[ with or without you. ]

ヲトブソラ

[ with or without you. ]


 例えるならバラだ。それも美しい赤なんかではなくて、赤い、赤い、血溜まりで固まった血より赤い、グロい赤。さらに棘は、どのバラよりも数が多く、長くて、尖っている。そんなバラだから、誰も近付こうなんてしない。いつもバラは独りだったから、誰かと話してみたかったんだ。通る人間、通る人間に声をかけてみる。しかし、余計に人間は遠のくばかり。何故なら、そのバラの声は言葉まで棘だった。


 この世界は、針の筵そのものだ。安息の場所なんて無い。人間には茨が巻かれており、手足には枷がかけられ、足元は泥で歩きにくい。少しでも楽になろうと足掻いてみせる。痛みから逃れられるなら、そこを退けと言い、平気で人間の尊厳を傷つけるような言葉をも巧みに使って、暴言を吐き、踏み付ける。助けを乞い、泣きわめく誰かがいようが、お構い無しに歩いてみせる。影は、光の中でしか話せないと言うらしいが、闇の中にいれば、悪事を暴くどころか無かった事にも出来ると言える。だから、きみがいてもいなくても、


 フィィーーー…………………………………ン。


来た。おれの好きな世界。


 先程まで、身体に絡みついていた枷や茨はほつれ、罵詈雑言が消えた。きらきらと光る色の中で空気が震える。おれがギターを掻き鳴らせば、皆が楽しそうに飛び跳ね、声帯を震わせれば、大声を出して腕を突き上げる。おれは、この瞬間が大好きだ。何も聴こえないようで聴こえていて、世界中の誰よりも誰かと繋がっている。眩しいスポットライトは、汗が噴き出るくらいに熱く強い光で、身体は有機物ではなく、金属のような無機物なくせして、共鳴し、震える。ギターと声を掻いて鳴らすと、こんなおれなんかが、力強い波のようなうねりすら立てる事が出来るんだ。客はその波に飲まれ溺れるのではなく、また波としてうねり、海となる。こんなにも繋がっているのに、音楽というものをやれば、やるほど、苦しくなっていく。全く、何の為に唄い続けているのか。

 皆“ここ”で逢わなければ、こんなに仲良くならなかったよな。おれの言葉ひとつひとつに、耳なんか傾けてくれなかったはずだ。どうしてだろうか、音楽をやって繋がっていくたびに、こんなにも人間と人間は繋がる事など出来ない動物なんだと実感する。それでも、おれに関わる人間は一人残さず手を離さないと、繋ぎ止める為に音楽を続けているのは…………。


 恐らく、鼓膜が捉え切れる振動なんて、とっくに振り切れている。だから、身体に伝わる空気の振動を、胸や腹、頭が音として捉えているんだ。ほとんど、体力なんか残っていないくせに、体温と一緒に跳ね、きらりと光る汗が弾けて、着地の衝撃で床を鳴らし、客のクラップと調子の外れた歌声を聴く。六弦と五弦、四弦で掻き鳴らす太い歪みと声帯を震わせ続けた。これを“第三者の感覚”として感じ、防犯カメラの映像みたいに俯瞰で見ている。皆は、ひと言目に『トリップってヤツなんじゃない』とか言い。ふた言目には『かっこいー』と笑って、理解どころか、話すら最後まで聞いてくれなかった。おれが言いたかったのは、そんなつまらない事じゃなくて、ライブの最中に“あの音”と出会えたら、世界の誰よりも、世界の誰かと繋がっているという合図なんだと伝えたかっただけなんだ。あと少しだけ繋がっていたいと強く願ったら、いつもより声が伸びそうだった。だから、四小節だけ伸ばしてくれと言葉を使わず、目の動きひとつで伝える。これが進化をし、生き物の中で唯一言葉を持つ動物のする事か。これが、なんて素敵な事か。棘を、言葉を向かい合わせなくても通じ合えるんだ。譜面どころか、練習すらしていないくせに『いつもより四小節だけ長いのは予定通りなんだ』みたく、ドラムがリズムを小さくスキップして軽く変則気味に、それをベースの軽やかなラインで安定させて、また、音が集まり、何事も無かったように繋がりあった。


本当に音楽をしていれば、きみがいてもいなくても。


「あー……………あっつ」


 板の上に立って、一発目の音の粒が弾けた瞬間から80分間が終わるまで、苦手なお話なんかはせずに唄い続ける。曲名くらいなんかはイントロやブリッジで、さらっと言う時もあるが、そもそもセットリストは紙で配っている。気になって気になって仕方が無いなら、ステージから降りた時にでも聞きに来てくれたって構わない。


