エンケラドス・サブマリン(3)

 外気温はマイナス150度。薄暗い空と、白く輝く氷。

 周波数を合わせた無線から、これから拿捕だほされるとは思えない様子の甲高い声が返ってきた。


「5分待って」

「3分だけ待つ。変なこと考えないで」


 ヨーコと名乗る艦長の手招きに応じ、ミドリは単身乗り込んだ。

 エアロックを抜けると士官室へ案内される。そこで見た2杯の〈赤いきつね〉にミドリは思わず息を呑んだ。

 

「大したものは出せないけど……」ヨーコが申し訳無さそうに頭を下げると、ミドリは首を横に振った。東では出回らない。本物を見るのは初めてだった。

 2人同時に蓋をとると、湯気とともに広がる出汁の香り。やさしく揺蕩たゆたう昆布と鰹節の大海原にうるめ節のコクが泳いだ。一口含めば、まぶたの裏に浮かぶ青い海。


「――ぅはぁ」


 2人は鼻をくんくんとさせ、15億キロ彼方の地球ふるさとに思いを馳せた。


「これは?」ミドリが箸でつまむと「よ」とヨーコが笑った。


「美味しい。知らなかった……宇宙は広いわね」

 ずず。ずずず。

「別に狐の好物ってわけじゃない」

 はふほふ。ずずず。

「アハハ。そりゃそうよね。肉食だし」

 ずず。ずずー。


 小気味よい音をたて、2人は旧交を温めるように親しげに話した。「かき揚げだって、狸の好物じゃないわ」ミドリが頬を赤らめ最後の一本をちゅるりと吸うと、ヨーコが汁に口をつけ目を細めた。


「ぜんぶ人間都合。貴方とも、友人として会えてたかもしれないのにね」


 ミドリは「ありがと」とカップを置き席を立った。


「我々はついに紅狐レッドフォックスを撃った。艦は大破、乗組員もろともエンケラドスの海の底――こう報告すればいい?」

「なんだ、バレてたか。さすが狸八化けね」


 西側の魚雷6発も、ミドリらの迎撃魚雷も全て電子魚雷――音だけの欺瞞ぎまんだった。


「エウロパに良い湯治場があるの、一緒に来ない?」

「――行かない。任務が残ってる」

「そう」ヨーコの耳は頭につくほど倒れた。


 ミドリを降ろした〈紅狐レッドフォックス〉は氷の裂け目から吹き上がる間欠泉に乗り宇宙へと舞った。第3衛星テティスに向かうらしい。

 泣いて帰艦したミドリをブンブクが問い詰めたが、彼女は狸寝入りで応戦した。

 ヨーコに手渡された〈赤いきつね〉を、ミドリは地球に帰るまで開けなかった。

 

 こうして、冷戦を雪解けさせる温うどんは、皮肉にも氷の星からもたらされた。

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エンケラドス・サブマリン 嶌田あき @haru-natsu-aki-fuyu

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