第2話 きつねとたぬきに導かれ

 トートバッグが少し横に膨らんだ。重さがほとんどないのもあって足取りは変わらない。顔にはまだ少し赤みが残っていた。

「勘違いじゃないし……」

 口を尖らせて言った。

 歩道の端に小石を見つけた。早足で近付き、蹴ろうとして見事に空振りした。仰け反った姿が先程のことを思い出せて、一層、顔を赤くした。

 バス停が見えた。近くに項垂れた人物が立っている。手には小さなビニール袋を提げていて近づくと独り言が聞こえてきた。

「バスには乗り遅れるし、カップ麺も間違えて買うし、今日は最悪だ……」

 内容から察した。麻芙由は一メートルくらいの間隔を空けて立ち止まる。その甲斐なく相手に気付かれた。

「さっき、コンビニで会った人だよね」

「そうですね」

 素っ気なく返した。茶髪の男性は苦笑いとなった。

「今の独り言、もしかして聞こえた?」

「まあ、そうなりますか」

「そうか。いつもはこんなこと、ないんだけどな。いや、たまにあるか。えっと、俺は神代勇馬かみしろゆうま、よろしく」

 照れ隠しのような自己紹介に麻芙由も釣られた。

「私は磯崎麻芙由と言います。寒い名前ですが生まれは夏です」

「そうなんだ。良い名前じゃないか。セミボブの髪はツヤツヤでコロボックルみたいだね」

「微妙な褒め言葉をありがとう。それはそうと、どうして急いでいたのですか?」

「大したことじゃないんだ。テニスの録画を忘れたから急いで帰りたかったんだけど、バイトが長引いてさ」

「コンビニに寄らなければ間に合っていたかもしれないですね」

 その言葉に勇馬は目を丸くした。わなわなと震えて天を仰ぐ。

「そうだよ! なんで俺はコンビニに行くんだよ!」

「しかも買い間違えをしたそうですね」

「そうそうって傷口を広げないでくれる?」

 無表情で小首を傾ける姿に麻芙由は朗らかに笑った。

「まあ、たまにはいいんだよ。『緑のたぬき』でも」

「奇遇ですね。私も同じ物を買いました」

「そうなんだ。俺は『赤いきつね』を買うつもりだったんだけどね。色覚異常だから光の当たり具合とかで、たまにやらかすんだよな」

「え、本当に!?」

 麻芙由は驚いて勇馬の目を見つめた。

「そうだけど、びっくりするようなもんじゃないよ」

「そうではなくて、実はですね……私もそうだから」

「マジで!?」

 少し上ずった声に麻芙由はすかさず指摘した。

「そちらもびっくりしているのですが」

「言われれば、そうだな……いていいかわからないんだけどさ。もしかして先天?」

「そうですけど、そちらも?」

 勇馬はすっきりした表情で頷いた。

「本当に奇遇だね」

 麻芙由はにっこり笑うと砕けた口調に変わった。

「そうだな。俺と同じ個性を持った人と初めて会ったよ」

「個性……そうだね。病気でなければ治らなくても問題ないよね。飴とかいる?」

「貰うよ。もう、バイトでくたくた」

 勇馬は指で目尻を下げた。その状態で舌を出し、荒い息遣いとなった。

「それ、なんか犬っぽいよ」

 軽口を叩きながら肩に引っ掛けたトートバッグを開いた。中を目にした瞬間、悔しそうな表情を見せた。

「あー、そうなるのかぁ」

「なになに、どうかした?」

 勇馬の声に促されて麻芙由はカップ麺をそろそろと取り出した。

「それ、それだよ! 俺が買いたかったカップ麺は!」

「私も色で間違えたみたい。良かったら交換する?」

「ありがとう! マジで嬉しい!」

 『赤いきつね』と『緑のたぬき』は望む者の手に渡った。

 独特な排気音が近づいてくる。真っ先に気付いた麻芙由が一方に目を向けた。

「バスが来たよ」

「本当だ。あの、これは別にしなくても、まあ、いいことなんだけど」

 滑らかな口調が急にたどたどしくなる。勇馬はジャケットのポケットに手を入れてスマートフォンを掴み出す。

「どうしたの、急に?」

「なんて言うかな。アドレス交換がしたいんだけど、ダメかな?」

「ああ、そっちの交換ね」

 返事をする前にバスが到着した。麻芙由が先に乗り込んだ。あとから勇馬が付いていく。

 車内は空いていた。最後尾の座席に二人は並んで座る。

 バスが発車すると勇馬がちらちらと横目をやる。窓際にいた麻芙由はいつの間にか握っていたスマートフォンを軽く掲げた。

「こっちも交換する?」

「喜んで!」

 声の大きさに乗客の一人が怪訝な顔で後ろを振り返る。勇馬は麻芙由に向かって手を合わせ、何度も頭を下げた。

「ごめん、居酒屋のバイトの癖が出た」

「そんなことで謝らなくていいから」

 気恥ずかしそうな笑みで麻芙由は言った。


 寒い夜、きつねとたぬきの導きで二人は出逢うのだった。

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きつねとたぬきの縁結び 黒羽カラス @fullswing

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