第2話 乙ゲー史上最悪の悪役令嬢



 イザベラは姿見の前に立つ。そこにはまだ七つにしかならないはずの女児が映っているはずだったが、その容貌が只の子供でないことを告げている。流れるような漆黒の長い髪が、形の良い顔の輪郭を包んでいる。自身を見つめる瞳は、王家に伝わる無二の青。どこまでも深く澄んだ色合いに満ちていて、妖しげに淡く灯っているように錯覚する。全身を見ると、その姿はまだ成長途中で幼いが、自分自身で見ても美しかった。


 全て思い出してしまった。精霊王に担がれたのだ。イザベラ――奈々もよく確認しないまま了承してしまったのも悪いが、それにしても乙女ゲームでは最悪な部類の悪役令嬢にされるとは。


 イザベラ・オーレリア・アンナ・グラナディアは、乙女ゲーム界で最も美しく、最も惨忍な令嬢として有名だ。嫌がらせ、不正行為、拉致監禁、拷問、果ては殺人にまでいたるという最強の悪党であり、自分の手を汚さず犯罪を行う事も数知れずある。時には子供さえ脅して犯罪に加担させた。それをなせるのはエルタリアの宝珠とまで言わさしめる美貌にほかならなかった。その名声は他国にも轟き、幼い頃からすでに王族達から引く手数多であった。


 精霊王の言う通り確かにある意味チートだ。血統は良し、肩書も良し、金はある、容貌は一級品、ちなみに魔導の力量も一流、そこに倫理感ゼロと来ればやりたい放題し放題のチート悪役令嬢が出来上がってしまう、が。


 しかし、イザベラが行う悪行への報復も苛烈を極めた。串刺し、磔、焼死に、斬首、毒殺、車裂き、枚挙にいとまがない程にまだ続く。しかもどのルートを辿ろうと、イザベラは残酷な死を逃れる事が出来ない。あえて一番マシな死を選ぶなら王太子の断頭台ルートだ。各々の攻略対象と一定の好感度まで上げられない場合や、王太子とヒロインが如何様な好感度にある時でも、夜会で王太子とイザベラの婚約破棄イベントが発生する。その時、イザベラの数多くの犯罪、それも殺人が明らかにされ、イザベラは捕縛、そのまま斬首へ、というあまりにストレートな定番固定イベントだった。


(私は馬鹿だ。騙されて犯罪者として転生してしまうなんて……でも、やっぱりユーベル様に会いたかったんだもん)


 ユーベルのイザベラ断罪イベントは最悪な部類で、磔にされた挙げ句、槍で突き殺されるというものだ。骸はいつまでも放置され続けていると、ユーベルから察せられる話題がさらりとヒロインとの間で交わされている。


 本来ならユーベルは会いに行くべき相手ではない。むしろ愛舞の攻略対象には誰にも会わないようにしなくてはならないはずだ。


 しかし、そもそも今のイザベラは奈々であって、あの悪辣なイザベラではない。奈々は普通の倫理感を持った元日本人だ。菜々がこのまま普通の道徳感でもってイザベラとして日常を過ごしていれば何の問題もないはず。


(そうだ、私何考えてたんだろう。今は私がイザベラなんだ。昔の私通り目立たず協調性を持って過ごせば、正にチートじゃない。精霊王はそのことを言っていたのかしら。これなら攻略対象にも会えるかも)


 イザベラは大き過ぎるベッドによじ登り、真ん中まで這うと横になって一息付いた。


 精霊王はまた話があるから精霊石のところへ来いと言っていた。イザベラは七才になり初めて精霊石に触れ、それがきっかけとなって前世で話した出来事を思い出した。これも全て精霊王の計算通りというのなら腹立たしいことこの上ないが、近々聖堂へは行かなくてはなるまい。




「本当にいいのかいベラ。倒れてから数日しか経っていないんだよ」


「ええ、お父様。私はもう一度精霊王様と対話したく存じます。この間はお恥ずかしいことに気絶してしまいましたから。このままではグラナディアの名折れですわ」


「あら、ベラ。そういえば私と言うようになったのね」マリアベルが微笑む。


「私も七才になったのですから。そのように子供地味たことはいたしません」


(気が付かなかった……)


 イザベラは確かに奈々の記憶を思い出すまで自分をイザベラと呼んでいた。いつの間にか無意識に私と呼ぶようになっていたのだ。


 幾つもの水晶柱が立ち並び、一直線に聖堂への扉に続いている。司祭が既に扉の前に立ち、お使いの子供二人が扉を開けようと待ち構えていた。


 グラナディア公爵が司祭に挨拶すると、扉が開かれて司祭、グラナディア公爵夫妻、イザベラと聖堂へ入った。


 イザベラだけが一人祭壇へ向かって歩く。イザベラは一歩一歩確かめるように進んだ。そして、数日前と同じように祭壇の前で膝を付き、手を合わせて目をつむる。


「残念、藤浪ちゃんの倫理感、道徳感どうこうじゃないんだわ」


「うわ、いきなり現れるな」


 イザベラの記憶通りの女が眼の前に現れた。イザベラはいつの間にか白い空間に佇んでいる。


「あら、もうちょっと厳かに出て来て欲しかったかしら。もう一回やり直す」


「いえ、けっこうです。ところで私の倫理感、道徳感どうこうじゃないってどういうことですか」


「運命の強制力が働くから。いくら藤浪ちゃんがお淑やかにしていたって強力な強制が入ってあれよあれよというまに断罪ルートまっしぐらってわけ。何だってありよ。捏造、誤解、偶然、そんなの積み重ねて後はもう、藤浪ちゃんのよく知る最期を迎える事になる」


「酷い。やっぱり詐欺じゃない」

 

「まあまあ、だから言ったでしょうチートにしてあげるって」


「いくらチートでもあんな死に方迎えたら意味ないでしょう」


「運命を変える為のチートって言ったらどう。攻略対象の呪縛を解き、本編が始まる前にイザベラの運命を変える」


「どうすればいいの」


「攻略対象はその人格を形成した暗い過去を持っている。それを元から叩くの。イザベラ、あなたが攻略対象を救い、正史を塗り替えなさい――力をあげる。確定した運命を覆す力を」


 精霊王はイザベラの小さな胸に二つの指を突き付けた。


「四大元素の精霊から加護を。光と闇、その相対する精霊に調和を持って祝福を。術式は無限に紡がれ永遠を約束する。その乙女、妖魔を従え永久とこしええにしを契約せん。身は獣となりて強靭なさしめよ」


 イザベラの足元から光が降り注ぐと、周囲に様々な色の光が灯った。赤、青、黄、緑。そして一際眩い白い光と、どこまでも深い闇。その光達をよく見てみると、それが一つの大きな結晶である事が分かった。


「……精霊」


「そう、今イザベラを祝福したから、全てあなたのもの。けして背かずにイザベラの力になってくれるわ……たとえ相対する光と闇でも」


「光と闇って本来絶対に交わる事のない力のはず。だって光はヒロインしか持たない特別な力なのに」


「まあ、闇もしかりで使い所は注意してね。いいかしら、イザベラ。早く能力を使いこなすこと。あなたの体なら無理なくこなせるはず。でないと間に合わなくなってしまう。今の所、私に出来る事はしたわ。後はあなたの記憶が頼りよ。最高の愛舞フリーク、期待してるわ」

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