君と僕たちで過去を乗り越える

一 『皇女』推しファンの秘密

 私立守成しゅせい学園の図書室はいつも少し騒がしい。 


「はぅあ~~~~……今日も推しが凛々しくて眩しい……尊……」


 うちの図書室に入り浸る人って変わり者が多い。

 この、入り口の近くでひとりもだえてる半分不審者な子は大石おおいしりょう。

 図書室のヘビーユーザーだ。

 今年入ってきた新入生だから、僕のひとつ下にあたる。

 

 この大石さんと僕は少し似ているところがある。

 というのも──


「ああ……『皇女』さま……今日も素敵です……」


 この子もまた、『皇女』──福井珠々しゅしゅを見たいがために図書室に入り浸っている種の人間だからだ。

 今日も今日とて入り浸る図書館のヌシであるところの金目えね先輩が大石さんに話しかける。


「やれやれ、今日も遠く離れたところで見物かい、お嬢様。どうせなら話しかけてみればいいのに」

「はぅぁ!? そ、そんなこと! あまりにも畏れ多いれすぅぅぅぅぅ!」

「そ、そうかい? 本当にキミは面白い反応をする子だね……」

  

 あの金目えね先輩──金軍左副将・ネメガもちょっと引き気味。

 それほど大石りょうという後輩は特殊な存在感を放っているんだ。

 

「遠くで見てるだけでいいんです! わたくしごときが話しかけるなど、愚のちょっこ、オホン、愚の骨頂! わたくしめなんか透明でいいんです!」

 

 ……キミは透明化できるほど薄い存在じゃないと思うけど。

 でも、僕もこんな感じだったかもしれない。つい、この間までは。



『まずはお友達から』



 あの時は奇跡が起きたんだとかしか、今でも思えないけど。

 『皇女』──福井珠々さんと、まずはお友達になる機会を得た。

 大石さんの言い方を真似すると、このわたくしめなんか、が。

 遠くで見ているだけで満足していたはずの僕が、『皇女』に少しだけ近づけることができたんだ。

 ほかの人が僕たちの関係性をどう見るかはわからないけど、少なくとも僕自身は今の距離感でもとても満足している。



「──同志」

「うわっ!」


 あの日のことを思い出して自分の世界に浸ってた僕は、いきなり大石さんから話しかけられてキョドってしまった。


 この子とは実はちょっとしたつながりがある。

 といってもどちらかといえば一方的なものだけど。

 僕がずっと『皇女』を眺めていたところ、ある日彼女が突然『同志』認定してきて以来、謎に親近感を持たれている。


 だけどそれ以上のことはまったくない。


 たまに挨拶されたりする程度で、情報共有とかもないし、一緒に行動することも、ほとんどない。

 彼女は委員の子じゃないしそもそも僕は陰の者なので、質を同じくしているだろうと思われるオタク女子とでさえ仲良くなれないのだ! どうだすごいだろう! 

 

 ……よそう。むなしくなってきた。


 だけど今回の彼女はいつになく真剣な表情だ。

 まるで覚悟を決めたかのような……

 

「な、なにかな? 大石さん」



「……推しとの距離は神聖にして不可侵。触れるべからず。近づきたいと思ってはならない。ファン一人のエゴにより推しの環境をこわしてはならない。わたくしは今でもそう思っております」



「……え?」


 ドキッとする。大石さんの次の言葉を、恐る恐る待った。


「……でも同志・神室かむろゆう。あなたさまなら! 推しを曇らせたりしない! このわたくしが認めた同志ならば、推しのさらに尊い姿を魅せてくれる。引き出してくれる。不肖ふしょう大石りょう、わたくしめはそう固く信じております!」


「え……う、うん……?」

 

 オタク特有の持って回った言葉遣いに圧倒されてしまう。

 つ、つまりは何が言いたいんだってばよ……?


