」

「泥棒からは足を洗うの?」

「昨日までの能天気な泥棒は父さんが連れてっちゃった」


 キャロラインは行く手の見えない未来に想いを馳せた。

 装甲車が徐々に減速して最後に前へぐっと傾いで止まった。半分寝ていたハネツグは腰を浮かし上部ハッチから外を見た。


「家の近くだ」顔を引っ込めてキャロラインに手を差しのべた。


「キャロライン、僕の家に来てくれるかな?」


 そうだ、前にハネツグとそんな話をしたんだった。


「あら、渡りに船じゃない」ユリアが秘密めかした笑みを見せた。


         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 装甲車はハネツグとキャロラインを降ろしたあと、再び太いエンジン音を立てて首都へと走りだした。

 ユリアの肩に頭を預けていたユートはズルズルとしなだれかかって最後は彼女の膝に頭を乗せた。メイドはそんな彼の前髪を軽く指で梳いた。


「ちょっと、重いんですけど」


 眩しそうに目を開けたユートは指を一本立ててユリアのきめ細かな頬に滑らせた。


「ねえ、どっか飲み行かね?」

「いいよ」

「あと、住んでるところ教えて」

 口説きにかかっている。危難が去って平和な世界に立ち返ると、やはりいつものユートであった。


「住んでるところはもうないよ。今まで盗人街にいたんだから」

「じゃあ俺ん家に住めば?」


 これには言ったユート本人も少し驚いた。

 女性と事に及ぶ際はいつも場末の宿と決めていたから女性を自宅に招いたことがないのだ。ユリアが彼の中で大きな存在となっていることに今更ながら気づかされた。

 もし彼女から離れてしまうとユートの心には寂しさがこみ上げてくるだろう。もっと離れるともっと寂しくなるにちがいない。


「ユートの家どこなの?」

「ここから割と近いところ。平べったい田舎町だし部屋も狭いけどすぐ引っ越す。報償が出るらしいし」

「引っ越し先は私が決めるっていうのは駄目?」

「いいぜ」


「あと、一緒に住むなら私に言わなきゃいけない事があるんじゃないのかな?」

 ユートはしばらく思案顔で宙を眺めたあと「あ、そうか」と呟いて彼女に視線を戻した。


「ユリア、俺とつき合ってよ」

 ユリアは頬をほんのりと上気させながら唇に微笑みを浮かべ「うん」と答えた。


         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 外は空気がひんやりとして澄んでいた。

 背後にある東の稜線に沿って朝日が昇り、世界が色彩を取り戻しはじめている。

 ハネツグとキャロラインは互いの手をとって朝露に濡れた草原を歩いた。

「見えてきた。あれが僕の家だ」


 ハネツグが指さした方を見て、キャロラインはギョッとした。

 まだ暗い草原と白けはじめた空の境から顔を出している尖塔は、明らかに昨日彼女が泥棒に入った教会の尖塔ではないか。

 彼女は本能的に腰を落として踏ん張った。手を繋いでいたハネツグは急に身体を背後に引かれる形となり、どうしたの?と振り返る。


「なんでここなのよ!?」

「あれが僕の家なんだ。昨日、同じくらいの時間に僕と君はあの家の前で出会った」

「あ! あのときの! 顔を強く殴っちゃったひと!」

 ハネツグは恥ずかしそうに俯きながら、殴られた頬を擦った。


「あのときから、ずっと君のことが頭から離れなくて、だって、とても可愛いひとだったから。そしたらシスターが君を連れて来いって言うんだ。神の教えを説くからって」


「シスター? それってもしかして」

 脳裡にネグリジェの悪魔が浮かぶ。

「あ、シスターっていうのは教会の代表をしている方で、正しい名前はシスター・キングコブラ」


 殺される……、猛毒によって殺される。


「私、ちょっと、心の準備ができてなくて」

「さあ、もうすぐだ」

 ハネツグの善意の牽引に抗いながらもキャロラインの身体はズルズル前進してゆく。

「ま、待ってって!」


「なんで? 教会は目の前だよ」

「ハネツグだけならいいんだけど、そのキングコブラって名前の人と仲良くなれる自信がない……ってかそれ本名なの?」


