6話 絶体絶命の森

 まずい。まずい。まずい!

 ノアは心の中で焦るように叫んだ。森の中を祠とは反対方向に全力で走りながら、どうにかこの状況を打開する方法を何通りも頭で駆け巡らせては振り返って目の当たりにする現状で全て撃ち落とされる。

 もう二十分くらいは走っているだろうか。息が上がってきていることにノアは悪い予感がしていた。ロシュたちが戻ってくるまで果たして持つか、その考えだけが頭の中を支配している。

「おい!いつまで逃げ回るつもりだ!」

 後ろから飛ばされる怒号に思わず肩がすくむ。奴らの狙いはどうやら目玉の石のようなのだ。

 ノアとロシュが森に足を踏み入れた瞬間からすでに事態は悪い方向に進み始めていたのだった──。


「まずいな。一人だけじゃないみたいだ」

 木の陰に隠れながらロシュは珍しく険しい顔をした。森に入ってから五分も歩いていないところでノアは木の裏に引っ張り込まれた。ノアの口を塞ぎながら「しっ!後ろ」とロシュは声を潜めて後ろにいた魔族を指さした。木々に囲まれて四つの影が動いているのがノアにも見えた。まるで休憩でもしているかのような様子で穏やかに談話していたのだ。

「魔人が二人に魔物が二体。僕たち二人だけじゃ厳しいかもね」

 魔人特有の肌の模様を確認してからノアも負けじと小さな声で言った。

 闇魔力を扱う魔族の中でも人型の魔人は普通の魔物と違って頭の回転も早く経験や知識をもとに戦略を練ってくる上に、魔法を巧妙に扱えるから厄介なのだ。

 魔人の中には元々ノアたちのように光魔力を扱うリト神の崇拝者だったが、闇の神ダーストに心を奪われ魔人と化してしまった者もいるとロシュの父グレンは言っていた。

「このまま祠の方に向かわれたら二人が危ない」

「気づかれずに森を抜けて戻るしかないね」

 ノアとロシュが忍び足で祠の方へ帰ろうとしていたその時、事件は起きた。突然、ロシュのポケットが紫色に発光しはじめたのだ。ロシュは発光の正体を突き止めようと慌ててポケットに手を突っ込んで恐る恐る抜いてから発光している物体を確認した。

 昨夜、ロシュが拾ってきた奇妙な石は以前にもまして禍々しいを放っているのがノアの目には見えた。赤黒かった目玉の部分も今はおどろおどろしく真っ赤に光っていた。

「石が──光ってる」

 取り出した石は木に覆われた森の中に一筋の紫色の光を生み出していた。

 しまった、とノアが思った瞬間にはもう遅かった。ノアたちの後ろで談話していた魔人たちも異変に気づいたのだ。

 魔人の一人と目が合ったノアは背筋が凍りついた。長身の魔人は左目に眼帯をしていたが、恐ろしいほどの殺気を含んだ目でノアを睨んでいた。殺気立った目はノアの顔からロシュが手に持つ紫の光る石に移った。

「貴様ら、それをどこで拾った?」

 静かだが、確かに怒りの片鱗が魔人の声から聞こえてきた。低い声で言葉を発した魔人は仲間を引き連れて悠々とノアたちの方に向かって歩いてきたのだ。

「どうやら静かに逃げる作戦は失敗みたいだな」

 ゆっくりと近づいて来る魔人にノアたちは距離を一定に保とうとジリジリと後退したが、一本の大きな木の幹に退路を断たれ、二人して背中を打ちつけた。

 状況の急変に戸惑っている暇はない。ノアもロシュも考えていることは同じだった──このままここにいては二人ともやられる。

「祠から離すしかない。とにかく俺についてこい!」

 間髪入れずにロシュは祠の方角から逃げるように西へ向かって走り出していた。ロシュの動きに反応するようにノアも反射的にロシュを追いかけた。

「ひとまずここを抜けるしかない!一人ずつ引き離して倒すしか方法はなさそうだ!」

 走りながらもロシュは冷静に戦略を頭の中で立てていたが、ノアはまだロシュが手に持っている石をじっと見つめていた。最悪の事態を免れる方法はもう一つあるのかもしれない。

「ロシュ、石!ほら──早く!」

 怒鳴るようにノアは前を走っていたロシュに石を要求した。

「僕が奴らを引き付けるから!ロシュはそのまま祠まで走って!四対四の方が確実に勝機があるから!」

 一瞬、躊躇うような素振りを見せたが、ロシュは意を決したように持っていた石を荒々しく手渡した。石を受け取ったノアは追ってくる魔人たちに光っている石を見せつけるように高く掲げてからロシュの元を離れて違う方向へと走り続けた。

「ゴズ!貴様はあっちを追え!」

 再び低い声がノアの後ろから聞こえた。振り返って様子を確認すると、魔物の一体だけが群れを離れ、ロシュの後を追っていくのが見えた。あれくらいなら大丈夫だろう、とノアは内心ほっとしていた。1匹くらいならロシュもなんとか倒せるだろうという自信がノアにはあった。

 そうしてノアは再度、前を向き、ひたすらに祠から離れるように走り続けていたのだった。


「鬱陶しいクソガキだな!」

 苛立ちの暴言とともにノアは足を何かに掴まれたようにつんのめった。転げた拍子に手に持っていた石が遠くの木の根元に投げ飛ばされてしまった。息も切れ切れに立ち上がろうとするが、足に巻きついている物体のせいで思うように体が動かない。

「やっと捕まえたぞ。ちょこまかと逃げやがって。さあ、俺のダースクロフを返してもらおうか?」

 絡みついた物体を解こうと足元を見てから、ようやくノアはそれが木の根っこだということに気づいた。地面から太い木の根がまるで蛇のようにうねうねと曲がってノアの足にがっしりとしがみついて離さない。ノアは力任せに足を引っこ抜いた。

「このガキ!転けたときにダースクロフ落としやがったみたいだぜ、ヤンガス」

「あー。こいつは俺が片付けとくから、べドルはあれを取ってこい」

 べドルと呼ばれた小柄な魔人は丸っこい体を横に揺らしながら石の転がった木の元へのそのそと歩き出した。

「銀髪──貴様、ジルヴか。こんなところであの腐れ種族に会うとはな。何年か前に会ったジルヴは少し骨があったが、貴様はどうだろうな」

 眼帯の魔人、ヤンガスはノアをじっと見つめながらにんまりと不気味に笑った。

 何かを操るようにヤンガスは手を動かしはじめた。ふぁさっと後ろで何かが動く気配がしたが、ノアは振り向く間もなく、いつの間にか硬い何かに腹を殴られ空中に飛ばされていた。

「ガハッ!!!」

 飛ばされた先の地面に背中を打ち付けて息ができない。ぐらぐらと揺れるノアの視界には木々の隙間から雲の少ない空が映っている。

 ──もう、逃げられない。僕がやるしか。

 一歩ずつ近づいてくるヤンガスに、ノアは戦う覚悟を決めた。

 勇気を奮い立たせて立ち上がったその時、ノアの横から大きな赤い毛の獣が飛び出してヤンガスの首根っこに噛み付いたのだった。

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リトはまた、生まれ変わる 常行 迪 @michi_tsuneyuki

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