「おつかれー」


 ひょろりと動くベースの綾部が、ぐだぐだのおれにビールの入ったカップを渡してくれた。カップが重いと感じる前に「いつも悪いね、後で金払うわ」とひと口目で喉を大きく鳴らした。綾部は、そんなおれを見て「お金は期待していない。もうツケを数えるのもやめたしね」と苦笑いをした。誰もいないステージを眺める。さっきまで、あそこから皆に話しかけていたんだよな。おれは音楽という言葉でする、ライブという会話の後が好きじゃない。むしろ、大嫌いだ。ほんの数十分前まで同じ“しらべ”だったのに、音が鳴り止み、しばらくは手拍子、しかし、ステージに上がってこない様子に手拍子がバラけだして、スタッフからの合図で、ざわざわしだす。そこからは各々の調子になっていく。そして、徐々に覚め、明日には普段に戻るだろう。また繋がりあう事の出来ない人間に戻っていくと知っているからだ。

 入り口近くの薄暗い灯りの下で、前回のライブで対バンだったベーシストと話すドラムの崎山を発見し、人差し指以外の指でカップを保持しながら指を指した。「あいつ、叩き終わった後のが、元気なー」と意地悪に言うと、綾部も「さっきーは演る事よりも、女性のお客さんを探す方が楽しそうだ」と皮肉を込めるのだ。だから、続けて「もうすぐ、今年三回目の痛い目に遭う姿が見えるぜー」と言って戯けると、それは間違いないね、と、綾部がけらけらと笑った。スタッフが後片付けに動きやすいくらいの灯りに浮かんだステージを見つめていると、つい「最初のさ……」と口にして、その後をやめた。


「ああ、良かったね。まだぎこちないけど、楽しかった」


 開場したての客もまばらな18時30分。おどおどしながら板の上に立った演者は、三人で構成された見るからに高校生のガールズバンドだった。綾部が言う通り、彼女らの音楽は楽しかった。彼女らも楽しそうだったし、音が、ぴょんぴょんと飛び跳ねていて可愛らしく、まだまだ遊び足りないと拗ねるように、その20分を終えた。


「ぼくたちにも、あの頃があったんだろうね」


 また痛い事を言う。おれら三人は中学生の時に友だち同士で楽器を始め、バンドを組んで、今や28歳の社会人だ。エリアでの知名度は低くないし、ライブハウスや楽器店で販売している自前のCDやネットで有料配信している音源も、そこそこ出る。へたに長く続けているだけあって、気を使ってくれる若い奴らなんてのも出てきた。20代前半まであった『いずれメジャーレーベルで』という洒落のセンスが悪い口説き文句を使う大人や『インディーズにくらい流通させたらどうだ』なんて会話だとか、そんなつまらない事ばかり言わずに、音楽を続けられればそれでいい、と言ってきた。だけど………………、


おれらは半年後、秋に最後のライブをする。


 何となく分かっていた事だ。高校受験、大学受験、各試験、就職活動、社会人一年目、社内試験、資格試験、昇進試験。生きているとやってくる節目、節目での避けては通れない出来事が、バンドとしての動きを鈍くし、楽器を持って集まる事の出来ない月や活動休止のような状態に陥っていた時期もある。同世代のバンドも解散、活動休止のまま消滅、最悪なのは音信不通なんて奴らもいるのが、常だ。だから、音楽を続けるだけという事が、とてつもなく難しい事だというのは、何となく分かっていた。おれ以外の誰かが最初に言い出すかもしれないそれに、びくびくしながら音を紡いだり、活動が終わるなんて日が来る事も、それが伝えられた日も、大して驚きはしなかった。ただ「そうか」とだけ思い、そして「仕方がないよな」とだけ言った。


 音楽をする事で窮屈な思いをする。こんな馬鹿げた事が人生にはある。バンドは独りでは組めないし、独りよがりにはなれないと、最初から運命付けられている。だから、お互いの人生の波長までもが上手く合わなければ続けられない。


「今回は悪かったね」


 金色が口の中に流れ込み、真っ白なカップの底が見えた時、綾部が呟いた。バンドの中で唯一、家庭を持つ彼に新しい家族が誕生する事が分かったのだ。「何がっ!喜ばしい事だろうが!」と空になったカップを投げつけた。友達としても嬉しい事だ、幸せな事だ。音楽を続ける事を選び、腐って失うより、紡ぐ未来が人生にあるというのは祝福される事だろう。この世界は針の筵だから、自分と痛みを理解してくれる愛すべき人がいると、尚、歩いていける。


