八章六話
「という次第だそうですよ」
アルンがその言葉を最後に口を閉じる。窓の外を見ると空は黄昏時を迎えていた。イーケンは組んでいた足を直して椅子の背に身体をもたれさせる。
「同情などする気は無いが、凄まじい生き様だな」
「私も同じ考えです。真似はできません」
彼女が答えると窓から入ってきた風が部屋を駆け抜けた。まだ昼間の太陽のおかげで温まった風だが、日が暮れればもう少し冷たくなるだろう。あと一月もすればフラッゼも秋を迎える時分だった。
「で、河野の処遇はどうなる?」
傾き出した西日を右半身に浴びるイーケンの質問にアルンは首を横に振る。
「分かりません。陛下からのご指示を待っている状態です。この件は既に陛下の手にうつりましたから、我々が勝手に動くことは命令違反に当たります」
「そうか。互いに、色々としんどい仕事だったな」
「まさかこんな任務に当たるとは思っていませんでした。当初の想定よりも遥かに規模が大きくなりましたし、こちらとしても予想外のことばかり起こりました。これからまた新しい任務があるので疲れを残したくないんですがね」
人間離れした彼女がこぼした人間味溢れる言葉を受け、彼は低い声で笑った。それからふと思い出したように問いかける。
「ところで天竜乗り、今日の晩飯はどうするつもりでいる?」
「まだ決めていないです」
「気の合わない仕事仲間と食べるより俺と食べた方がまだましだと思う。美味い店を知っているんだが、どうだ?」
アルンは椅子から立ち上がって上着を羽織り直した。薄い唇の両端を吊り上げ
「大賛成です」
と答える。それを聞いてイーケンも立ち上がった。
河野を捕らえてから約二月が過ぎた。いつの間にか季節は秋となっていた。その間にユーギャス・ルオレの公開処刑が行われ、イーケンはそれに立ち会った。ちょうど傷の抜糸をした日の夕方で、眉一つ動かさずに彼の首がくくられるところを見届けた。
ユーギャスの処刑から数週間もしない間に彼と同じく内通していた者が芋づる式に炙り出された。そのほとんどが重罪扱いとなり、監獄送りでは済まなかった者もいるという。
対して、イーケンは多大な貢献をしたとして元帥直々に表彰された。本部所属の同期や、顔を知っている上官、部下など大勢から褒め称えられることになった。そして同日中にフラッゼ新王国軍務卿は牙月帝国の要請に応じ、二年前の汰羽羅侵攻の二倍の戦力投入を決定。三日後に、イーケンの所属する第三艦隊にも出撃命令が下った。
数十名近い内通者を一掃した第三艦隊は、新たな艦隊長を筆頭に名誉挽回の機会であるとして勇んでいる。牙月帝国も加えた大軍勢が動き出し、今度こそ汰羽羅は二つの大国の武力に押しつぶされようとしていた。
軍艦の近くに立つイーケンは物陰に潜む気配に振り向いた。視線をやった薄暗い物陰には銀髪の天竜乗りがひっそりと佇んでいる。驚いたイーケンは少し離れたところまでアルンを引っ張って行き、問いかけた。
「なぜ軍港にいるんだ? 今日は外部の者は入れないはずだが……」
「監視の薄い場所の壁を越えて入って来ました。天竜乗りですからその程度のことは出来ますよ」
「そうか」
もう何を言われても驚かない。天竜乗りを常識の範疇で捉えようとすることの愚かさをよくよく理解していたので、ただそうとだけ返した。
「これから出撃されるんですよね」
「第一陣が役目をほとんど終えて、俺達第二陣が出られるようになったからな。
イーケンはそう言って海を見た。
既に第一陣は出撃し、海上で迎撃してきた汰羽羅の軍勢を返り討ちにしたという。
イーケンを含めた海兵隊は牙月軍の移送と海上での敵勢力掃討、補給線、野戦病院の確立を主とする第一陣には加わらなかった。第二陣は上陸後に牙月軍と連携を取りつつ、山中に潜む敵勢力を撃破することになっている。
イーケンはふとした疑問をアルンに投げかける。
「天竜乗り、貴様は何のためにここに来た?」
「任務の合間ですが、大尉のご武運の長久なることをお祈り申し上げるために参上致しました」
アルンの銀髪が潮風で揺れ、彼女の芝居がかった台詞にイーケンは穏やかな声で応じる。
「それはありがたい。天竜乗りの加護さえあれば怖いものなしだ」
「言いすぎですよ」
少し笑いを含んだ彼女の声が消えてから僅かな間を置いて、イーケンは言った。
「機会があればまた会おう」
その言葉がきっと実現しないであろうことはイーケン本人が一番理解していた。海軍大尉と天竜乗りでは生きる世界があまりに違う。今回は交わることのなかった線が偶然に交わっただけであり、これからはまた互いに己の生きるべき世界へ戻っていくのだ。イーケンは海軍士官として、アルンは天竜乗りとして生きて死ぬ。
アルンは黙っていたかと思うと自分の腰のあたりを探った。何をしているのかと見ていると細い包みを取り出す。
「私からの餞別です。大したものではありませんが、役には立つはずです」
手渡された包みを開くと、鞘に派手ではないが精緻な意匠の刻まれた短剣が鎮座していた。そっと鞘から刀身を抜けば美しい銀色の刃が日差しを弾く。刃の輝きに目を奪われ、イーケンはアルンから目を離した。刃はイーケンの目の色すら映すほどに美しく研がれている。厚みのある刀身のわりには重さを感じさせないあたりが、刀工の腕の良さを無言で主張していた。
「お前の髪のような色だな」
その言葉に返事は無い。ふと顔を上げると、そこにアルンはもういなかった。呆然とアルンがいたはずの場所を見ていると慌てたように部下が走って来る。
「大尉、こんなところにいらしたのですか!」
「ああ」
「そろそろお時間です。お戻りください」
「分かった。行こう」
短く応じ、黒い軍靴で一歩踏み出した。
白刃を抱いて征け! 青濱ソーカイ @sorakata
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