しあわせの緑 〜座敷わらし、東京へ行く

にょろん

第1話 東京さ行くだ


私はずっと自分が誰だかわからなった。

気がついたときには、奥座敷の床の間を背に正座していた。

まわりがはっきり見えだしたのは、南部のお殿様が南の街へ移って大分経ったころで、新しい暦で十八世紀という時分だった。

私たちものに憑く怪異は、ものが気をためることで生まれてものが寿命を終えると消えるらしい。

だから、永く使われる旅籠の建物に生まれついた私は、運が良かったのだろう。

人の行き来が多ければまた、気が集まったり散じたりの出入りもはげしい。

自然と周囲に気を配って見るようになる。

それであたりがよく見えると、色々と通りかかるのがわかるようになる。

良いものも悪いものも。

そんな悪いものを裡に入れないのが私の務めになった。

一方の良いものの筆頭は、旅籠から少し北におわし南部のお殿様と縁が深いお稲荷様のとんこう爺で、年若い私を気にかけて通りたびに色々と手ほどきしてくれた。

おかげで、気を呼びり溜めるのが速くに上達したように思う。

けれど、もののけの日々は退屈。

大方の人は私に気付かず、気にも留めないからだ。

たまにお客さんの子供や、旅籠生まれの子が私に気が付くこともあるけれど、ただそれだけで仲良くなるまではなく終わっていた。

そうして時代は過ぎて、御一新であずまの地に帝が移り、何度も大戦があって昭和という時代が大分進んだころ、とんこう爺がこんな話をした。

「なんでもこの頃、白湯を注いだだけで出来るそばがあるとな」

「煮るのではなくて?」

銀色の鍋に麺が入り、火にかけると麺が茹で上がるそばなら私も見たことがある。

「いや、白湯さえあれば日は要らぬようじゃ。緑のたぬきというらしい」

らあめんとかいう即席麺と同じような物だろうかと、私は首をひねった。

そんな話をしてすぐのこと、旅籠に男の子がやって来た。

旅籠の今の女主人、女将の妹の子供だった。

私は、その子が無性に気にかかった。

男の子もそのようで、こちらをじっと見つめている。

しばらくして、母親に連れられて部屋を出て行った男の子は、何かを抱えて戻ってくると、私に向かって声をかけた。

「せっちゃん」

なぜそう呼ばれるたのはわからない。

けれど、そうやって呼ばれた瞬間にあたりの景色が震えて、鮮やかな色に染まった。

まるで、今までとは違う世界に生まれ変わったように。

「せっちゃん、一緒に食べようよ」

男の子はそう言いながら奥座敷の縁側に腰かけた。

「二つって言ったけど、一つしかダメだって。だから、一緒に食べよう」

「ありがとう。あなたはだあれ」

「ぼくは、こずやゆうき。優しい樹っていうんだって。漢字はまだ書けないけど」

そうして、二人で並んで緑の蓋のそばを替わりばんこに食べた。

とんこう爺も食べたことのないそれは、ちょっとしょっぱくてとても幸せな味がした。

そんな事があってから、男の子、ゆうちゃんは毎日のように遊びに来るようになった。

私が家の外へは行けないことがわかると、庭で花を探したり奥座敷で絵を描いたりして遊んだ。

男の子にはつまらないだろうおままごとをする時にも、一生懸命付き合ってくれた。

けれど、楽しい時間はゆうちゃんが小学校へあがる直前の3月、突然終わりを告げられた。

口をきつく結んだゆうちゃんが来て、

「僕、遠くへ引っ越すことになったんだ」

と言って、私の手に紙切れを押し付けた。

「お母さんに場所を書いてもらったから、いつか会いに来て」

あまりのことに黙ったままの私の手を握り、

「絶対だよ」

と何度も言った。


そのあとのことはしばらく覚えていない。

思い出せるのは、とんこう爺に尋ねたこんな言葉だった。

「私、東京に行けるかな」

とんこう爺は小さく頷くと、

「西は難しいが、南なら良かろう」

そうして、私は準備を始めた。

気脈を離れて動くこと。

そして、お金を貯めること。

運天なんて使えない私は、汽車に乗るしか方法がなかったから。

そして、何年目かの夜に私は夜汽車に乗り込んだ。


東京は騒がしく慌ただしかった。

私を変わったモノのように見たのは着物姿の所為だろう。

無理やり手を掴んで何処かへ行こうとする人もいたけれど、大抵の人は丁寧に道を教えてくれた。

そうして着いた先にあったのは、年賀状で何度か見たアパートではなくて、恐ろしく高いマンションだった。
















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