「また………育児が落ち着いて、時間が出来ればさ」

「その時、おれが死んでたらどうすんの?」


 つい言ってしまった。違う、そんなのじゃない。ただ、きみがいてもいなくても、この世界は針の筵で、その“きみがいる”方を手に入れた綾部に対する嫉妬や勝手な苛立ちだった。


 おれには音楽しかない………なんて、格好の良いように聞こえる、だらしない事をよく言えたもんだよ。そうなったのは、心に音楽の居場所をたくさん作ってやりたくて、整理整頓なんかせず、片っ端から確認せずに何もかも捨てていって、まだ場所が足りないと大切な物まで火曜日と金曜日に来る燃えるゴミに出したくせに。心の真ん中に音楽を置いてみたら、どうだ。思っていたより音楽ってヤツが自分には小さくて、心の隙間が恐ろしく広がっていたってオチだ。


 トグルスイッチを跳ね上げ、ヴトッ!と電源が入る小さなギターアンプ。そのスピーカーから薄く、ヴーーーー……………………、と鳴るノイズは、椅子に座り、こうべを垂れ、床を踏む素足を見つめるおれに何かを言っていた。秋のライブ、セットリストはどうしようかなんて、悩んでいるフリをした。今まで通り、曲を作ろうと無意識に電源を入れた行動に気付き、それが深く胸に突き刺さったから、痛くないって、自分に嘘を吐こうとしていた。


この………15年近く続いた毎日が無くなるのか。


 音楽は独りでも出来る。おれはヴォーカルでギターも弾ける。その沿線上でベースの真似事くらいは出来るだろう。家でDAWソフトを使って録音し、足りないリズム隊などはMIDIで打ち込めばいい。バランスを取ってミキシング、MP3程度に圧縮したなら“聴ける”くらいの音源は出来る。ただ、バンド構成で音を録っても、独りで作った音はバンドサウンドっぽくしかならない。第三者の思考と感覚、手の筋肉や腱で流すベースライン、第三者の思考と感覚、脳から神経系を通って筋肉を動かす微弱電流で刻まれたリズムは、独りでは作れない音だ。今さら独りになりたくないだなんて、本当に独りよがりだよ。


 いつか、と思って、引っ越してきたこの部屋も、綾部に呼び出されて子どもの話を聞いたときも、新しい曲の話はせずに「おめでとう」とだけ言って、譜面を引っ込めた事も、全部、おれは自分の事しか考えていない。


 入社3年目の後輩くんである根岸を昼食に誘った。今日もビルが乱立したオフィス街を、夏に向かう真っ白な光が嫌がらせのように目を細めさせる。植物なら数える事が出来そうな街が大気を熱し、熱風となって抜けるのだ。その風が頬を撫でた時、根岸が「人間を燻製にでもするつもりっすかね?」と言ったのには笑ってしまった。燻製か、煙はどこだよ、と言おうとしたがやめる。代わりに「人間の干物とは不味そうだ。おれは魚の干物が食いたいよ」と、さり気なく指摘した。根岸がそれに気付いたのか、話題を変え「昨日のライブ行けなくてすみませんでした」と言うから、謝るような事ではないと伝え「ライブより大切な方に行っただけだろ。演ってるほうも、その方が幸せだわ」と、うどん屋ののれんをかき分ける。店員に二名だと伝えた時、根岸がすごい剣幕で「何言ってんすか!おれは高校ン時から………っ!」と叫んだので、思わず子どもを叱るように、口に指を当て「うっせ」とひと言。しゅんと肩を落とした彼に「はいはい。ありがと、ありがと。君は古参の親衛隊のひとりだよー」と落ちた肩を叩いてやった。根岸は高校生の時に友達が出たステージで、おれたちを見つけてハマり、それ以来、毎回のようにライブに足を運んでくれている筋金入りのファンってヤツだ。その上、何の因果か、就職した職場の指導役が憧れのヴォーカリストであるという運命の悪戯に、腰を抜かしてしまうという笑い話まで持っている。


 二人して手を合わせ「うし、食うぞ。いただきます!」と、御伽噺に出てくる悪魔のように、幸せに肩を寄せ合っていた割り箸の仲を引き裂き裂いた。麺を啜り、麺はイマイチだなと、出汁を口に含む。出汁は美味いんだな、不思議、と分析をしていると「先輩、昨日のライブはどうだったっすか?」と口の中に麺がまだいるのにも関わらず話すから「根岸、口ン中の飲み込んでから話せ。行儀悪い」と言って眉をひそめる。そして、昨夜を思い返しながら出汁をすすり直す。昨日のライブ………いつもと同じ、だよなあ。………いつもと同じ?いや、違うだろ。


「いつも通り、アタマから飛ばして………四小節分だけ伸びた」


いつもと通りって、なんだ?