 そんなやりとりをしながらも、ハネツグの力が勝っているがゆえに、とうとう教会を見おろす丘の上まできたときだった。

 ふたりの問答をかっさらい沈黙だけを残すような景色が眼下にあった。

 教会周辺にキラキラと輝く黄金の湖が広がっていたのである。


 朝日を浴びたその湖はまるでそれ自体が太陽であるかのように燦然と輝き、ふたりの顔もその照り返しで金箔を塗ったように光った。 

 戸惑いながら黄金の湖を見おろしていたハネツグは、やがて湖の中にシスターの姿を見つけた。

 小さな身体を一層小さく縮めて、彼女の周りには彼の弟や妹たちが心配そうな顔で集まっている。


 シスターの身に何か遭ったのかと、ハネツグは急いで丘を駆け降りる。

 キャロラインも彼に引っ張られて丘を下りるが、足が全く追いつかず、かといってハネツグに状況を察して手を離す余裕もなかったから、彼女の身体は風にたなびく旗のように宙を泳いだ。


 ハネツグの「シスター!」という叫びと、彼の背後でキャロラインが発している恐怖の悲鳴が届いて、失意の底に落ちていたシスターははっと身を起こした。涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔で辺りを見回して、ハネツグを発見するなり眼球がこぼれるほど大きく目を見開いた。

 皺と一体化した唇をぷるぷる震わせながら言った。


「ハネツグ……生きてたんか……ハネツグ!」


 万感の思いに耐えきれず、放りだしていた機関銃2丁を小脇にひょいと抱え、空に向かい引き金を引きつづけた。


 暁の瞑想的な静けさを破壊する銃声にシスターの咆哮が重なる。


「神よ! かーッ! みーッ! よー~ッ!」


 ハネツグは金貨が敷かれた庭を全力で走り、シスターの前まで来ると跪いて彼女の懐に飛び込んだ。

 シスターはそんな彼を息が詰まるほどきつく抱きしめた。


「あたしゃねえ、あんたを死なしてしまったんじゃないかと思って、自分を責めていたんだ」

「僕も自分を責めています。頑張ったのですが女神像を取り返すことが出来ませんでした」


 シスターは「うん? これのことかい?」と足元にある金貨の小山に手を突っこんで女神像を引っぱり出した。

 ハネツグは口から心臓が飛び出そうなほど驚いた。


「なんで女神像が?!」

 そのあと、ふと思い出したように周囲を眺めわたして、


「それに、この金貨はいったい?!」

「すべては女神アルテミスのご意志なんだ」


 そこでやっとシスターはハネツグの背後でぐったり座り込んでいるキャロラインに気づいた。


「おや? あの娘はもしや」

「はい、彼女を連れてきました」

 シスターは目を細めてキャロラインを手招きした。

 立ち上がっておずおず近づく彼女の顔をシスターはがっしり掴んで色々な角度にひねってみる。


「昨日見たときは小汚い泥棒猫だと思ったが、こうして眺めてみると、中々どうして可愛い娘じゃないか。まあ、どん臭い所もなくはないが」


「すいません、わたし昨日、ここで盗みを……」

「過ぎたことはいいんだ。あんたは女神アルテミスがハネツグに巡りあわせてくれた大事な娘だ。たとえ泥棒だろうと娼婦だろうと、なんだったら男だって構いやしない」


 ひどい言われようである。


「さあ、教会に戻ろう。ちょっと早いがみんなで朝食を食べるよ」

 シスターは子供たちに囲まれながら教会に戻っていった。ハネツグとキャロラインはそのまましばらく金色の草原に佇んでいた。


「僕の仕事はここまでだ」

 ハネツグは彼女の正面に立った。


「このあとどうするかは君が決めることだ。誰も何も強制しない」

「シスターが私に説教するんじゃないの?」

「シスターはすでに君を許している。僕にはわかる。だからこの先どこへ行こうと君の自由だ」


 キャロラインはハネツグをまっすぐに見返した。

「あなたはどうしてほしい?」

「教会に残ってほしい。これからもずっと一緒にいてほしい」

 キャロラインははにかんで視線を下に逃がし、靴のつま先を見ながら「じゃあ、一緒にいてあげようかな」と答えた。



 父がそれまでの彼女を否定し、ハネツグが新しい生き方への橋渡しをした。ふたりの存在が彼女の人生をまったく違う軌道に乗せてくれたのだ。より幸せで、より実りのあるほうへ。

