十一 センパイの秘密(後)

 ──ネメガ。

 『金』の皇族序列第5位。

 靖康の変において右副元帥・斡離不オリブと共に、左副元帥として指揮にあたった将軍。つまりは『宋』の首都を攻撃し『皇女』とその周辺の人たちを連れ去り、彼女たちの人生をメチャクチャにした張本人だ。

 

 

 やっぱり、身構えるなってのは無理な相談ってやつだ……!

 まさか── 


「キミはもう少し態度を隠すということを覚えたほうがいい。まさか『敵』がこんな近くにいたなんて。とでも考えているのだろう?」

「!? い、いえ、そんな」

「『あの時代』にいたら長生きはできないよ。もっとも、キミのそういうかわいいところも私は好きだけれどね」

「あ、あはは……」


 なんだこの状況。愛想笑いが精一杯だ。

 ……生きた心地がしない。この人、どこまで本気なんだ……?


「──まず私は『敵』ではない。そのことをわかってほしい」

  

 そ、そのようにおっしゃられましてもね……

 こちらとしましては警戒を解くわけにもまいりませんでしてね……


「安心したまえ。私はこの時代、この身体をそこそこ気に入っている。『皇女』殿下に正体を明かすつもりもなければ、いまさら騒ぎを起こすつもりもない」

「……」 

「最初に言ったとおり、キミには正体を知っておいてもらったほうがいいと思ってね」

「……どうして、ですか?」


 おそるおそる訊ねる。


「私たちの時代をある程度学習した今ならキミにもわかってくれるだろうと思ってね。歴史というのは立場によって見えてくるものも違ってくる、ということをね」


 先輩の話は以下のようなものだった。

 確かに私たちの民族は『宋』の皇族たちをはじめとした多くの人たちに残虐なことをおこなった。現代はもとより当時の価値観であっても到底許されることではないし、申し訳なく思う。


 ──だが、私たちが一方的な加害者だと思われては心外である。


 あの事件の前には『宋』側に盟約違反が多々あり、あまつさえ裏で別の勢力と手を組んで私たちを滅ぼすべくはかりごとを巡らせていたのだ。

 私たちの『金』は2世紀弱ものあいだ連綿と続いていた『宋』とは違い、当時建国間もない新興国。


「……宋の裏切り行為を見逃し続けていれば、ああいった目に遭っていたのは私たち自身だっただろうね──」


 なるほど、中世社会は今よりも人命の価値がずっと軽い。

 やらなきゃやられるという厳しい世界で、生きるためには他者の生命、尊厳をおもんばかっている余裕もなかったんだろう。

 でも、だからといって……


「そんな侮蔑の目で見ないでくれよ」

「……」

「赦してもらおうなどとは思っていない。ただ、現代には私たちの末裔たちも数多く生きている。彼らにも名誉がある。現代人たる彼らまで女性差別をしてなんとも思わない『悪』であると、そのようには誤解してほしくない」


「……それは、もちろん。過去にひどい行いがあったとしても、今の人たちには罪がありませんから」

「その一言が聞けただけで、私がこの時代に招かれた意味があった」

「先輩……」

「実を言うと、図書委員などという肩書をもって『皇女』をずっと見守っていたのは、ある意味で私なりに筋を通したつもりだったんだよ。それで償いになるとは思っていないが……」


 ……あっ。

 いつものように図書室に居座っていたのは、もしかして……


「なかなか周囲に馴染めない『皇女』をひそかに気にかけていたわけだが……今後はキミにもお願いしようかな、とね」

「……ぼ、僕に?」

「そうだ。少し頼りないところもあるが……キミには何より誠実さがある。その一点だけでも信用に足る。私がこんなことを言える立場ではないかもしれないが……『皇女』を、よろしく頼む」

「……」


 言われなくても。

 

「女になったといっても、騎馬隊を率いた元・武将だ。力になることもあるだろう。困ったら頼ってくれていい。難しいとは思うが……どうかこれまでと変わらぬよう、私とも接してはくれないか?」


 ……こんな重い事実を知った上で、今までと同じように先輩と接することなんて、できるんだろうか……?


「……自信が、ありません」

「……そうか」


 先輩の表情はどこか寂しげだった。


「安心したまえ。ならばこれ以上、私から君に関わることはしない」

 

 そう言うと先輩は書架の鍵を開け、ここから出るように促した。


「時間を取らせたね。行きたまえ。私なんかより逢いたい人がこの先にはいるんだろう?」

「……失礼します」



 寿々木さん、そして金目先輩。

 こんなにあの時代に関係している人がここにいるなんて。

 そうなると、いつまた当時の『敵』と再会し『皇女』が危険な目に遭うかわかったもんじゃない。

 僕個人のウジウジした悩みとか、そんなのはもうどうでもいい。

 腕っぷしじゃクラスでも下から数えたほうが早い。僕が守る……だなんて言ったら思い上がりもいいとこかもだけど。

 ちゃんとしなきゃダメだ。

 二度と悲しませたくないんだったら──向き合わなきゃいけない。

 どんなことがあっても……!

 

 彼女はきっとまだ座っているだろう、いつもの場所に。

 もう迷わない。脇目も振らず、まっすぐに向かう。



「ふう……さて。人払いと見張り、感謝するよ。東桃花──いや、宋皇帝徽宗夫人・ちん桃花とうか

「あらあら~。うふふ、バレてましたか~」

「ごく短期間だが、君は私の息子に仕えたこともあるだろう?」

「……あらあら、まあまあ。赫々たる戦果を挙げられた、偉大なる金国皇族序列第5位・ネメガ様が一介の召使いまで覚えてくださっているなんて。記憶力が大変によろしいのですね~」

「お褒めに預かり光栄だよ。しかし、どうして私と組もうと思ったんだい? ほかならぬ私がキミを皇帝夫人から一介の召使いまで降格させた張本人。不倶戴天の敵であろうに」

「うふふ、あなたには関係ありませんよ~」

「……そうだね。重要なのは現在において利害が一致していること。これからも引き続き『皇女』とあの少年──神室佑を見守っていこうじゃないか」

「見守る……? 『監視』の間違いではないですか~?」

「結果として彼らを守るんだ。同じことさ」

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