「四小節だけ伸びたって、時間が押したんじゃなく曲がっすか?」


 そう笑う根岸を見て、神妙な顔をしてしまう。いや、だから………本当にいつもと違って、四小節分だけ持ち時間が押したんだよ。


「いや………それだけだったんだけど」

「………だけど?」

「すっげー気持ち良かった」


 もしかして、おれって……いつの間にか、独りよがりな音楽をしていたのか?いつの間にか、いつも通りなんて言えるくらいに“こなしている”だけの音楽を演っていたんじゃないのか?だから、たまたま伸びた声にときめいてしまって、嬉しくて伸ばした四小節がこんなにも………尊く、痛い。


「なあ?根岸。正直、おれたちのライブって、最近どう?」

「どうって………んー。まあ………遊びが少なくなったっすよね」


 昨晩のガールズバンドの跳ね方は子どもが遊ぶように、みんなでぴょんぴょんと跳ねている感じだった。一見、ばらばらに跳ねているだけのようで、調子を合わせようとして楽しみ、はしゃぐ子どものそれだ。おれが、あの高校生たちにキラキラと輝く、はしゃぎ方が微笑ましく、楽しそうだと写ったのは、遊ぶより、どっしりと針の筵であっても座っているようになったからじゃ……………。


「いや、先輩っ。安定感ってイミっすよ!」

「ああ、ありがとなー」


 安定感?いや、余計にダメだろ、それ。おれが安定なんかしたら、ダメだ。そもそも、おれが唄っている理由は『音楽じゃなければ、皆が聴いてくれないから。‪もっと話がしたい』からだろ。それが安定し始めたっていう事は……………もう、おれには話す事が…………、


「あのっ、ところで先輩。話が…………あるっす」


 昼食のうどん屋で、根岸から仕事上がりに呑みに行こうと誘われた。大切な話があるそうだが、何故、おれが個室のある店を押さえなければいけないのか。あいつは、いいヤツなんだが要領が悪い。だから、自分の仕事が溜まっていても1%の余力が残っていれば、他の仕事を断る事を知らない。


「まだまだ、面倒見なきゃならんねー」


 先に一杯だけ、と、頼んだビールジョッキの縁を撫で、口に運ぼうと持ち上げた時、世界と自分の温度差に汗をかき、しがみついていた雫が耐え切れず、ジョッキからテーブルに落ちた。がたん!がたっ、がたがた!と、忙しなく個室の戸が開かれる。


「すんませんっ!遅くなったっす!!」

「いいや、構わんよ。先にやってっしな」


 ふと、嗅いだ事のある空気が香る。バタバタと靴を脱ぐ、根岸の後ろで揺れる細い影。それに視線を集中させた。


「あのっ!今日は先輩に紹介したい人がっ!」

「こんばんは。初めまし…………あっ」

「………っ、マジか」


根岸が付き合って1年ちょっとになるという彼女は、2年前に別れた紗絵だった。


 根岸が紗絵と付き合おうが、紗絵が根岸と付き合おうが構わない。そもそも、彼らが進む人生とは全く関係が無いのだから、おれは発言権すら持たない。ただ、この世界は針の筵、らしい。

「懐かしいな。何年振り?」

「2年ー………かなっ?」

 いや、そこはもうちょっと時間を空けろよ。おれたちは、ただの同級生だったって、それでいいだろう?

「いやいや、大学卒業の時だろ?」

「えっ?あっ…………えー、……と?」

言葉に詰まるな、詰まるな。余計、根岸に怪しまれる。

「あのっ、先輩!?」

ほらほら、早くしろ。根岸の表情が曇り始めているからさ、早く………………、嘘でもなんでもいいから、


「嘘……とか、吐かなくていいっす。紗絵さんから聞いてます」


 そもそも、根岸と紗絵が付き合うキッカケになったのは、おれらのバンドの話題だったそうだ。根岸の友人に紗絵の友人がいて、そこが接点として食事に行き、ありがちな『音楽は何を聞くんですか?』の話題に、根岸がおれらのバンドの名を出した。紗絵も紗絵で、元カレのバンドなんて無視をすればいいものを「わたしも知ってるよ」と素直に言い、意気投合。その後、付き合う事になるが、おれと紗絵の関係を知ったのは、カレシカンジョになる30秒前で、それを聞いた10秒後には「そんなの構わないっす。俺は………紗絵さんが欲しいんです」と伝え、よろしくね、と、めでたくカレシカノジョとなったそうだ。


「お前は馬鹿か?紗絵?何、正直に話してんだ」

「うっさいな。知ってるでしょ、わたしがポンコツなの」


 こういう何気ないやり取りは、根岸にとって気分が良くないだろうな。だから「で?話って、何?」と早々に話を済ませて、適当に飲んで食って、ちょっと世間話でもして早めに帰る事にした。


