第46話 『わたし』の胎動
※――――――――――
「……んお」
ふと気づくと、私はまったく知らない部屋で目覚めた。
ふかふかのベッドと、太陽の匂いがする干したてのお布団。ウサギ柄のなんともファンシーなカーテンの隙間からは、白い光が差し込んでいる。
気付くと、わずかに空いたドアの隙間からはベーコンの焼ける匂いが漂っていて、寝起きのすきっ腹が、まっさきにぐうと反応した。
……すごくいい、すごく、私の考えているわりと理想的な朝だ。
「ん……おぉ……?」
だが、しかし、この状況はおかしい。
なぜなら私は一人暮らしでベーコンを焼いてくれる人はいないし、そもそも私が住んでいる部屋は六畳一間の……いや、すまない、ちょっとサバを読んでしまった。正確には4.5畳のボロアパートの一室だ。こんな一軒家の子供部屋のようなところではない。
もそもそと体を起こして、ぼーっとする頭をゆらゆらと左右に軽く揺らしながら、とりあえずどういうことなのかと考えてみる。
「……やっぱり寒いから、もうちょっとだけ布団に潜り込んで考えよう。私は意志の弱い女……新卒三年目……会社行きたくない……」
自宅でないのは確かなので、昨夜、ゲームをしながら酒を飲んだくれてそのまま畳の上で眠りこけた私を、どこかの頭のおかしいスパダリ(職業:なんかの大会社の御曹司)にでも連れ去られたのかとほんの一瞬思ったが、冷静に考えてありえない。どうやら二日酔いが残っているようだ。
バカな考えは振り切って、改めて冷静に部屋を見渡してみる。
なんというか、普通の女の子の部屋という感じだ。殺風景というわけではないけれど、特に何か特徴があるわけでもない。参考書などで散らかった勉強机と、そして、部屋の中心に置かれている丸テーブルには、なんだかよくわからない瓶に入った液体や赤いカプセル、そして食べかけのスナック菓子。
「やっぱり私、ヤバい所に連れてこられた……? いや、でも別に危険な感じとかは一切しないんだよなあ……なんでだろ」
ぼーっとしていた意識がようやくクリアになってきたところで、私はぱっとベッドが飛び起きて、周囲の様子を調べてみる。
やはり、二階建ての普通の一軒家っぽい。耳を澄ませると1階から誰かが鼻歌を口ずさみながら、かちゃかちゃと何かを準備している音が聞こえる。音の感じからして、多分お皿だ。美味しそうな匂いもしているし、多分朝ご飯を準備しているのだろう。
ここでさらに外に一歩踏み出して……と思ったが、私は慎重な女なので、いったん部屋に戻り、今度はカーテンを開けてみる。
……窓の向こうに広がっている街並みは、やはり馴染みの街ではなかった。朝から誰もいないゴミ捨て場に向かって怒るヤバいおじさんの叫び声は聞こえてこないし、生ごみを漁りにやってくるカラスの鳴き声も聞こえない。
閑静な住宅街で、カラスの鳴き声の代わりに、スズメのちゅんちゅんとした可愛い鳴き声が遠くから聞こえてくる。
よくわからないが、どうやら私は天国に来てしまったらしい。子供の頃に思っていた普通の光景を天国などと言い表す今の自分が悲しいが、しかし、昨日まで私がいた『普通』はまさしく地獄だった。モニターから出てこないゲームの王子様にすがりつき、でも触れられないからその寂しさをお酒で誤魔化し……いけない、これ以上考えたら空しすぎる。
ともかく、今はここがどこなのかを考えなければ。
「スマホは……あるけど、やっぱり私のじゃないな。ってか、大分古いタイプのヤツだなこれ」
液晶の小ささも、画質も、二世代以上は前のものっぽいし、メーカーもどこのものかよくわからない。
拝借してちょちょいといじってみると、着信履歴には私の知らない名前の人たちがいっぱい載っている。
「お母さん、お母さん、三上麗華、三上麗華、四街道朋美……お母さんはともかく、なんかすごい名前。お嬢様ってカンジ……っと、その前にまずは110番だな、うん」
誰のスマホかは知らないけれど、改めて使わせてもらうことにしよう。犯人(かどうかはわからないけど)が油断している、今がチャンスだ。
すぐさま110番をタップして、私は外に助けを求めることに。
「…………繋がんないなあ」
