第4話 愛しい君と舞踏を



《愛しい君と舞踏を》


 それは乙女ゲー界隈では愛舞アイブと略されるマニア御用達のゲームだ。美麗な立絵と背景は元より、何よりも評価されているのがその緻密な設定であった。歴史のデータが大きいのは勿論、キャラクターの生い立ちでさえも大量のデータ量を消費していた。


 しかしながら愛舞の設定は分かりやすい。緻密な設定は裏設定であり表舞台に立つ事がないからだ。初心者にも受け入れやすく設計されているが、愛舞のガチ勢は秘められた設定を血眼になって探し求めていた。


(それはエルタリア王国から始まる物語)


(王国の司祭長が黒薔薇の貴公子覚醒を告げた。黒薔薇の貴公子は闇の力を持ち、世界を混沌に陥れる力を持つのだという。世界を救うには白薔薇の乙女を異世界から召喚しなければならなかった)


(そこで召喚されたのが白薔薇の乙女、ユウナ・アサカという少女である。ユウナはこれから白薔薇の騎士を七人集め、黒薔薇の貴公子に戦いを挑むまなくてはならない)


 美麗なムービーに切り替わる。



(「君を失うくらいなら。この王宮鳥籠からさらってしまおう」)


 ユウナの手を取る王太子アンゼリク。その瞳は潤んでいる。



(「ユウナの為なら、僕の持ちうる魔導で総てを壊す。それが過ちだとしても」)


 ユウナを壁に追い詰めて迫る魔導士レグザ。



(「俺は何も持たないが。初めて欲しいと強く願った」)


 ユウナの顎に手を添えて、傭兵ユーベルが真剣な面持ちで向き合う。



(攻略する王子様は白薔薇の騎士である七人。フルボイスで貴女を誘惑しちゃう。風間貴教、春藤新太、河原大輝、相馬有、高島昴大、名取京介、水谷冬馬)


(秘密の王子様も満載だよ!)


(定価五千八百円)


(二〇XX年十二月二十四日発売)


「……ああ、マイチューブの広告が脳内再生余裕過ぎる。ユーベル様に会いたい。アンゼリクになんか会いたくない……イザベラが一番最初に会う攻略対象はアンゼリクなのよね。彼から逃れられれば、ほとんどの攻略対象に関わらずに済む」


 イザベラが悪の道に進んだのは、婚約者であるアンゼリクへの思いからではなく、ひとえに純粋なヒロインへの憎しみだった。


 イザベラに生き残る道などない。


 製作者は語る。イザベラは絶対的な悪であり、反面ある意味で悲劇のヒロインでもあると。イザベラは裏のヒロインなのだ。イザベラがしてきた事を考えれば自業自得だが、その苛烈なまでの生き様が美貌と相まってヒロインにまで昇華しているのだという。


(それは作る方は楽しいでしょう。過激な展開てんこ盛りで華々しく、もといグロく散らせるんだから。だけど、イザベラの身にもなってみなさいよ)


 イザベラはベッドで動かない身体をまんじりと横たえている。聖堂から帰って来て数時間、まだ身体が動くようにはならなかった。


 精霊王は言っていた。攻略対象は本編の人格を形成した暗い過去を持っている。それを元から叩きなさい、と。


 ――イザベラ、あなたが攻略対象を救い、正史を塗り替えなさい。


 攻略対象である七人の、本編開始までで人格形成に決定的な出来事といえば。王太子アンゼリクは母親の死。騎士ランディスは両親の死。魔導士レグザは拉致監禁。学院生ニコラウスは妹の自殺。司祭セルシオはテロ。そして、傭兵ユーベルは幼馴染の自殺。


 全て攻略対象からヒロインへ語られているトラウマであり、最も可能性が高い。


 しかし、


 アンゼリクの母親である王妃オフィーリアは、アンゼリクが五才の頃、既に毒殺されている。


 そしてランディスの両親も、彼が四才の頃に焼死している。


 分かりやすい攻略対象のトラウマでは、この二人がいる時点で分岐点への確証が持ちにくくなる。


(これじゃあ動きようもないわよね。しかもまだ私七才だし。精霊王にもっと詳しく聞かないといけない)


