第3話 精霊との契約



 イザベラはゆっくりと立ち上がった。今回は叫ばずにいられたようで内心ホッとしている。


 これから両親にどの精霊と契約できたかを報告しなければならない、そう、通常ならば。イザベラは貴族だ。それも公爵家筆頭のグラナディアという大家の娘。両親は初めからイザベラが精霊と契約出来るものと思っているし、昔のイザベラも当たり前のようにそう思っていた。


 精霊王が唱えた呪文らしき言葉から推察するに、イザベラは全属性の魔導が使える。世間一般では精霊との契約は一対一、神童と言われて一対二が普通の認識だ。普通は三つも四つも言ったら大変な事になってしまう。光や闇など以ての外で、言おうものなら一生王宮で飼われる事になる。


 愛舞アイブでのイザベラが使う魔導は炎だ。本編では既に上級の炎使いで、その力であらゆる悪事に手を染めていた。


(正史とかで言うなら、ここは炎になるべきはず。でも、私は絶対、運命に逆らってやる。周囲には契約失敗の只人だと思わせて白を切る。それ以外ない)


 父母がイザベラへ歩み寄って来るのが分かった。しかし、イザベラは勿体ぶって祭壇の前に留まっている。


「お父様、お母様、残念ながら……」踵を返し掛けた瞬間。


 まさにびったーんと音が鳴る勢いでイザベラは倒れ伏した。そして万歳した両手から炎が沸き起こり轍となって真っ赤な絨毯を一直線に駆け抜けていったのだ。


 イザベラは突っ伏している顔を上げる。


(なんだとぉぉぉぉおおおお)


 イザベラは動く事が出来なかった。もちろん自分の魔導で火傷などするはずないが、一歩譲って魔導が発動した事は許そう――本来なら許し難いが――だが、この威力は何だ。普通、精霊と契約したばかりの七才児ではマッチ程度の灯火が限界だ。これでは中級者が炎を操ったも同然の威力だ。


 父も母も懸命に炎を避けている。父母の魔導では発動させてもイザベラに怪我をさせるだけだからだ。また、司祭は真っ青になりワタワタと走り回っている。彼ら司祭は魔導が使えないのでどうしようもない。


「イザベラ早く炎を消すんだ」


 イザベラもとい菜々は、いくら愛舞の狂戦士バーサーカーであろうと、実際に生身で魔導を体験したわけではない。発動の切欠も分からないし、勿論、操り方も消し方も知らないのだ。イザベラはどうしていいのか分からずに強く消えろと願った。意外な事にそれだけですんなりと炎は消え去った。


「おほほほほほ」笑って誤魔化してみる。そして立ち上がろうとすると、身体に力が入らない。


 父母は慌ててイザベラに走り寄り立たせた。しかしイザベラは直ぐに脚をへにゃりと折り曲げてしまった。


(さっきまでは立てたのに、身体が動かない)


「もしかして魔導切れを起こしているのかもしれない。それはそうだ。七才の子供があんな炎を起こせば無理もない。だが、さすがグラナディアの娘。尋常の能力ではない」


(まあ、その何倍も精霊と契約しているんですけどね)


 イザベラは公爵に抱き上げられ、涙目の司祭達に見送られて聖堂を去った。




 イザベラの周りを小さな光の粒が浮遊している。四大精霊と光、そして闇。ふよふよと当てどもなく飛んでいるが、イザベラの側から一定の距離までしか離れない。


 イザベラは赤い光を見詰める。


〈ピルルルルルル〉


(あなたのせいでとんでもない事になったでしょう。体も動かないし)


 イザベラはその赤い精霊を口を突き出して吹いてみる。しかし、どうともなるわけも無く精霊は遊ぶばかり。周囲を集中して見る程、精霊達の姿がはっきりとする。先程からうろついているのが気になって仕方がない。たとえ精霊と契約していても、本来なら精霊は不可知の設定で、ヒロインが最後に光の精霊と接触する場面があるくらいだった。


〈ピルピルル?〉


(魔導なしですっとぼけようと思ったのに。どうして大見得を切ってあんな場面にでてくるかな。これが運命の強制力とか言うものなら相当強力ね)


 馬車の中から見えるのは、整えられた石畳の道路が切れ間なく続いている様子ばかり。貴族御用達の高級商店が道に連なって、目にも賑やかだ。


 イザベラが七才になる特別な年、領地から王都にある屋敷へ長期滞在していた。子を持つ貴族の親は、大抵が王都にある聖堂で精霊王との対話を行うので王都の屋敷へ滞在するのだ。その中でも高位の貴族になると祝賀の宴席が催される事が多く、社交の場が多く設けられるので長期に王都に留まるのが普通だった。