「おれと紗絵さん、来年、結婚するっす」


きみがいてもいなくても、

この世界は針の筵だ。


 ヴーーー………………、と鳴るギターアンプからのノイズ。針の筵だと感じる世界で、針の筵に座り、手には手錠、足には足枷がかけられていると思っていた手足を、よく見ろとホワイトノイズが言っている。左にはテレキャスターカスタムのネックにだらしなくかける腕、右には何も考えていない指がピックを挟んでいる。足元には軽くエフェクターに乗せた素足がある。最初から手錠や足枷なんてなかったんじゃないのか?もしかして、針の筵だと思う世界も無くて、ただ、おれが弱いだけじゃないのか?茨が身体に巻き付いているのはおれだけで、おれの音楽に共感したと涙してくれる奴らは、ただの阿呆。おれの音楽で飛び跳ねる奴らは、皆、火事場の騒ぎが大好きな屑。爆音で鳴る弱虫の声と音でも踊らなければ損だと踊り、跳ね、板の上で必死に喚き鳴く、おれをおもしろおかしく見ていただけだとしたら。


「独りよがりじゃなくて、独り」


いや、おれが精神的にダメージを受けるなんて、おかしいだろ。


 ……全く、自分が情けなくなるよ<そう思って弱者を演じれば楽だよな>紗絵とは2年前に終わっただろ<定期的にライブを続けたのは、紗絵が見つけやすいからじゃないのか>おれと紗絵の生き方は違い過ぎて、そもそも結婚なんて無理だったんだよ<じゃあ、どうしてふたりで暮らしていたこの部屋から出ない?独りにしては広すぎるだろう?>紗絵と根岸の結婚と音楽は、そもそも関係ないだろう<自分の音楽を、誰に聞いて欲しかったんだっけ?言えよ、ほら、早く>新しい出会いなんて、いくらでも…………<音楽に閉じこもっている奴がよく言うよ>


「言いたい事があって、音楽をするんじゃなくて…………」


 おれが音楽をする理由は“言いたい事を言葉にするには難しいから音に乗せている”だけだった。話にすると小難しく、まとまりもなくなってしまうから誰も聞いてくれない。それを音に託すと、不思議な事に誰かが聞いてくれる。別に高尚な事を言いたい訳じゃないんだ。これは勝手に叫びたい愚痴みたいな物だと思っていた。けれど、なんだか違うらしい。


「誰かに……?いや、聞いて欲しいヤツなんて、最初から決まってたじゃねーか」


 結局、話し下手なおれは寂しかったんだなあ。ずっと、話を聞いてくれる奴が欲しかったんだ。心底分かり合えるヤツなんか日々の中で滅多に出逢わないからさ。おれたちは最初から三人だったのにバンドが終われば、もう……。あいつらと始めて、今の今まで、全部おれが歌詞を書いて、曲を作って、それを渡して…………。みんな、最初から、おれの話ばかり聞いてくれていたんだよな。それがどうだい、いつの間にか、独りよがりな会話を音楽だとほざいて演っていたのかよ。バンドが終われば独りになる?よく言えたもんだな。あいつらは、こんなおれを投げ出したりした事があったか?一方的に耳元で叫ばれる話に嫌な顔せずに耳を傾け、今日まで一緒に居てくれたんだろ。おれの音楽を聞いてくれる奴らは全員、手を取っていたいだなんて言ってる奴が、綾部に家族が出来たり、別れた紗絵に人生を共に進む存在が出来ただけで、ここまで虚しくなるなんて可笑しい話だ。…………きっと針の筵だと思う世界に、皆を座らせ、苦しませているのは、おれだ。







「………何が音楽だ」


ヴーーー……………………ンーーー……………。


カチッ。


ヴィーーーー………………………………。


カキュッ。

ヴァッ!ヴァッ!…………ヴァーーーーー…………………………ンンンンン……………………………………ィィィィーー…………………………。


『あーっ、あーっ。本日は晴天ナリー!』


ドッ、ドッ、ドッ。タタンッ!ド!ドドッ!


ブゥーン……プル、プゥーーー…………ブ!


