5話 儀式ならぬ儀式
窓の隙間から差し込む光に起こされてノアは固い床から顔をあげた。あたりを見回してみたが、どうやら他の三人はまだ寝ているようだ。凝り固まった体をほぐすようにして起き上がると、椅子にかけてあった上着を持って外に出た。日はまだ昇ったばかりで少し肌寒い。小屋の裏の森から鳥のさえずりが聞こえてくる。
ノアは上着のポケットに入っていた祠までの地図を広げて道のりの確認を始めた。早い時間に小屋を出られれば、今日の昼過ぎには着く計算だ。
ギーギーと後ろで扉が開く音がした。
「早いね」
眠たそうな目でイズミが小屋から出てきた。
「ごめん、起こしちゃったかな?目が覚めちゃって」
「大丈夫。お昼には祠に着きたいって昨日も話してたし。もうちょっとしたらみんなも起こしてくるね」
寒そうに肩をすくめながらノアの横までくるとイズミはノアの広げていた地図を一緒に覗き込んだ。
「寒い?」
手に持っていた上着をイズミの肩に掛けると「ありがとう」と遠慮がちな笑みを浮かべた。
「昨日の目玉のような石のことなんだけどさ」
地図から外の景色に目線を移していたイズミは少し驚いたようにノアを見やった。
「あの石っころがどうかしたの?」
「なんか嫌な予感しなかった?なんていうか──魔物に似た雰囲気を感じるというか」
うーん、とイズミは少し考えてみたが何も思い浮かばなかったようだ。
「いや、しなかったんだったらいいんだ。多分、僕の気のせいなんだと思う。ガルーシャ様も石について何も知らないって言ってたし」
心配そうにイズミはノアの顔を覗き込んだが、ノアは笑顔で首を横に振ってみせた。石の気味悪さに勝手に色々思い込んでいるだけなのかもしれない、と自分の臆病さに笑いがこぼれる。
「ほら、そろそろ二人を起こさないと」
ノアはまだ寝息の聞こえる小屋の中へ、イズミの腕を引っ張るように連れて戻った。
「なあ、結界をかける儀式ってどういう感じなんだ?」
ロシュは昨夜拾った石をぼーっと眺めながらイズミに聞いた。朝から何度もポケットから取り出しては、手の中で転がしているのをノアは見ている。
ガルーシャによると、あと一時間ほど崖沿いの道を進めば祠に着くらしい。一行は二度目の休憩をするために座れそうな岩場を探して休んでいる。
「うーん。儀式って感じじゃないんだよね、お母さんに聞いた話だと。闇魔力を弾く空間魔法をあの祠にかけることで山全体に結界がかかるって、そんな感じだったかな。そうですよね?お祖父様」
心なしか昨日よりも疲れた顔をしたガルーシャは孫娘に問いかけられて、ゆっくりと顔を上げた。
「そうじゃな。わしらキクリに伝わる古い空間魔法の一種じゃ。元々は死界ヘルハイムへの入り口を魔族から守るための魔法だったんじゃが、祠ではそれを応用して結界を張る」
キクリは死界であるヘルハイムと生者のいる生界ロスタインを繋ぐ役割を最高神リトに任された一族だ。イズミとガルーシャのヨモツク家はキクリの中でも有名な一家で、イズミたちはその分家の末裔だとノアは聞いている。
「儀式というほどの複雑なことはせん。祠には先代たちの長年の魔力が込められている岩があってのお、それを利用してわしが空間魔法で結界をかけるというわけじゃ。じゃが、これほどの山──完璧に闇魔力を弾くことはできん。先代たちの魔力を持ってしても弱めるくらいのことしかできないのが真実じゃ」
単独で行動していたとはいえ、ノアたち三人だけで魔物を倒すことができていたのは結界による闇魔力の制御があったからなのだろう。
「イズミも使いこなせるようになったら俺たちかなり楽になるな」
攻撃特化のロシュにとってはこういった防御型の補助魔法はありがたいことなのだ。闇魔力が制御された空間での戦いは今よりも格段に戦略の幅が広がっていく。
「そうね。でも、まだ魔力の制御がうまくできなくて──自分の周りの魔力でさえ制御するのに手間取っているのに、結界を張るなんてまだまだだと思うわ」
「案ずるな、イズミ。経験を積めばすぐできるようになるはずじゃ。おまえはわしが見てきた中で一番の才能がある。大事なのは己の心の平静を忘れないことじゃ」
心配そうに俯いたイズミをガルーシャは穏やかに励ました。「さて」と膝に手をつきながら立ち上がった長老は地面に寝かせていた年季の入った杖を拾ってから「行くとするかのお」と力強い声で一人崖沿いの道を進み始めた。
ハインの祠は立派とは到底言えないほど質素な造りをしている。人ひとり分はある巨大な岩が、今にも崩れそうな木造の屋根に守られているだけでそれ以外は何もない。「なんだ、これだけか」と祠に着くなり嘆いたロシュにガルーシャは珍しく声を出して笑っていた。
祠の前で短い休憩を取ったガルーシャはなんだか懐かしそうに祠の様子を確認してから使い慣れた杖をイズミに渡した。
「今から結界を張り直すぞ。イズミはそこでよく見ておくのじゃ」
呼吸を整えるようにゆっくりと祠の岩に向かって歩き出したガルーシャはぶつぶつと何かを呟いている。
「──なる──神リ──様、今一度──ガルーシャ──力をお──下さい」
途切れ途切れに聞こえてくる声はいつもより少し枯れている。自分の体よりも大きい岩の前まで行き、一呼吸置いてから天を仰ぐようにまたぶつぶつと念じ出した。
ロシュもイズミも儀式ならぬ儀式に見入っていたが、ノアは少し前から感じていた奇妙な違和感に胸がざわついていた。周りを見回してみるが、異常はない。
「どうした、ノア?何かいたか?」
落ち着きのないノアにロシュが尋ねる。
「なんか、嫌な予感がするんだよね。魔物が近くにいるような、そんな気配が」
「んー、俺は何も感じないけど」
ロシュの拾ってきた奇妙な石に似た不穏な気配をノアは感じ取っていた。
ノアの真似をするようにロシュは周囲の様子を確認してみた。しばらく黙って様子を伺う素振りを見せたが、祠から少し離れたところにある森に何か気配を感じたようだった。
「ノアの言うとおり、あそこに──なんかいるかもな」
ノアは祠の方を振り返ってガルーシャのことを見つめた。祠の岩に魔力を集中させているのか、ガルーシャが触っている部分を中心に岩がうっすらと白く光っている。
「まだしばらくかかりそうだし、僕たちでちょっと様子を見に行こう」
祠に向き合っているイズミとガルーシャを置いて、二人は森へ向かって歩き出していた。
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