「わたくし無粋なことは申し上げません。ただ一言、お、応援しております。それではッッ!!!」


 そう言い残して、振り返ることもなく図書室を後にする大石さん。

 ……嵐のように去っていったな。いったいなんだったんだ。


「こらっ! 廊下を走らない! ……あら。神室くん。今日も委員でないのにお疲れさま」

「あっ、寿々木すずきさん……」

 

 入れ替わるように入ってきたのは、クラスメイトの委員・寿々木さん。

 クラスメイトとはいえ、僕は陰の者なので、いまだ会話には慣れない。


「彼女、あなたの知り合いでしょう?」

「え?」

「大石りょうさんよ。たまに一緒に話してるじゃない。彼女──泣きながら走っていったわよ。あなた、なにかご存知でなくて?」

「……え……」


 寿々木さんに怪訝そうな目で詰められる。


「あなた、まさか年下の子を泣かせるようなことを……」

「ち、違います! ご、誤解ですぅぅぅ……」

「……そうね。あなたにそのような甲斐性、あるわけもなかったわね」


 誤解が早々に解けたのはいいことかもしれないけど釈然としないものを感じる……



「……あら? 足元に何か……これは、メモ帳?」


「ほんとだ。僕のじゃないですよ」

「金目先輩? こちらはあなたのものですか?」

「いいや私のものでもないね。おそらく先程までいたお嬢さん──大石さんの落としたものではないかな?」

 

 なるほど確かに。

 さっき大石さんの立っていたあたりに落ちていたから、たぶんそうだ。



「なるほど……ならあなたが届けてあげなさい。神室くん」


「え? 僕がですか?」

「そうよ。彼女の知り合いだし」


「知り合い、って言ってもそこまで仲良くないし……迷惑じゃないですかね? 大石さん、どうせいつも来るんですし、落とし物入れにとりあえず保管しておけば……」 


「……はぁ。あなたって人は。とにかくこれはあなたに預けます。あの子のところに行ってあげなさい。多少気まずくとも、話をするのは大事よ。あなたにその気がないのなら、なおさらね」


「え、は、はぁ……」



 絶対何か勘違いされてる。大石さんと僕は本当になんにもないのに。

 まあいいや……泣いていたとなったら確かに気になるし……放っておくわけにもいかないか……


 そう思い、寿々木さんから預かった、大石さんのものと思われるメモ帳を手に図書室を後にした。




 人気のない廊下まで歩いたところで。ちょっとよこしまな心が芽生える。



 ──ちょっとくらい中身見てもバレないか?



 たぶん彼女の生態からして、『推し』の観察記録かなんかでしょ。


 軽い気持ちでペラペラとめくってみたら──

 ……なんだこれ? えらく達筆で……まるで古代の文字みたいな……



契丹きったん文字だね」



「うわっ! な、なんだ……金目先輩か……って、え!?」

「しーっ。静かに。ひと様のメモを盗み見るのは感心しないね……と言いたいところだけど、今回は別だ。嫌な予感がしてついてきて正解だったよ」 



 先輩、以前僕と関わることはない、って言ってなかったっけ──と思ったけど。

 それは胸のうちに今は呑み込んでおく。


 さっき先輩が言った固有名詞の意味を考えれば、そうも言ってられないことくらいは、僕にもわかった。


 僕たちはさらに人目につかない、縄跳び同好会の拠点へ場所を移した。



「──訳してあげるよ。仕事柄、外交文書とかで少しだけなら読んだことがある」



 ──今日も手がかりはなかった。

 真相に近づいているはずなのに、足踏みが続いている──



 ……問題はこのあとだ。

 


 ──私の推測はおそらく間違っていない。

 謎の力が働き、私は千年もあとの別の国で『生まれ変わった』。

 なぜ祖国ではなく、日本なのか。このことには必ず意味がある。

 そして、ほかにも同様の者がいるはずである。それも、かなり近くに。

 これは私の本能的感覚が告げているものである──



「……先輩。これって」

「そうだね。大石りょう──彼女もまた、この時代にやってきた転生者だった。それに私の推測が正しければ……」

 