『えー…っとだ。まず、練習の前に発表が御座います』

「何んだよ、早く演ろうぜ。つまんねー小噺だったら下の自販機でジュースなっ!!」

『うっせ!黙れ!馬鹿ドラム!!』






『秋にやるラストライブだけどさ………』




全曲、新曲で演ろーぜ。


 午前0時前のファミレスで、大の大人ふたりから叱責を受けていた。「馬鹿なのは、お前だろ!馬鹿ヴォーカルっ!無理だろっ!全曲新曲なんて言い出しやがって!!」と“馬鹿ドラム”呼ばわりしたのが、気に入らなかったのか、いつもより食ってかかる崎山に、しばらく静観していた綾部が「さっきーの言う通り、さすがに無理じゃ無いか」と言った。やってもないのに無理って、そんなの分からないだろ、なんて、少し前なら脊椎反射で反論していただろう。でも、もうおれたちの人生には、誰かの人生も混ざっていて、誰かの人生まで犠牲にして音楽をやるなんて事が出来るのは、この三人の中でおれだけだった。


「今まで通り曲は用意する。練習も短縮出来るように、ある程度の譜面も書く」


独りになる前に、盛大な独りよがりの音楽を。


「アレンジもなるべく綾部の手癖や好みに寄せておくから」


おれが、こんなに必死になって、熱弁振るってさ。おれがやりたいのって、なーに?






バンドは独りじゃ出来ない、じゃなかったのかよ。




ぱしゃっ。


 目が覚めた感じだった。気が付いた時には、身振り手振りで話していた両手が空中で止まっていて、顔とシャツが濡れていた。


「アタマ、少しは冷えたかい?」


 いつも冷静で、どちらかと言うと温和な綾部がコップに入っていた氷入りの水をおれにかけたのだ。その冷たい水で、ここ数日間ヒートアップし過ぎて、何も見えなくなってしまっていた自分に項垂れる。


「…………あ。いや、悪か……った。また独り、勝手に」


「何言ってんの?ぼくたちは友達だろう?」

「え。いや………今までおれの独りよがり………」


「勝手に熱入って、勝手に盛り上がってんじゃねーよ。馬鹿」

「さっきーの言う通りだよ、馬鹿。………本当に全曲新しく下すんだな?」




「え?………あ。ああ」


「全部っつったら全部だからな」

「大将がそう言うなら、ぼくたちの最後はそうなった方がいい」


最後は盛大な花火を打ち上げよう。


 そう誰かが言った。このバンドでする音楽は『おれの話』だと思っていたが、それは違っていて、最初からみんなの話だった。おれの歌じゃなくて、みんなの歌。ここまでやってこれたのは、人間として繋がっていたからだ。


キィイーー………………ン。


ふーっ、短く息を吐いて、綾部遼と崎山拓司を見た。


ジャガッ!


 つい無音に耐えきれなくなった右手が短く五弦と四弦、それと三弦を引っ掛ける。目を合わせ、目を閉じるとフェードインしてくるフロアタム。


ド、ド、ド、ド、ド、ド、ド、ド、


四ツ打ちのシンプルなリズム。




息を吸いながら天井に顔を上げた。


プゥーーーーー………………ンンンーーーーー…………………ブッ、ブッ、ブッ、ブッ、ブッ、ブッ、ブッ、


シンプルな音の重なりが、空間を満たしていく。


イントロ。


 この曲は、おれがワガママを言って、最後のライブ、その一番最後。最後だけ新曲ではなくやりたいと言った曲だ。


「with or without you.がやりたい」

「With or Without………って、カバーで終わんのか?」




「………いや、まあその」







「あ。もしかして、ぼくたちが中学ン時、一番最初に作ったヤツ?」

「………ああっ、思い出した!恥ずかしすぎて、紗絵の前で一回演ったっきり封印したアレか!?」

「うっさいな!もうどっちでもいいよっ!!」


「まあまあ。どっちをやるにせよ、ぼくららしくていいや」

「お前は青臭ぇままなんだな」

「うっせ!馬鹿ドラム」




プゥーー…………ン………………ブッ、ブッ、ブッ、ブッ………………


キィイ…………ンー…………ジャガッ!







きみがいても、いなくても。


 コンクリート打ちっぱなしの壁に貼られた、紙、紙、紙。どれが有効期限内で、どれがもう用済みなのかすら分からない。ハコの入り口でチケットを確認するバイトは、しっかりとチケットを確認し、客の手に入場のスタンプを押して記録を取る。だが、それ以上に必死になっているのはソーシャルゲームのレコードを取る事だ。