 イザベラは自分の身体が動かない事を忘れて、トイレに行こうと無意識に身体を動かした。すると、ベッドに異常な反動が加わって、イザベラはベッドを跳ね回ってしまう。身体がいうことを聞かず、少しでも手足に力を込めると、イザベラの思う以上の力が出てしまったのだ。全く止まる様子がない。止めようとすればする程、身体があらぬ方へと向きを変えていく。


「フランシス、助けて。止めて。これってゲーム補正なの? ファンタジー世界なの? ファンタジー世界だったわね。でも、ベッドって普通こんなに跳ぶかしら。想像上のベッドじゃないの」


 フランシスが伺いもそこそこに部屋へ飛び込んで来た。


「イザベラ様、お嬢様。何事でございますか……楽しゅうございますか」


「違うわ。誤解なの。身体が言う事を聞かないのよ。飛び跳ねてしまって止まらないわ。もう、駄目。目が回る。世界が揺れているわ」


 フランシスがベッドへ膝を付いて乗り出すと、ベッドの真ん中にいる小動物のようなイザベラを抱き止めた。そして、イザベラがフランシスの腕を掴むと、彼が微かに身動ぎをする。イザベラはフランシスの腕の中でぐったりとしていた。


「良かったわ。自分ではどうにもならなかったのだもの。もう大丈夫だわ。下ろして頂戴な。お手洗いに行くわ」


「それはよろしゅうございました。しかし、お嬢様はまだお身体が万全ではないのではありませんか」


「そうだったわね。でも今は歩けそうな気がするの」


 フランシスはイザベラの小さな手を握ったまま、そっと厚い絨毯敷きの床に下ろした。イザベラが床に降り立つと、自分自身でも分かる程に床が沈んでいた。異常な程に強い力で足を踏み締めているのだ。力を抜いてもつれそうになる脚を正して、イザベラはフランシスの手を離した。歩こうとすると脚が絡まって転びそうになり、再び差し出されている大きな手を取った。今度はフランシスの手を握ったまま歩いてみると、ゆっくりと歩き出す事が出来た。そこからは速かった。全く違和感もなしにイザベラは歩き始め、フランシスから両の手をあっさりと離せるようになってしまった。


「どうかしら、爺。もう、何でもないわ。実は何となく原因も分かっているの。心配しないで頂戴。それで、近々聖堂へおとないたいと思います……だから、今の事お父様には秘密にして」


「お嬢様のご意向、承りたいとは存じますが、この場合はお父様の主命が優先されますご容赦を。聖堂に出向かわれるとのご希望についてはお父様にお伺いを立てておきますので、お待ちくださいませ」


「駄目だと思ったけれど、やはり駄目なのね。まったく、融通が効かないんだから。お父様は過保護だからしばらく外へは出してもらえないわ」


「イザベラ・オーレリア様は特別な方ですから」


「それはもう聞き飽きたわ。私まだ七才よ」


「ご誕生になられるだけで尊い方というのは、世の中におられるのですよ」


 イザベラは何故かすっきりしない気持ちで、寝室から備え付けのトイレへ入った。トイレは藤浪菜々時代に住んでいたアパートの居間くらいの大きさがある。排出孔のない陶性の便器があり、背面にはタンクがなかった。排泄物を消失させる魔術が施されている為、細かな文字で術式が印されていて、僅かに明滅していた。


 魔導と魔術は違う。魔導は精霊と契約するもので、魔術は人間の叡智だ。魔導は先天、魔術は後天とも言われる。


(それにしてもさすが乙女ゲーム。風呂、トイレは完璧。中世の世界じゃ普通ありえないでしょ。あくまで中世風なわけよね)

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悪役令嬢、異世界でノルマを課されて、今日もうちふるえる 高坂八尋 @KosakaYahiro

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