第2話 帰りなむ、いざ
しばらく立ち尽くしたあと、ふわふわする身体を押してその場を離れた。
あやかしは気持ちだけの存在だから、下手をしたらそのまま溶けて消えてしまっていたかもしれない。
北の街へ帰ろう。
駅に行って切符を買って汽車に乗らなきゃ。
ぼんやりと考えていたとは思う。
けれど、行き道とは違って、周りを見ながら歩く余裕などなく、そうしていつの間にか、陽も差さない建物の間の狭い路地に迷い込んでいた。
「おおい!」
不意に、野太い声に呼び止められる」
思わず、ほんの数刻前の出来事がよぎり、身を固くする。
恐る恐る声の方を振り返ると、建物の軒下に青いビニールの敷物を巻きつけた大きな厚紙の箱が置かれていて、髭もじゃの年配の人が顔をのぞかせていた。
きっと、私が泣きそうな顔をしていたのだろう。
「そんな面して、どうしたよ」
それでも、なにも言い出せずに立ち尽くしていると、今度は大きな身振りで手招きする。
おずおずと近くへ寄ると、おっちゃんは奥から紙袋に入った割り箸を乗せた即席麺を取り出して渡そうとする。
けれど、おっちゃんの様子に貰ってよいものかわからずにそのままでいると、
「元気のねえやつ見てると、自分も元気が無くなるんだわ、気にせず食え」
言いながら、身を乗り出して私の手のひらにカップを置いてくれた。
いつか、ゆうくんが分けてくれた緑の蓋の即席麺。
「歳末炊き出しってのか、たくさん貰ったんでまだあるからよ」
おっちゃんはそう言いながら、袋を剥がしてもうひとつを開ける。
自分の分を作りながら、今までの生い立ちを語ってくれた。
高校を出ると東京へ出て、知り合いもいないところでコツコツ働いて来たこと。
ようやく自分で事業を始められそうになった矢先に、知り合いの破産に巻き込まれて、一文無しになってしまったこと。
「それでもまあ、なんだかんだでおまんま食べられてるしな」
と笑い顔で言う。
そんなおっちゃんの傍に腰掛けて、手のひらにじんわりと暖かみを感じながら、蕎麦を口まで運ぶ。
そして、今までのことをぽつりぽつりと喋った。
おちゃんはうんうんと私の話をきいてくれた。
2人で小さなカップをゆっくりとゆっくりと食べた。
少しだけ、幸せの味がした。
「居場所がわからねえなら、また探せばよか」
おっちゃんの言葉にうなずく。
「そうそう、ええ顔になった」
私は、腰を上げてお辞儀した。
そうして、何度も手を振り続けるおっちゃんに振り返って頭を下げて、そして路地を出た。
空が不思議なくらい青く澄んでいた。
駅を探して足を踏み出した私は、傾き始めたお日様を追いかけるように大きな建物に挟まれた道路の歩道を歩いた。
何となくだったけれど、最初に向かった方向が日の出の方だった気がしたから。
そうして、大通りをいくつか渡ったところで、後ろから呼び止められた。
「せっちゃん?」
ゆっくり振り返ると、そこいたのは背が伸びて大人びたゆうちゃんだった。
怪訝そうな表情を浮かべた顔の、瞳が不意に大きく見開かれる。
私がぼろぼろと涙を落としだしたからだ。
ゆうちゃんは慌てて自分の服のポケットを探るけど、ハンカチもティッシュも見つからなくて。
きっと、私が着ている着物で涙を拭くわけにはいかないと思ったのだろう。自分が着ていたジャージの袖を丸めて頬を拭ってくれた。
「いったいどうしたって、会いに来てくれたんだ、よな」
無言でかぶりを振る。
「どこかに泊まるの?叔父さんや叔母さんは?」
言葉に出来ず、ただ首を横に振る。
ゆうちゃんは、少し困り顔で懐から携帯を取り出すと、どこかへ電話をかけ始める。
「母さん、今いい。いや、そだこつでなかで。いや、せっちゃん覚えとる?旅館のおばさんとこん。せがさ、いまここにおっとよ。たわけてせん、ほんに。んだ」
電話を切ってすぐに電話が入り、何度かそれを繰り返してからゆうちゃんが携帯をしまう。
「何も言わずに家を出てきたんだって?喧嘩した?」
私は小さくうなづいた。
断りなく家を出てきたのは事実だったから。
「しばらく迎えに行けそうもないから、預かってって言われたけれど、僕のアパートで良いかな?」
「良いの?」
「僕は構わないし、部屋も一応二間あるし」
「ごめなさい」
「だから、良いって!」
道々、ゆうちゃんから今までの話を聞いた。
たまたまお父さんの転勤とアパートの建て替えが重なったので、東京の大学に通っていたゆうちゃんだけが別のアパートを借り東京に残ったのだそうで。
そして、同居生活が始まった。
下着の買い方もわからない私に、ゆうちゃんの後輩さんがすごい顔で睨みつけながら手伝ってくれたり、みんなで賑やかに年を越して初詣に行ったりした。
コンビニのバイトもした。
あの緑の蓋の即席麺を買った人には、しあわせな味がしますようにと願いながら袋にいれた。
そして3月の終わり、もと居た街で働くことになったゆうちゃんに連れられて、北へと戻る。
驚いたことに、シンカンセンが街まで来ていた。
降りた駅で彼とは一旦別れて、古い街道を家まで歩く。
途中で、とんこう爺に会った。
なんだか輪郭がぼやけて見えて、話す言葉もかすれてよく聞き取れない。
大丈夫だというように、身振りで家の方を指さすので、私は深くお辞儀をして前へ足を進める。
家の引き戸を開けて中へと入る。
奥から、女将さんが大きな足音を立てて駆けてくると、私の両肩を掴んでなんども揺さぶったあとで両の腕できつく抱きしめた。
その時、この人は私のお母さんなんだと感じたのだった。
そうして、しばらくして落ち着いた母に連れられて居間に戻る途中に通りかかった奥座敷にふと目をやると、見知らぬ小さな男の子が床の間を背にちょこんと座っていた。
しあわせの緑 〜座敷わらし、東京へ行く にょろん @HK33
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