「うっわ。凄い人っ!」

「そりゃ、そうっすよ。紗絵さんは来た事ないんすか?」

「いやー。大学入ってすぐくらいまでかなー?」

「……じゃあ、たぶん、その後っすね。本格的に人気が出たのは」


 音楽が意味を持つのは、耳から入り鼓膜、脳へと響いて、意味を捉え、人生に響いた時だ。その効き方には個人差があり、また、どう作用するのかも個人差がある。メジャーアーティストのコンサートやライブには行くが、ライブハウスにまで足を運び、お気に入りのバンドやレーベルを見つけるような重度の依存症に陥いるリスナーはごく一部で、音楽のそのほとんどは記録媒体で消費される。ネットを通じて届けられる音楽が主流となりつつある中、無名アーティストが一晩にして世界中で聴かれているなんて事もしばしば。一見、裾野が広がり、良い風にも映るが、ネットの海に漂う音楽は天文学的数字で存在し、リスナーの耳から入り鼓膜を揺らして、脳を揺らす、その引っ掛かりに割かれる時間は最初の3秒とも言われている。それは音が鳴り出し、3秒で琴線に触れなければ切り捨てられる、言わば芸術の大量虐殺だ。


目を閉じる。


 フィィーーー…………………………………ン。


来た。


今日という日に、お前はアタマから来てくれるんだな。


 この世界は、針の筵そのものだ。安息の場所なんて無い。人間には茨が巻かれており、手足には枷がかけられ、足元は泥で歩きにくい。少しでも楽になろうと足掻いてみせる。痛みから逃れられるなら、そこを退けと言い、平気で人間の尊厳を傷つけるような言葉をも巧みに使って、暴言を吐き、踏み付ける。助けを乞い、泣きわめく誰かがいようが、お構い無しに歩いてみせる。影は、光の中でしか話せないと言ったらしいが、闇の中にいれば、悪事を暴くどころか、気付く事をも出来ないと言える。だから、きみがいてもいなくても、


さあ、開演だ。


 先程まで、身体に絡みついていた感覚が消えた。きらきらと光る色の中で、空気が震え出し、音が絡みつく。おれが声帯を震わせれば、みんなが楽しそうに飛び跳ね、ギターを掻き鳴らせば声を上げて、拳を天井高くに突き上げた。おれは、この瞬間、瞬間が大好きだ。眩しいスポットライトは、汗が噴き出るくらい熱く強い光で、身体が有機質な物ではなくて、金属のような存在のくせに震え、ギターと声を掻き鳴らし、波のような力強いうねりを立てる事が出来る。その波に飲まれ、溺れるのではなく、また新しい波としてうねり、大きくなっていて海になる。音楽というものをやれば、やるほど、おれは人間と話がしたかったんだな、と、思うよ。


 恐らく、皆“ここ”で逢わなければ、こんなにも仲良くならなかったよな。おれの言葉ひとつひとつなんかに耳を傾けてくれなかったはずなんだ。人間は簡単に繋がる事が出来ない生き物だけど、どうしてだろうか、音楽は皆を繋げる事が出来る。ほら、もっと踊れ。もっと跳べ、もっともっとだ!楽しいよな、おれは楽しい。人間として生まれ、人間として生きているから、こんなにも人間と繋がる事が嬉しいと思い、求めてしまう。おれの人生に関わる人間は一人残さず手を離さないと、繋ぎ止めていたいのだと音楽を続けている。


ここにいれば、きみがいてもいなくても。


 今日も、ぶっ通しで1時間35分が過ぎた。天井を見上げる、眩しくて眩むのではなく、その真っ白な世界に涙が出そうになった。さて、


最後の曲だ。


 このバンドが板に上がって、一音目からここに来るまで話さなかった理由ってさ、最初は持ち時間が少なくて、話す尺がなかったって理由もあるんだけど、何より恥ずかしかったんだよ。おれが、みんなより少し高い所から何か言葉を投げるなんて、そんな高尚な事をしていい人間じゃあない。


ド、ド、ド、ド、ド、ド、ド、ド……………………、


 四つ打ちのシンプルなフロアタムが聴こえてきた。目を閉じ、息を吸い、天井を見上げ、ライトから発さられたチリチリとした光を感じる。


ブ、ブ、ブ、ブ、ブ、ブ、ブ、ブ……………………、


 弦を短く弾いてミュート、曇り弾くようなベースが身体に響き、染み込んでいく。右手で軽くギターの弦を引っ掛け、ボリュームノブを触り、ワウペダルを引いた。


キィヒィイイイーーン…………ヒィ…………ィイイイン………………、


 このワウって、確か初めて買ったエフェクターじゃなかったか。あの時は散々笑われたな。普通は歪み系を買うんだぞって、だけど、このテレキャスターカスタムと、このワウの相性が抜群で楽しくて、一年は買い足さなかった。お前は、こんな所まで一緒に来てくれたんだな。


光の中にいれば、

世界が針の筵で、

きみがいてもいなくても………、


カッ…………カッ……カカッ、カッ、ジャグァッ!


