第14話

「おお、仲直りしたのか」

 お墓参りが済んだあと、僕たちはその足で楽器店を目指した。僕は改めて、店長に謝罪をした。店長によると、個人間の金銭授受は売春・買春が制御できないほど横行したことを発端としているため、それに該当しない今回の罪は軽く、じきに解除されるらしい。

「まあ、働かなくても生きていける時代だからな。あともう少しだけ、のんびりさせてもらうか」

「でも、退屈でしょう」

 ひかりは心配そうに言う。

「まあ、そうだなあ。俺は音楽が好きで、この仕事を選んだからな」

 適当に使ってくれていいからな、そういうと、店長はどこかに行ってしまった。

 僕たちは店内を使わせてもらうことにした。ガラス張りだから中の様子ははっきりと見えるし、扉と窓を開けっ放しにすれば音は外にも十分に聞こえる。反響効果でこのあいだよりも充実した響きが届けられそうだった。


 演奏開始からどれくらい経っただろうか。用意していた曲もすべて終わってしまったが、足を止めてくれた人は一人もいなかった。

「まあ、こういう日もあるよね」とひかりは言った。

「やっぱり外で演奏した方が目立つのかな」

「次はまたもとに戻せばいいでしょ」

「でも、さすがにへこむなあ」

「元気くんでも、ちゃんとへこんだりするんだね」

 ひかりはなぜか嬉しそうだった。

「でも、毎日やっていれば、何か手ごたえというか、ヒントが見つかるかもしれないよね」

「毎日やるの? 毎日外出している人なんていまどきいないのに」

「だからこそ、やる意味があるんだよ」

「店長さん、許してくれるかな」

「まあ、お前の気持ち次第かな」

 振り返ると、店長はエレキベースを持っていた。サックス、トランペット、トロンボーンを持った、大人たちを引き連れて。

「お前の志をさ、こいつらにも教えてやれよ」

 店長の友人なのだろうか。胸の高まりがやってくる。

 きっと、同じだ。店長もそうだけれど、この人たちも、音楽を愛してやまない人たちだ。僕は大きく息を吸い込んだ。

「僕は、元気っていいます。最後のマエストロ、橘開成氏の意思を継いで、いつかは指揮者になって、多くの人を喜ばせたい。いまはピアノを勉強していて、今後どうしていけばいいのかとか、まだ全然定まっていないけど、行動していれば、何か見つかるかもしれないって思って、ここで演奏させてもらってます」

 僕の言葉を聞いて、店長は満足そうな笑みを浮かべる。

「ちゃんと、それをやり切る覚悟なんだよな」

 もう僕に、迷いはなかった。

「僕には、これしかできないんです。他のことでみんなを幸せにできる自信がない。音楽なら、できるかもしれないって、そう思えるんです」

「よし決まりだ」

 店長がそういうと、彼らは店内に入ってきて、それぞれが散らばっていく。店長の友人は、この編成でできそうな楽譜をみんなに配付していく。

 店長はアンプを用意してきて、ピアノの前に置いた。

「店長、そこだと僕が演奏できないですよ」

「何言ってんだ。今日お前はピアノなんて弾かないぞ」

「これだけ人がいたら、束ねる人が必要だね」

 店長の友人がそういうと、周りの友人もそれに賛同する。

「なんだよ。今朝は持っていたのに、置いてきちゃったのかよ」

 店長が僕に向かって問いかける。僕は目を見開きながら、顏を横に振る。

 急いでリュックの中から、蛇革のケースを取り出す。

 ケースを開けると、マエストロから譲り受けた指揮棒が顏を出した。

 ――そうかそうか、君がマエストロの系譜を引き継いでくれるんだな。ならば、君にこれを預けよう。いまの気持ちを、忘れてくれるなよ――

 マエストロは僕の手を力強く握り、もう片方の手で頭を撫でてくれた。そのぬくもりと言葉が、今まさに蘇る。

 芸術が復活すれば、この国の閉塞感を打ち破ることができるかもしれない。指揮者という、この偉大な仕事を通じて多くの人の気持ちを晴らしたい。そう願うのは、思い上がりだろうか。

 みんなの前に立ち、それぞれの表情を見渡す。

 はじまる。ほんとうに小さな一歩目かもしれないけど。

 再び、マエストロが世に戻ってきますように。

 僕はそのタクトを、高らかに振り下ろした。

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マエストロ、再び 川和真之 @kawawamasayuki

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