 そして、イザベラが子供としていられるのも、その社交シーズンを持って最後だった。イザベラは精霊と契約した以上、もう既に大人だ。


 精霊持ちの社交界デビューは早い。聖堂で精霊と契約を済ませて直ぐに、同じく精霊を得た子供達で簡単な社交の場が設けられ交流がはじまる。それは既に婚約者探しの始まりであった。精霊持ちは貴重でより力の強い者同士で婚姻がなされるように取り計らわれているのだ。


(魔導がバレたせいで重要イベント発生から逃れられなかった。これで王太子との婚約は待ったなしね)


 近々王宮で社交会が開かれるのだ。それというのも現国王の長子である王太子、アンゼリク・ロゼル・アークス・リンデン・エルタニエル殿下が今年七才を迎え、無事、精霊と契約を済ませたのだ。と、いうのが本編のイザベラ談で分かる。イザベラとアンゼリクは同い年で、王宮で行われる社交会で初めて出合い、そこから婚約関係を結ぶ事になったのだ。


(イザベラの地位と美貌、知性、才能、表向きの品性じゃ王太子の婚約者になって当たり前だよな……これって自分を褒めまくってるんだよね、末恐ろしい事になったもんだ。でも、愛舞本編のイザベラなら素でこう考えているんだろうな。昔の菜々だった私なら生物としてのランクが違い過ぎて、出会ったその日には腹立ち紛れにツバでも掛けてるわ……最低だな、私。どんどん荒んでるわ)


 貴族の屋敷を囲う塀が、始まっては終わり、始まっては終わりを、繰り返していたが、先程から延々と同じ塀が続き始めた。


 イザベラは飽き飽きと溜息をつく。


 王都にあるグラナディアの屋敷は小さい。と言っても、比べる対象が尋常じゃなく大きな領地の城なのだから出来る表現なのであって、グラナディアの屋敷は王都にあるどの貴族が所有する屋敷よりも大きかった。何よりも土地を広大に有していて、近隣が保有している庭など庭の数にも入らないくらいだ。近隣の庭ごと屋敷数個がグラナディア公爵邸に入ってしまうくらいだった。しかも、王都で最も閑静な立地に屋敷を構えていて、グラナディア公爵の屋敷を知らない者はいないくらいだった。


(相変わらずバカでかいわねこの家。家っていうのもおこがましい? わ)


 堅牢な塀が途切れ、漸く門がその姿を表した。イザベラの何十倍もありそうな金属製の門だ。槍の様に何本もそそり立つ門扉には、金属で象られた蔦が繊細に絡まりあっている。扉の各中央部にはグラナディア家の紋章である天馬に鈴蘭が刻印されていた。


 イザベラは随分と可愛らしい自家の紋章を気に入っている。一々小物類――メモ帳の類――まで紋章は刻印されるので、その思いも一入ひとしおだ。ちなみに王家は飛龍に剣交差を中心として、背景に鈴蘭を配している。つまりグラナディア家と王家の繋がりはかなり深い。


 馬車が門を潜ってからも、更に馬を駆らせなければならない。イザベラはうんざりしていた。巨大な屋敷は権威の証。分かってはいるが、現代日本人の精神を持つイザベラには時間の浪費にしか思えなかった。


 そうしてようやく屋敷の前で馬車が止まると、既にフランシス等使用人達が主人を出迎えに来ている。


「フランシス、身体が動きませんの」


「それは大事でございますね。フェイル先生に診て頂かなくては」


 イザベラがフランシスへ手を伸ばすと、執事は小さな主人を抱き上げた。イザベラはフランシスの首に腕を回して抱きつく。


 公爵が馬車から降りて、イザベラの頭を撫でる。


「魔導の使い過ぎだと思うのだがね。ベラは炎の契約を行った。それも最高の契約者だ」


「それは、それは喜ばしい事でございます。このまま爺がお部屋へお連れ致しましょう」


 イザベラはフランシスに抱かれて屋敷を進む。


「ねえ、爺。私お菓子が食べたいわ」


「お嬢様はおねだりがお上手だから、爺は直ぐほだされてしまいますな。菓子職人に作らせましょうね。それも今日は特別なお菓子を」


「爺、大好き」


 イザベラは目をしばたたいた。フランシスとのやり取りは一切が無意識に行われたものだ。これでは本当の七才児だが、藤浪菜々としての記憶だけではなく、本当にイザベラとしての記憶もあるので、完璧に平均を保ち辛いのだ。恐らくは今だけの限定的な状態であろう。


 この無意識で使用人に甘えるイザベラは、本当にイザベラかと疑問には思うが、恐らくこれは純粋なイザベラではなく藤浪菜々によって歪められたイザベラだ。藤浪菜々としての記憶を思い出すまでは、また少し違ったイザベラとしての考え方があったが、その時既に愛舞のイザベラとは性質が違っていたのだ。転生者として思い出す前からフランシスには甘えていたし、気位の高さも少し成りを潜めていた。


「爺にも魔導を見せますわ……少し練習してからですけれど」


「無上の喜びにございます。お嬢様」

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