暗がりの夢の中で、戯言を
真昼に降る雨よりも、夜に降る雨のほうが美しく感じられるのは、何故だろう。陰鬱な雨だとしても、窓を叩くその音色は心地よい。仕事の疲れを洗い流した後の身体には、とてもよく響く。
小さな冷蔵庫から、好みの酒を出して、グラスへと注ぐ。ちびちびと舐めながら、窓を叩く雨を眺める。線を引いて流れ落ちる真っ直ぐな雨。その痕が頭の中にも残って、まるでノイズのように感じる。何を考えるでもなく、ぼうっとただ眺める。そのうちに、お酒もほどよく回ってきて、意識がふわふわとしてくる。残っていたお酒を一息に飲み干すと、わたしは濡れ髪もそのままに、ベッドへと倒れるようにして身を沈める。少しサイズの大きいバスローブをうっとうしく思った。けだるさに身を任せて、わたしは目を閉じる。瞼を閉じたなら、そこから先は夢の時間。
"どんな夢がお望み?"
小さい頃から、私はベッドに入ると、そう自問自答する癖があった。妄想癖といってもいいのかもしれない。夢だから、夢想かもしれないけれど。色々な世代のわたしが浮かんでは、その問いに答えていく。
幼稚園のころの、無邪気なわたしがいう――きれいなお花畑が見たい――(枯れてしまった花も混じっているのに)
様々な種類の混じった、小さな花畑を夢想してみる。所々枯れ朽ちた花が混じって、模様が生まれる。あせた色も、鮮やかな色も、どれの同じくらいに美しい。小さなわたしの目は、綺麗な花だけを見ているのだろう。感じるはずのない甘い香りと共に、次のわたしが浮かんでくる。
小学生の頃の、甘えんぼのわたしがいう――お父さんとお母さんに会いたい――(両親は幼い頃に死んでいるのに)
遠い遠い、繰り返し思い出さないとかすんでしまうような、昔の記憶。珍しく家族三人で遊園地に行ったとき。左手は母と、右手は父と繋ぎながら、馬鹿みたいにはしゃいでいたわたし。仕事が忙しい両親と、一緒にいられることが嬉しかったのだろう。なんのへんてつもない、どこにでもありそうな遊園地の、少しだけ大きい観覧車。一番高いところからみた景色だけは、今も忘れていない。何度でも、何でも甘えんぼなわたしは観覧車に乗り続けるのだろう。観覧車から降りると、次のわたしが目の前に立っていた。
中学生の頃の、現実逃避のわたしがいう――御伽話の国に行きたい――(所詮は物語の中だけの世界なのに)
深い森にしげる、不思議な形の植物。荊をたどっていったなら、いったい何があるのだろう。とげに包まれたわたし? 花がしゃべって歌い、鳥が翼をまげて、うやうやしくお辞儀をする。あぁ、木の影で笑うのは、にやりと歯をむき出しにした猫。くるくると回る首を、はねてしまいたい。真っ赤な、綺麗な色が咲くでしょう。ふとみれば、足元には穴が開いてる。案内役の白ウサギは、わたしを放って何処かへ行ってしまった。お話が好きなわたしは、ずうっと森の中。思い切って穴に飛び込んだわたしの頭の中に、声だけが響いた。
高校生の頃の、独りよがりなわたしがいう――誰もいない、何もない夢を――(存在しないのなら、わたしはどこに?)
そうして、夢の世界は暗闇に包まれた。もともと、夢なんて色も形もないもの。元の、正しい姿に戻っただけなのだと。立っているのか、あるいているのか、前を見てるのか、後ろをみているのか。感覚がふわふわと漂う中で、わたしはまた問いかける。
さぁ、今のわたしはどんな夢がお望み?
わがままの限りをつくして贅沢な暮らしをしている、貴婦人の夢? 抑圧されたストレスを晴らす、血溜まりに躯ばかりが積み上げられる夢? 詩人が語るのもためらうような、残酷な夢? 自らが英雄となって先陣を駆け抜けてゆく、革命の夢? 吐き気をもよおしてしまいそうなくらいに、甘いまどろみ?それとも、夢を見ることすら怠惰に思い、何も望まない?
わたしが、望むのは――ずっとそこにいたくなるような、陽だまりの夢(永遠なんてありはしないのに)
休日には、ゆっくりと読書を楽しんで、料理をして。親しい友人を呼んで、ふるまってみたり。少し焦げてる、などとはしゃいでみたり。他愛のない話を、とりとめもなく喋って。緩やかに穏やかに、流れていく時間。一人じゃなくて、誰かと一緒にいられて。寒い夜も暖かく感じられるような。特別なことはないけれど、どことなく満ち足りている。そんな夢を、今のわたしは望んでいる。
日常生活は仕事で埋めつくされて、自由な時間など、ほとんどありはしない。息をつけるのは、寝る前……お酒を飲んでいるときくらい。浴びるように飲むのでなく、ほんの少量を時間をかけて。そうしていると、酔いもほどよく回り、ぼうっとしてきて、何もかもがどうでもよくなるから。
仕事自体は嫌いではない。上司の人柄もいいし、人間関係にも不満はない。仕事が忙しすぎるのが、つらいけれど。忙しいからだろうか。最近はよく思考がからっぽになる。それでも仕事はこなせているのだから、不思議なものだ。仕事は努力するのだけれど、私的なことにはつい怠惰になってしまう。こうなったらいいな、と他人任せにしてばかり。だからわたしは、夢をみる。
まどろみの夢は夜になり、友人は去っていく。行かないで、とわたしはすがりつくけれど、友人の身体は朧に消えてしまう――あぁ、夢ですら最後までいられないなんて、中途半端。浮上していく意識の中、わたしは繰り返し思う。夢の中で、朽ち果ててしまえたらいいのに。そうすればずっと、夢のなかにいられるのに。
身体を包む寒さで目が覚めた。乱れたバスローブを直して枕もとの時計を見ると、まだ夜と呼べる時間だった。そんなに時間はたっていないらしい。お風呂あがり、そのままにして寝たのがまずかったらしい。ぞくりとした寒気が、まとわりついて離れない。薬でも飲んで、また夢の中にもぐろうか。一度はそう思ったのだけれど、わたしは再び冷蔵庫から酒を取り出して、そのまま飲みだした。窓の外では、さきほどよりも強くなった雨音が響いているのだろう。ノイズが、ふえていく。寒気のせいか、酒のせいか。くらくらとしてくる頭の中で、わたしは思う。何度夢にもぐろうと、どれだけに夢に憧れても、わたしは夢にとどまることはできないのだと。つかの間の刹那だから、夢。ずうっといてしまったら、そこはきっと現実になってしまう。それを繰り返していくのが、生きるということなのかもしれないけれど。
わたしが……死んでしまったら、その時は夢になれるかもしれないけれど。死だけは、刹那で永遠の夢。覚めることは、決してないから。そうなっても、わたしは喜ぶのだろう。やっと夢の中にいられる、と。
頭がだんだんと重くなってきて、わたしは再び横になる。瞼を閉じる瞬間に願うことは、ただ一つ。
"望みの夢が、見られますように"
(願わくば、陽だまりが現実となりますように)
短編集(旧作) 紫宮月音 @violaceus
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