 視界には暗闇が広がっていて、世界は針の筵だ。誰かが仕組んだ事なのか、それともここに生まれた者が持つ業か。そんな苦しみを与えておきながら、置き去りにしたろ。だけど、待つよ。この世界にきみがいてもいなくても、信じて待つさ。嵐が来ようがそれでもきみは、すべてをぼくに捧げてくれただろ。だから、きみを待つんだよ。きみがここにいてもいなくても、生きていくために、きみを待つんだ。


 きみがいてもいなくても、生きていく。きみがいてもいなくても、きみを待つんだ。ただ、きみをここで待つんだよ。


この世界は、きっと…………。


 赤い、赤い、何よりも気持ち悪く赤い、寂しがり屋のバラを抱きしめるひとがいた。もちろん、寂しがり屋には棘があるから彼女は傷付き、心配になり声をかければ、言葉にもある棘が、また刺さる。そんな寂しがり屋に彼女は言った。


「わたしは大丈夫だよ。あなたを信じているからね」と。


 ところが、バラは彼女の存在に満たされたのか、抱きしめられるやさしさに感謝する事を忘れ、捧げてもらった愛は永劫なんだと思い込み、浸かり、ただ己が傷付きたくないと、綺麗な、綺麗な言葉を並べただけの歌を唄い続けた。




 あなたを抱きしめと傷付くと知って、抱きしめていたのは、あなたと話がしたかったからなのに、あなたは唄い続ける。それに気付いてか、気付かずか、赤い、赤いバラのまま綺麗な言葉で唄い続けたね。




 あれから半年が過ぎて、紗絵と根岸の結婚式に招かれた。春先なのに空が嘘みたいな青色で、宇宙まで突き抜けそうな青空に目が痛くなる。式場のスタッフに紗絵が呼んでいると聞き、案内された大きな漆黒の扉をノックした。


 赤い絨毯のひかれた部屋に、花束を持ったウェディングドレス姿の紗絵が淡く存在している。


 窓から入る光が純白のドレスを輝かせて、露わになっている鎖骨や肩を美しく透明にしていた。その美しい身体を求め、紅く染まり、子犬みたく丸まって寄り添い、あたためあったきみなのに、ここにはきみがいない。部屋に一歩入ったっきり立ち尽くすおれに、紗絵が微笑み「どう?」とドレスのスカートを少し舞わせて聞くから「綺麗だ。本当に、綺麗だ」と答えるので精一杯だった。畏怖の念で一歩も動けないくらいに、きみは美しいから、言葉をふたつ並べるだけで精一杯だった。「そんなー、言葉ー、聞いたの初めてだなっ。嬉しーなー。ほんと…………嬉しいな」おれはきみに夢を唄う前に、夢を話しただろうか。きみと会話をしたのだろうか。


「実はね、お父さんとお母さんにもまだ見せてないの。初めてはあなたなんだよ」


 その言葉に、実に紗絵らしい仕返しの仕方だなと苦笑いをして「そんな事していいのかよ。後で、おれはぶっ飛ばされねーか?」と笑う。紗絵も笑いながら「その時は、その時。あなたへの仕返しのおまけみたいなものよ」と持っていた花束をおれに投げた。


「あなたに愛を込めて」


 この世界は針の筵だ。空気まで針で出来ているらしく、ただ息を吸って吐くだけの毎日ですら苦しくて仕方がない。だけど、その辛い日々を乗り越えようとする潤いを持ち、養分を吸って、明日へ向かい続ける事が出来るらしい。


きみがいてもいなくても、きっと。

きみがいてもいなくても、きっとね。


 新しい歌を作ったよ。この歌は今日限りのお祝いの歌だ。人生で一度しか唄わないから、よく聴いてくれ。音楽は一音奏でた瞬間に、もう消えているんだ。長いか短いかだなんて、どうでもいいだろ。耳から入って、鼓膜を揺らし、脳で酔って、人生に作用する。その時に初めて価値を知る、それが音楽なんだ。おれの言葉であり、そして、会話だ。


「おめでとう」

「ありがとう」


 きみがいてもいなくても、おれは話す事をやめないさ。今日という盛大に祝福すべき毎日の連続に作られる歌。誰かと話したいと強く願い、間違ったおれが作る歌。もう間違わないと唄う歌。きみがいてもいなくても、きみはいてもいなくても、音楽があれば、誰かと繋がれるんだと、今日も誰かにたくさんの言葉を使って伝え続けるよ。例え、千の言葉を並べて、ひとつも伝わらなくても、たくさん会話をする事にしたんだよ。


 ギターが並べられたこの部屋に、きみから贈られたアネモネのドライフラワーが、おれを見守るように咲いている。


[ with or without you. ] : END.

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