 ハネツグは屈託のない笑みをつくるとキャロラインに再び手を伸ばす。彼女はその手を握り、ふたりは並んで教会へ歩きはじめた。


 ハネツグは幸せだった。キャロラインも幸せだった。


 キャロラインは身体を反らすように空を見上げた。

 生まれたての朝日を全身に浴びながら、ここから新しい自分がはじまるのだと自分自身に告げた。


         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 アレン大佐はマジョリカとの合流地点であるママエフの丘にいた。

 丘の頂で朝露したたる下生えにあぐらを組み、立てた銃に身体を半ば預ける姿勢で双眼鏡を覗いている。


 ワイルドギースは東門の新政府軍を蹴散らして盗人街を抜け、そのまま東に向かってアクセル全開で走りつづけた。

 そしてやっとマジョリカとの合流地点ママエフの丘に到着したのが午前4時のこと。日の出を刻限と決めて待ち続けたが、太陽が地平を離れた今に至るも彼女は現れない。


 アレン大佐も頭では諦めているのだが、立ちあがろうとすると彼女がこの場所を指定したときの声が耳の奥から広がってきて、その度にもしかしたらという思いに駆られ、どうしても次の行動に移ることができない。


 丘を下った平地では隊員や一緒に避難してきた人々が朝食を作ったり怪我の手当てをしたり、あるいはぐっすり眠ったりと、つかの間の休息を最大限に利用していた。

 元々この丘はワイルドギースが有事の際の避難所として使っており、隊員が常駐しているほか長期戦に耐えうる兵站を備蓄している。


 それらはすでに車両に詰め込まれ、今のワイルドギースは大陸の何処へでも補給なしで行けるほど潤沢な物資を抱えている。

しかし肝心の司令官が動こうとしない。盗人街から離れたとはいえ、新政府軍が追ってこないとも限らない。

 みんな不安を募らせ、時おり丘にいるアレン大佐を見上げるのである。


 イソルダ曹長も丘の中腹の停めた車の運転席から大佐を見ていた。

 はやく移動しましょう。ただそれだけの台詞を彼女は言えないでいた。まるで大佐とマジョリカとの繋がりを自分が断ち切ってしまうような気がしたのだ。


「なあ、もう行こうって大佐に言ってこいよ」

 荷台に横たわるオウ曹長がぼやいた。

 彼は全身を包帯に包まれ、さながらミイラ男の風貌である。イソルダ曹長は苛立った顔で背後の荷台に横目を投げた。


「こういうとき、いつもあなたが大佐に進言してると思うんだけど」

「ほら、俺、こんなんだから。ね? こんなんだから」


「こんなんって、なにそのグルグル巻きは?」

「しょうがないだろ、骨折に打撲に打ち身にねん挫、あれやこれやで指一本動かせやしない。俺ひとりでブリキ3人もやっつけちゃったからな。さすがに無理したわあ」


 自慢げに笑いかけたオウ曹長だったが、身体が揺れると耐え難い激痛が走ってすぐ真顔で黙った。

「それがそもそも怪しいの。武器も持たずにブリキを倒したなんて話は聞いたことないし、それが3人もだなんて信じる方がおかしい」

「だよな、おかしいよな」


 オウ曹長でさえ同感であった。

 彼がブリキと対峙したのは足止めが目的であった。

 テコンドーの鍛錬は毎日欠かさないものの、いまだ神域に達しえない彼の技では擲弾すら弾くブリキを倒せるはずもなく、この身体を楯にいくらかなりとも時間を稼げればいいと思っていた。