だが、いくら待っても、呼び出し中の音がなるばかりで、警察には一向につながる気配すらない。スマホを見る限り、電波はしっかり通っているはずだが……。
と、いったん通報を諦めてボタンをタップした瞬間。
暗くなったスマホのディスプレイに、知らない女の子の顔が映っているのに気づいた。
「……え、だ、誰これ?」
スマホを持っているのは、私。しかし、持ってるスマホに写ってる顔は私ではない。
ぺち、とすぐさま顔に触れてみる。顔に手を触れた誰かの顔が映っている。
特筆すべきものはないけれど、そこそこ見てくれはいい、高校生ぐらいの女の子の顔。肌のつやもよく、シミもシワもかけらすら存在していない。髪はボブカット風で、前髪が目にかかってちょっとうざったい。瞳のほうも、一重まぶたの私に較べれば全然マシな部類だ。
体を触ってみる。適度に締まっていて、それなりに出るところも出ている。B……いや、Cはあるか。触ってすぐにわかったが、まだ何のケアも必要ない、十代の無敵の女の子の肌だ。
「な、なんだ……悪の秘密結社に改造でもされたのか……変身っ! っていったらベルトでも回転するのか……?」
私の頭はいよいよ混乱していた。そんなフィクションなどあり得ないことはわかっていたが、ともかく口で言って状況を確認していかないと冷静さを失いそうだったからだ。
パジャマを脱ぎ、わけもわからず全身をペタペタと触っていると、閉めたドアからコンコンという音が。ノックされたのだ。
「『※※※』、朝ご飯出来たから、早く起きなさい」
「え? は、はいっ……」
名前のところが上手く聞き取れなかったが、私はつい反射的にそう返事してしまった。
なんだかどこかで聞いたような名前で呼ばれた気がしたが、当然、それは私の名前ではない。『わたし』には『わたし』のちゃんとした名前がある。
そんな、『※※※』なんていう可愛い名前では――。
「?? どうしたの、『
「い、いや……大丈夫です、大丈夫……だけど、ちょっと気分が悪いから、もうちょっとだけ横になってるね」
「あら、大変。具合が悪いのなら病院にいかないと……双葉、とりあえず、ドアを開けてくれない? お母さん、心配だわ」
「だ、大丈夫。ちょっと、ちょっとだけめまいがするだけだから。もう治まってきてるし、あと5分もしたら下に降りるから」
「そう? でも、もし治らないんだったら、すぐに言いなさいね」
「う、うん。そうする」
なんとかお母さんを誤魔化した『わたし』は、スマホを持って、再び布団の中にもぐりこんだ。
……いや、まさか、そんなことがあるのか。
その名前、確かに憶えがある。そして、スマホの履歴に残る名前も。
三上麗華、四街道朋美――学生時代、ディスクが擦り切れるまでやりまくったゲームに出てくるキャラクターの。
いや、まだそうと決まったわけではない。そんなことが現実に起こるわけがない。
恐る恐る、私は画面にうつる『三上麗華』の名前をタップした。
『――おはよ、【双葉】。今迎えに行ってるけど、ちゃんと起きてる?』
「う、うん。それは大丈夫なんだけど……ねえ、麗華」
ふう、と小さく息を吸ってから、私は続けた。
「あのね、変な風に受け取らないで欲しいんだけど……その、『わたし』の名前、訊いてもいい?」
『……は? アンタ、何言ってんの? もしかして、まだ寝ぼけてる?』
「いいからっ、お願い!」
『むむ……まあ、別にいいけどさ』
呆れるような口調で、麗華は『わたし』に私の名前を告げた。
『【あなた】の名前は『
やっぱり、そうだったか。
今の『わたし』の名前は、一原双葉。
数年前に大ヒットしたゲームシリーズの第一弾『トゥインクル☆プリンス』に登場する初代主人公の名前。
なぜかはわからないが、今、私はそれになっているのだ。
――――――
(次章へ続く)
※都合によりいったん更新を停止します。以降は不定期で更新していきますが、ご了承ください。
乙女ゲーの5番目ヒーローに転生した。主人公にそこまで興味はないので普通に学園生活を楽しみたいと思います たかた @u-da
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