十二 恋を見てせざるは勇なきなり

 図書室というのは静かにすべき場所だ。

 だからまったくしゃべり声がしないなんてのはいたって普通のことだ。

 そう、ここで無理に話をすること自体が、おかしいんだ。


 きょうはじめて僕は自発的に『皇女』のすぐ横の椅子に腰掛けた。

 それだけで僕の中では大きな前進だった。

 だけど、それまでもそこからも、たがいに一切の無言。

 まっすぐ僕を見つめた『皇女』は一瞬だけ表情を強張らせたけど、そこからはいつものように読書にふけっている。

 

 以前ならば心地よかった静寂が、なんだか今はひどく気まずい。

 ……そう感じてるのは僕だけかもしれないけど。


「……見てられないね。少しはなんか話したらどうだい」

「あらあら、いいじゃないですかういういしくて」

「男子たるもの、もっとガツガツいくべきだと思うけど。断じて行えば鬼神もこれを避くって言うじゃないか」

「それ、語源となった故事はあまりいい場面じゃありませんよ~?」

「う、うるさいな。た、ただ心構えとして語っただけで……」


 ……ここからでも聞こえてますよ。受付の先輩方。仲がいいですね。

 仕方ないじゃないか。こうして彼女のそばにきたのも、ずいぶん久しぶりなんだから。

 ここにいるだけでいっぱいいっぱい。

 体温は急上昇かつ不安定な鼓動を刻む。ぐるぐるとかきまぜられるような僕の意識は、テンパりすぎてテンパリングって感じだ。

 

「……──の?」


──なので、『皇女』から渡されたボールを、最初はすっかり取りこぼしてしまった。話しかけれられた、と気づいたのはおそらくだいぶ遅れてのことだった。


「……聞いてる?」

「え、あ、ひゃいすみませんなんでしょうか!?」

「……本。読まないの?」

「は!? そ、そういえば……ッ! す、すみませんでしたッ!!」

 

 恥ずかしさをごまかすように、あわてて席を立つ。

 ああああああやらかしたやらかしたやらかしたあああああ。

 今までなんでそんなことに気づかなかったんだよ……!?

 こ、これじゃただ女子の隣に座りたいだけの変質者じゃないか……!

 実際のところ否定しがたいけど……!

 と、とりあえず急いで読む本を探そう……!

 

「……好きなの?」

「ふぁいっ!? す、すすすすす……ぃって何がですかァ!?」

「あ、いや……歴史」

「あ、なんだそっち……って、いやいや、そ、そうですね! 最近すすす……ぅきになりましたね!」

「……そう。前にも言ったかもしれないけど、もしさ、好きだったら……私がもっと読みやすいのを紹介してあげるけどと思って」

「──! いいんですか!?」

「もちろん。私もね、ちょうど欲しかったんだよ。共通の話題ができる人。私だって、ずっと独りなのはね、流石にね」


 やや照れたようなしぐさを見せる『皇女』。ああもう可愛いな。

 そうか。彼女も孤高の存在を続けるさみしさみたいなのがあったんだな。大人びているけどやっぱり僕らと同世代の女の子だ。そう思えると少しだけ距離が近くなったなと感じる。


「じゃ、じゃあちょっと何を読めばいいか見てみよっか」

「え? そ、そうですね!」  


 二人して立ち上がろうとしてしまったものだから、お互いの手が触れた……と知覚したのもつかの間、彼女はものすごい勢いで振り払った。


「あっ……ごめん……」

「い、いえ全然全然、気にしてませんから! 大丈夫ですよ!」


 事情を知らなかったらめっちゃ傷ついてたと思うけど。

 

「実を言うと……昔ちょっとあって、私は男の人が苦手なんだ」

「……はい」

「でも不思議と、か…神室くんはなんかほかの人と違う感じがする。男の人っぽくないというか、なんというか……」

「あっ、はい。なんか冴えない感じですよね……」

「えっ、あ、ごめん……! そういう意味じゃないんだ……そうじゃなくて、ああうまく言えない。悪く言ってるんじゃないんだ、本当に。ああ、もうなんて言ったらいいんだ……」

「だ、大丈夫ですよ! ぼ、僕の方こそなんでも悪く捉える癖があって、すみません……!」


「私は、見た目とか……『女』という部分だけで見られるのがすごく嫌だったし、『皇女』と呼ばれてるのも正直あまり好きじゃない」


 ……そうなのか。

 『皇女』と呼ばれること、人知れず葛藤してたんだな……

 

「でも、神室くんはなんというか、もっと深いところまで見てくれてるというか……そんな気がするんだ」

「え? そ、そうでしょうか……?」

「そうだよ。あなたは自分のいいところに気がついていない」

「い、いやそんな……買いかぶりすぎで……」

「もしかしたら都合のいい関係を神室くんに求めてるのかもしれない。でも……もし、それでもよかったら……その……」


 ──!!

 こ、これって……!?

 こんな流れが僕に許されていいんですか……!?

 それならどう返したらいいかなんて、決まってる。


「もちろんです! それこそ僕が望んでいた形なんですから!」

「え……?」

「福井さんの都合で動けるなんて……! こんなにうれしいことはないですよ! どんどん僕に福井さんが都合のいいことを押し付けちゃってください!」


「……あなた、変な人って言われない?」

「え!? そ、そうでしょうか……? 多少変かもしれないですけど……」


「……まあいいよ。そういう人なんだなってわかったから。じゃあ、これからよろしく。こういう時はなんて言ったらいいのかな……」


「そうだ。こうかな……『まずはお友達から』」

「はい! お友達から! こちらこそ、よろしくお願いします!」


「ゴホン……そろそろいいですか~? 図書室で私語は……」

「あ、すみません……!」


 僕たちふたりはいまいる場所を今更のように思い出し、恥ずかしくなって縮こまるように着席したのだった。


「……はあ。もうひと押しだったのに、『お友達』で満足だなんて。ヘタレを極めし者め」

「あら~? いいじゃないですか。わたしは素敵だと思いましたけれど。お二人のペースでいけばいいんですよ~」

「ふん。わからないね。ずいぶん遠回りじゃないか」

「うふふ、微笑ましい限りですよ。われわれはひそかに見守っていこうじゃないですか、後方保護者面で」

「はは、そうだな……後方保護者面。いいな、なんかそれ」


 ……だから全部聞こえてますって。本当に先輩方、仲がいいですね。

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