 ところが、いざ戦闘になってみると彼の技は瞬時に別次元へ昇華した。敵の動きも銃弾の流れも手に取るようにわかり、繰り出す攻撃はことごとく理想の上をいっていた。

 どういう事かと自らに問い、そして気づいたのである。弾丸をかわす身体の動きから、バネのように腰をひねって発せられる足技の数々にいたるまで、寸分たがわず幼き日にその目に焼きつけた両親の戦い方そのものであった。


 死闘の只中にあって、彼は涙を禁じ得なかった。

 今、戦っているのは自分ではない。父と母が降りてきて自分に代わって戦ってくれているのだ。眠りに誘うような温もりが身の内から生じているのもそれが理由だろう。


 だが不満もあった。両親の誇り高い死に憧れ、自分もまた愛する者たちのために殉じようとしたのに好機を奪われたように思ったのだ。そしてまた、ふたりの元へ行こうとして突き放された感もあった。


 1分と経たずブリキたちをガラクタに変え、周囲に敵の気配がないことを確認してから、彼はワイルドギースのもとへ向かった。 

 だんだん身体が重くなり霊的な力が抜けてゆく。節々が痛んで動くこともままならなくなり、もはやこれまでと前のめりに倒れた。


 が、その身体は床に落ちることなく、複数の手が彼を支えた。無意識の淵から浮上した彼は自分を取り囲むワイルドギースの仲間たちを下から見上げていた。彼らはオウ曹長の巨体を掴んでえっちらおっちら運んでいるのだ。


「みんな、どうして?」

「オウがいなくなったらワイルドギースはどうすんだ。みんな俺じゃなくてお前を慕って集まってるんだぜ」


 そんな隊の序列を乱すようなことを、司令官であるアレン大佐本人が言ってしまうのである。危なっかしいったらない。

 やはりこれからも自分が副官として大佐を支えていかなくては。そう決意を新たにしたとき、やっと彼は両親の真意を汲んだ。

 そうか、まだ生きろってことか。

 とんだ愚息だなと厳つく笑って目を瞑った。

 そして両親への感謝と冥福を静かに祈ったのだった。



         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 うなだれながら時おり大佐に視線を送るイソルダ曹長を見ていて、オウ曹長は彼女がいじらしく思えてきた。

 大佐も大佐だが、こっちもこっちで見ちゃおれない。やはりここも俺がひと肌脱いでやるかと軽く咳払いをしてから口を開いた。


「悲しいことだけれど、すべての物語がハッピーエンドとは限らない。なかには当事者の意に沿わぬかたちで終わりを迎えるものもある。

 だがな、重要なのはそこじゃない。重要なのはすべての物語には終わりがあるってことだ。終わればまた始められるじゃないか。

 たぶん大佐と魔女の物語は終わっちまったのさ。大佐の気持ちはまだ終わった物語のなかにあるが、だったらおまえが大佐を巻き込んで新しい物語を始めればいい。大佐の心にできた虚ろな穴をお前が埋めてやりゃあいい。

 俺たちはまだ生きている。生きているってことは未来があるってことだ。そして未来には力がある。今を変えるっていうすごい力がな」


 イソルダ曹長は鼻で笑って、

「なによ藪から棒に、格好いいこと言っちゃって」

「そうか? 俺はおまえが俺に言ってもらいたがっている事を言ったつもりだぜ」


 イソルダ曹長の顔から笑みが消えた。

 席に深く座り直して前を見据え、そのまましばらく動かなかった。オウ曹長の言葉を頭のなかで反芻しているように思えた。

 やがて彼女はドアを開け車外へ降り立った。


「よし、行くよ」と小声で度胸を決めた。

 イソルダ曹長はひしひしと胸にせまる大佐への思いに身を乗せて、大きな歩幅で丘の頂へと歩き出した。


 どうやら次の物語がはじまるようだ。

 オウ曹長は彼女の背中をしばらく見守っていたが、じきにトロリとした疲労の底へと身体が沈んでゆき瞳を閉じた。


 空はぬけるように青く、太陽は瞼を貫くほど輝いていて、呼吸をするたび朝の冷たい空気が肺を浄化してゆく。

 そんな空気に混じって朝食の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。

 新しい朝が来たのだと感じた。

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混沌と時計回り 式守伊之助 @nakamabu

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