緑のたぬきのあたたかさ

JEDI_tkms1984

「緑のたぬき」のあたたかさ

 忘れられないことが、二つあります。

 1995年1月15日 5時46分。

 兵庫県南部を襲った未曽有の大地震です。

 寒く、暗い、未明のことでした。

 突然の激しい揺れ。

 壁がきしみ、家具が倒れる音。

 一瞬、宙に浮いた感覚さえありました。

 数秒とも数十秒とも思える揺れが収まると、外は真っ暗になりました。

 大規模な停電が起こり、夜景から光が消えたのです。

 しかし数分もしないうちに辺りは明るくなりました。

 遠近から上がる火の手が、寒空に光と熱をもたらしたのです。

 けれども道路はがれきで塞がれ、消防車の出動は難しい状況でした。

 できたとしても給水管も壊れているので消火活動もままなりません。

 どこかで家が燃えている!

 きっと多くの人はその悲惨さに心を痛めながらも、どこかでは感謝をしていたと思います。

 街灯のひとつすら点いていない暗闇で、火の手が道を照らしてくれるからです。

 その明るさが恐ろしいとともに、ほんの少しだけ不安を和らげてくれたことはたしかでした。

 小学生だった私は、”なんだか大変なことになった”――程度の感覚であったと思います。

 とはいえあの凄惨な光景は今もって記憶から薄れることはありません。

 


 避難経路や避難所なども策定されていなかった当時――。

 夜明けを待ってから、人々はさまざまに動きました。

 家にこもり、あるいは身寄りを頼り、あるいは公民館や学校の体育館などを目指します。

 飲み水の確保に川に向かう人もありました。

 私は当時、高層階に住んでいましたので特に揺れがひどく、部屋内は倒れた家具や食器などで足の踏み場もない状態でした。

 外に出ると廊下にヒビが入っていました。

 エレベータのある棟は渡り廊下の向こう側にあります。

 しかしたどり着くことはできませんでした。

 渡り廊下は文字どおり引き裂かれたようになっており、切れ目から下の階が覗いています。

 跳び越えることもできたでしょうが、踏み外して転落するおそれもあったので、階段で降りることにしました。

 (もっとも、今にして思えば余震が続いていたこともあり、エレベータを使うのはかえって危険でした)

 そうしてどうにか安全な場所を確保できたとき、ある不安にとらわれます。

 それは”食べ物をどうするか”、ということでした。

 

 通電が途絶えて冷蔵庫は使い物にならなくなりましたが、幸いにも季節は冬。

 当面は蓄えが腐る心配はありません。

 とはいえいつかは底をついてしまいます。

 近隣の商店も被災しているので営業はしていません。

 買い置きの蒸しパンをかじりながら途方に暮れます。

 お菓子や缶詰などをかき集め、一日に食べる分を計算します。

 しばらくは持ちそうだと分かりました。

 コンロの使用はガス漏れや爆発のおそれがあるので、温かい食べ物はしばらく辛抱しなければなりませんでした。




 三日ほど経ったころでしょうか。

 小学校のグラウンドが救援物資の受け渡し場所になりました。

 同時に生徒たちもそれぞれのクラスに集まるように言われました。

 インターネットもそう普及していなかった時分ですから、安否確認の意味もあったかもしれません。

 幸いなことに、クラスメートの中に重傷者や死亡者はいませんでした。

 私たちは教室で、


・当面は休校であること

・体育館が避難場所として利用されていること

・定期的にグラウンドを救援物資の受け渡しの場として開放しているので、可能であれば受け取りに来るように


 などの説明を受けました。

 グラウンドではありがたいことに私たちも物資を受けることができました。

 地域の人たちも多く集まっていましたが、いさかいなどが起こることはなく、誰もが順番を守っている様子が印象的でした。

 配られるのは乾パンや缶詰、インスタントラーメンなどです。

 給水車も来てくれたおかげで生活用水にもゆとりが生まれました。

 電気やガスが復旧し始めたころでしたので、暖をとることはもちろん、ようやく温かい食事にありつけると喜んだものです。


 さて、そうして配られる救援物資の中に、「緑のたぬき」の文字がありました。

 夜中、小腹が空いたときなどによく食べたものです。

 戸棚に蓄えはなく、まだ商店も営業を再開していなかったので、カップのそばやうどんはしばらく食べられないだろうと思っていました。

 一世帯につき、ひとつ配られる「緑のたぬき」。

 その日の夜、こたつに身を寄せ合い、家族で食べたそれの美味しかったこと。

 味ももちろんですが、立ち上る湯気に乗ってただよう香り、スープの温かさ。

 飲み水も貴重であったときに、濃すぎず薄すぎずの絶妙な加減のスープは心身に沁みわたりました。

 慣れ親しんだその味が、明日も分からない被災生活の中でどれほど励みになったことか……。



 あの震災から26年が経ちました。

 町の傷痕もとうに癒え、記憶から記録になりつつある、あの災禍をふと思いだしたとき。

 記憶の中には希望をつないでくれた一杯の「緑のたぬき」が、今も色褪せることなく湯気を立ち上らせているのです。

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