 そこから先に目を通した先輩は、メモの中身を読むのをやめた。

 先輩にしては珍しく、なにか、ためらっているようだった。


「……先輩? どうしたんですか?」


「え? ああ……すまないね。ただ……これはいわば我々の問題。ここから先を読んでしまえば、キミに迷惑がかかると思って……」


「今更でしょう? 僕はもう十分巻き込まれてますし、それに先輩が守ってくれるんじゃなかったんですか?」

「……ああ。そうだったな。では……心して聞いてくれたまえ」



 ──この時代に生まれ変わったことはかえって僥倖ぎょうこうなのかもしれない。

 私のほかに転生した者の中に、かつての我々の敵・そう人や女真じょしん人がいることはおそらく間違いない。なんとしても探してみせる。



 そして……一人残らず、殺してやる──



 僕は言葉を発することができなかった。

 大石りょう──あんな人畜無害なオタクっぽい見た目をしている彼女が、まさかこんな苛烈かれつな一面を持っていたなんて。

 金目先輩はどこか遠くを見つめながら、僕に『過去』について教えてくれた。



「彼女は私のような女真人とも、ちょう珠珠しゅしゅのような宋人でもない。彼女はほぼ間違いなく契丹人ヤリュート──女真と宋が手を組み滅ぼした国『りょう』の者だろう」

「……」

「そして彼女は祖国『遼』を滅ぼした宋と女真を激しく怨んでいることは間違いない。私はいい。私一人ならなんとでもなる。だが、万が一『皇女』の正体がバレたら……」



 ……!

 『皇女』が、殺される──!?

 そんな、せっかく平和な時代に転移してこれたのに、まさかこんな身近に危機が迫っていたなんて……!



「ど、どうしましょう……そ、そんなことになったら……僕は……」


「落ち着きたまえ。大石お嬢様は真相にかなり近づいているとはいえ、推測だけだ。確たる証拠は何も得られていないはずだ。そして、普通に過ごしていれば露見することなんてまず考えられない。我々さえボロを出さなければね」


「た、たしかに……」


「いいかね少年。これはキミと私だけの秘密だ。ほかの人に漏らすべきではない。『皇女』には当然として、担任の福井や寿々木すずき可音かおんなどにもだ。協力を求めたりしてはならない。かえって事態を大きくしかねない」


「……先輩は寿々木さんの正体も知っていたんですね」

「まあね。ともかくこれは私たちが長いこと持っておくべきでもないだろう。これは私がお嬢さんに返しておこう」


「……いえ。やっぱり僕が返しますよ。本来は僕が頼まれたものですし」

「だが……大丈夫かい?」

「だ、大丈夫です。このくらい、僕にだってできます。彼女の言葉を借りれば、福井さん──『推し』を曇らせるわけにはいかな──……」



 と、その時。



「──見つけました! 同志・神室佑!」

 

 僕たち二人はビクゥと動揺してしまった。

 まさかこのタイミングで!? めったに人目につかない、ここで!?



「……メモ帳を落としたと思ったんですよ。どこを探してもなかったし。図書室かな、と思って行ったら委員の人が教えてくれたんです。あなたがわたくしに届けてくれようとしてくれてるって」


「あ、ああ。こ、これだよね。は、ハハハ、早いうちに会えてよかったよ」



 大石さんが僕を見る目は激しい疑念に満ちているようだった。

 恐ろしい眼力だ。

 しまった、これってひょっとしてかなりマズい……?

 ゲームだと間違った選択肢押しちゃったくさい……??

 


「同志、つかぬことをうかがいますが……見たんですか? このメモ帳」

「え!? そ、そそそそそんなわけ」

「……少年……」


「ご、ごめん! 悪気があったわけじゃなくて。た、ただ本当に大石さんのものか、確かめたくって……でも、その、すごく達筆だからよくわからなかったから! 中身まではよくわからなかったから! 安心して!」


「……少年……」


 見かねた金目先輩が助け舟を出してくれた。

 

「すまなかったね愛しいお嬢様。中身を見て確認しようと思い立ったのはこの私でね。私が責任を取って謝罪しよう。本当に申し訳ない。でも一つだけ安心してくれたまえ。神室少年の礼を失する言い方で気を悪くされただろうが、私たちがこのメモの文字が読み取れなかったのは本当だ。キミのプライバシーは守られてるよ」



「……そうですか。わかりました。お恥ずかしながら、推しへのほとばしる愛のあれこれを、つらつらと書き殴ってしまっていたのです。そんな文章が読まれてしまってたら、この大石りょう、あまりの羞恥でグニャグニャと身悶え天へと召されてしまったところでした!」


「あ、ああ……そう……」



 いつものオタクしぐさ全開の大石さんに戻っていたのはよかったけど、さっきまでのあまりの温度差に寒気すら覚えてしまう。



 福井さんの曇った顔なんて見たくない。笑顔でいてほしい。

 そうなるように頑張る……その決意は今でも変わらない。

 でも、前途は予想だにしない方向から困難なものになってしまったんだ──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

図書室の『皇女』は本が嫌い コミナトケイ @Kei_Kominato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説