4話 不穏の予兆

 ノアたち一行は道とも言えない山道を進んでいた。ハインの祠まで続く道は祠ができた時期に一度整備された程度で、今では土砂や木々の侵食で獣道けものみちのような状態になっている。数年に一度、結界を掛け直す時以外に利用されないことを考えると、それほど綺麗な道である必要はないのかもしれない。

 朝から歩き始めて6時間、昼食を取るために一度休んだとはいえ、やはり老人を連れての山登りでは思うような距離は歩けない。

 修行中、警備の一環として毎日山登りをしていた三人は慣れない失速に鬱陶しさを覚えていた。

「今日、半分行けるかな?」

 山の地図を広げながらイズミは一行に問いかけた。

「この道登り切ったらまた傾斜が激しくなりそうだからなあ。ほんとは今日のうちにちょっと先まで行きたかったけど、難しいかもね」

 イズミの後ろからノアも地図を覗き込んで答えた。

「日没まであと四時間もなさそうだ。今日はあと三時間くらいがいいとこかもな」

 太陽の位置を確認するようにロシュが言った。日が暮れてからの移動は魔物の恰好の餌食だ。何度かグレンに付き添って隣村まで物品調達をしに行ったことがあるロシュとノアはグレンに旅の鉄則について叩き込まれていた。

「若い者はなんでも生き急いで青いのお。ジジイを連れての旅に不満を感じておるのじゃろう?焦らなくても時期に着く。三時間もあれば途中にある山小屋までは行けるじゃろう」

 三人の焦燥感など気にも留めない様子でガルーシャは歩を進めた。

 ノアが地図から顔を上げると、後ろを向いたロシュと目が合った。旅路の計画を諦めたかのように肩をすくめたロシュにイズミはフッと笑いをこぼした。

「とりあえず黙って歩き続けるしかないみたいね」


 歩き続けること三時間あまり、一行はようやく例の山小屋に辿り着いた。ガルーシャ曰く、最後にこの小屋が利用されたのは五年ほど前らしい。小屋の東側の壁一面を伝う植物が北側の入り口をも飲み込もうとしている現状がそれを裏付けている。

 周囲の安全を確認するためにロシュが見回りに出かけたところで、ノアは扉の周囲にうっそうと茂るツタを取り払い始めた。

「五年の間で誰もこの小屋を使わなかったのね。中の状態が心配だわ」

 ノアの横で不安そうにイズミがぼやいた。

「ネズミの根城になってたりしてね」

「やめてよ。想像するだけで気絶しそう」

 想像の中の光景でイズミは身震いをしている。ノアが最後のツタを取り終えるとガルーシャは扉の取っ手に手を掛けた。小屋の扉は立て付けが悪く、開けるとギーギーと小気味の悪い音がする。

「どうやら動物に荒らされている形跡はないようじゃ」

 ガルーシャに続いて中に入ったイズミがホッと胸を撫で下ろしたのが、ノアには後ろからでもよくわかった。

 四人で生活するには少し手狭な小屋の中はテーブルや椅子、タンスなど生活に必要な家具が一式揃っているようで、ベッドも壁際に二つ置かれてある。

「ロシュが帰ってきたら夕食にしようかの。ひとまず薪と水が必要じゃ。ノア、イズミ、小屋の裏に井戸と薪棚があるから取ってきてくれぬか?」

 イズミに空の桶を渡すとガルーシャは埃の被ったテーブルを片付け始めた。

 小屋の裏に設置されてある棚には均等な長さの薪が何段も重ねて保管されてある。ノアは良さげな薪を選んでは使いやすいように半分に割り始めた。手慣れた様子で井戸の蓋を外してからイズミは吊るしてあるロープの先に、もらった桶をくくりつけていた。

「ここまで拍子抜けするくらい何も起きなかったね。正直、魔物の一匹くらい出そうだと思ったんだけど。これじゃあ、お祖父じい様に私たちの実力をわかってもらえないんじゃないかってちょっと心配なのよね」

 長いロープを井戸の中に垂らしながら不満げにイズミが言う。とはもちろんガルーシャのことで、イズミにとっては母方の祖父にあたる。

「そんなこと言ってると明日にでも魔物の大群に襲われるよ。僕は正直ホッとしてるんだ。ガルーシャ様に何かあったら洒落にならないでしょ」

 ノアは悪い考えを振り払うように頭をブルブルと横に振ってみた。

「そうね。でも私、今回ばかりは全然心配してないわ。ノアもロシュもこの四年ですごく強くなった。私は横で見てたからよく知ってるわ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか、イズミ」

 見回りを終えたロシュが満更でもない顔で茂みから出てきた。

「残念ながら小屋の周りには魔物の気配は一切感じられなかったがな。まあ、そのうちひょっこり出てくるだろ。──あ!」

 思い出したかのように右のポケットに手を突っ込み何かを取り出すとニヤリ顔でノアたちに見せつけた。片手に収まるほどの大きさの物体は薄気味悪い見た目をしている。

「何それ、気持ち悪い。なんか──目玉のような。どこで見つけたのよそんなの」

 ロシュの手にある物体をマジマジと観察してからイズミは後退りした。ノアもよく見えるように近づいてみたが、胸の奥がザワザワとかき乱される感覚を覚えた。

 石のような材質をした黒みがかった紫の物体は丸っこく、イズミの言うとおり、まるで赤黒い瞳を持った目玉のように見えるのだ。

「あの道の先、ちょっと上ったところに落ちてたんだよ。なんか面白そうだから拾ってみたけど、なんなんだろうなこれ」

 ロシュは改めて拾った奇妙な石を凝視している。

 二人は何も感じないのだろうか?ノアはもう一度、目玉の石を見つめてみたが、確かに不穏なが石の周りを漂っているように見えるのだ。

「気持ち悪いからそんなもの捨てなよ」

 イズミに石を奪われそうになり、ロシュは急いでポケットに石を戻した。

「ダメだよ。高く売れるかもしれないだろ?とりあえず正体が分かるまでは持っとく」

 ロシュはこれ以上の追求を避けるようにイズミから黙って水いっぱいの桶を奪うと、一人で先に小屋の中へと入って行った。

「もう、また変なもの拾ってきて。ねえ、なんでロシュっていつも変なものばっかり拾ってくるの?」

「なんでだろうね」

 膨れっ面になったイズミにバレないようにノアは笑いを堪えていた。ロシュが拾ってくるものはイズミからすればどれもガラクタばかりで、ほとんど毎回このような会話が繰り広げられている。

「まあ、そんなに不貞腐れないでさ。夕食の準備もあるし、早く中に戻ろう」

 イズミをなだめるように微笑むと、ノアは必要な分だけ薪を持ってイズミを連れて小屋に戻っていった。

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